3-3 マンモスの牙
僕らは宝石という言葉を気軽に使っているけど、実はこれほど難しい枠組みもない。
通俗的にはさておき、魔術的にはどこまでを宝石とみなすかという点において共通理解がないからだ。
例えば、金や銀といった鉱石がある。これらを使用したアクセサリーを売る店ではルビーやダイヤといった鉱石を利用したアクセサリーも販売している。しかし金銀を「宝石」と呼称する人は滅多にいないだろう。もし金銀を宝石と呼び出せばほかの鉱石――コバルトやニッケルといったレアメタルなど――も宝石と呼ぶべきということになる。
この認識に頷く人はいまい。
僕の指輪の中にある琥珀も宝石と言われると少し怪しい。某映画で恐竜復活の鍵を握ることからもわかるようにこれは宝石と言うより化石だ。でも高質化した物体であり装飾に使用されているという点では宝石としての性質も兼ね備えている。何より僕の魔力属性に反応するところから宝石だと判断すべきだと思う。
じゃあ、いま僕が抱えているマンモスの牙は?
象牙や水牛骨といった印鑑に利用されがちな動物の骨は言うまでもなく石ではない。ではないが、琥珀同様に高質化した物体であり装飾に利用されるものでもある。琥珀が宝石なのに象牙が宝石じゃないという理屈は通らない。
だが、僕の魔力は僅かに反応する。
少なくとも、僕の魔術属性は目の前のこれを「宝石よりの何か」だとみなしているらしい。
「高人くんさぁ」
「ん?」
「買うの?」
僕の思索へいつものように店長が割り込んできた。が、店長の声色はいつもよりずっと疲れている。
川端との妙な会談から一週間ほど経った。僕はすっかり回復したものの、表向き交通事故で入院したことになっているのでそうすぐに復学しても不自然だろうという大義名分のもと、ずる休みを決め込んでいた。
昼間から「フラットスパイダー」で魔術素材を漁る日々。あぁなんて幸せなのだろうか。店内を移動するときに姉さんと出くわさないように気を付けなければいけないという事情はあるが、それさえ乗り越えれば。
姉さんとはあの後、ほとんど口をきいていない。意思疎通をうんとすんで済ませる冷え切った熟年夫婦のようなせめぎあいが続いていた。ここまで本格的な喧嘩を姉さんとしたことがこれまでなかった。そんな暇もなかったから。だから、落としどころがわからない。
謝ればいいのか? でも、僕は#SSsをやめる気はない。学費を稼ぐにはもうこの方法しかない。
……僕から折れることはできない。
「……うーん」
「まだ悩んでるんだ……」
店長はうんざりしたような口調で言った。まぁ、一週間も何も買わずに店でうろうろするだけの客に居座られたら迷惑だろう。
だが、僕は大量の魔術素材の前に手をこまねいていた。
ジョニーを倒して得た懸賞金は二十万円。こんな大金、これまでの人生でもらったお小遣いをかき集めても足りないだろう。だからだろうか、悲しいことに、どうやって使っていいかわからない。
いま握りしめているマンモスの牙は面白そうな素材だ。僕の魔力が反応しているがどういう風に機能するかはまだわからない。じっくりと弄繰り回せば新しい発見があるだろう。何より、「宝石化」した有機物に関する造形を深めることができる。それは僕の指輪のひとつである琥珀の使い道についても新たな示唆をもたらすだろう。
でも、買っていいものか……。この新生児ぐらいある物体を。ぽーんと。
わからない。判断のしようがない。
貧乏性が身についてしまった……。
「二万円かぁ……」
「いまの高人くんなら余裕でしょ、それ」
「それはそうなんだけど、ねぇ……」
急に懐事情が変わっても、金銭感覚までは変わらない。二万円。高校の教科書販売を除けば経験のない額だ。清水の舞台から飛び降りる勢いがないと買えない。両親が死んで以降、こんな規模の買い物をしたことは一回もない。一万円札なんか持ったこともない。
買おうと思えば買えたのかもしれない。けど、精一杯生活費を稼ぐ姉さんに気後れしたのかもしれない。
あぁ、また考えが戻っている。
「買っちゃいなよ。一回買えば慣れるって」
「違法薬物を勧めるときと同じ空気で言うんじゃない」
僕はマンモスの牙を一旦棚へ戻した。店長が大きなため息をつくが無視する。
棚から一歩離れて全体を眺めた。僕の目の前にある棚に陳列されているのはもちろんマンモスの牙だけではない。魔術素材として典型的な金や銀の鉱石、水銀やビスマスといった一風変わった鉱石、虎やライオンの爪なんてものもある。
「あぁ、どうしたものか」
「高人くんさぁ、遠足のおやつ選ぶのに何時間もかかってたタイプでしょ?」
「なぜそれを……」
「逆にそうじゃなかったらびっくりだよ……」
小学生のころ、遠足のおやつの買い出しにあまりにも時間がかかるせいで、付き合わされた姉さん(当時中学生)がキレたこともあったっけか。
あぁ、また考えが戻っている。
「買っちゃいなよ。ほらほら」
「ぐぅぅ。悪魔の囁きが……」
「何やってんだ小僧」
店の入り口から男の声がした。聞き覚えがある。振り返ると、そこにテンガロンハットの男が立っていた。
「二条哲児」
「なんで本名なんだよ。ジョニーでいいだろそこは」
ジョニーは呆れ顔で言いつつ店へ入ってきた。突然現れたコスプレ中年に店長が困惑顔になる。
「高人くん、知り合い?」
「…………いいえ」
「なんだその間は!」
当然、こんなコスプレおじさんと知り合いだと思われたらどうしようという迷いによるものである。
もっとも、店長だってアロハにビーサンなので人のことは言え……なくもないか。店長の服装はまだ変わったファッションの範囲だ。
ジョニーは店の床をブーツのかかとについた歯車みたいなの(いまだに名前がわからない)で擦りながらこちらに近づいてきた。床が傷つきそうだからか、店長がそわそわしだす。
「偶然か?」
「いや、お前に会いに来た」
「よく場所が分かったな」
「不用心なんだよ」
意図するところが掴みきれない僕に、彼はスマホを見せてきた。もうすっかり馴染みになった#SSsのアプリ画面だ。地図上に僕の名前がしっかり出ている。
「スリープモードにしておかねぇと常に位置情報が発信されるんだぞ」
「マジか……」
僕は慌ててスマホを取り出しアプリを開いた。よく見ると画面のトップにZを三つ並べたようなアイコンがある。それをタップすると地図から僕の姿があっという間に消えた。
「個人情報駄々洩れじゃないか」
「それを防ぐためのスリープモードなんだけどな」
「藤堂の奴は何も言ってなかったぞ」
「あの嬢ちゃんが使ってると思うのか? この機能を」
確かに。放置しているだろうな……。一応女子なのだからプライバシーには敏感になるべきだ。どこかで会ったら指摘しておこう。
「で、何しに来たんだジョニー。まさかこの前の復讐戦?」
「しねぇよ。そんなみみっちいこと。あれだ……ちょっと様子見だよ」
「様子見?」
ジョニーは僕の隣に並んだ。魔術素材の棚に向き合う。
「猫の嬢ちゃんから聞いたぞ。姉貴と喧嘩したんだって?」
「……おしゃべりめ」
僕はため息をついた。ジョニーは「まぁそう言うな」と僕を諫める。
「俺もこの業界長いからよ。似たような話はそこらで聞く」
「業界? #SSsってそんなに老舗なのか?」
「そっちじゃねぇ。魔術使い業界だ」
「魔術使い業界……」
「魔術師業界よりは込み入ってないだろうが、こっちもそれなりに色々あるんだよ。……かく言う俺もその一人だが」
ジョニーはそう言いつつ鉱石をひとつ手に取る。
「だろうな。僕が親なら、子供がハロウィン以外でその恰好するって言いだしたら止める」
「そういうこった。でもな」
ジョニーは声を落とした。
「みょうちきりんな格好でも、そいつにとっては人生をかけたものかもしれないだろ。そういうとき、一番近くにいる人が敵だと……しんどいぞ」
「……#SSsをやめるつもりはない。しんどくても」
「だろうな。だが……」
「ジョニー」
「あん?」
僕は彼の言葉を遮って言った。
「ジョニーならどれを買う?」
僕は棚を指さして言った。ジョニーは僕の気分を察したのか、それ以上は何も言わず顎に手を当てて考える仕草をした。
「……なんで俺に聞くんだよ。詳しくねぇぞ」
「魔術使いの先達として尊重しようと思ったのに。珍しく」
「恩着せがましい奴だな」
ジョニーは少し唸ると、手を伸ばして銀鉱石を掴んだ。アメリカ産のものだ。
「やっぱアメリカの銀だろ」
「キャラに忠実な判断じゃ参考にならないんだよな……」
「そうじゃねぇ。銀は魔術素材の基本だろ。お前のそのちんちくりんな指輪のベースを銀に変えるだけで魔術のレベルが上がるはずだ。どうせそれ、元は安物のおもちゃだろ?」
「……意外と考えているな」
「意外とは余計だ」
「アメリカ産の理由はなんだ? そんなに産地として有名じゃないだろ」
「そりゃお前、アメリカは最高だからだよ」
「結局そこに行きつくのか。どうしてそんなにアメリカラブなのかわからないけど」
「それは俺がまだ二十代の頃……」
「いや、詳しく聞きたいわけじゃなくて」
ジョニーが回想を始めそうだったので丁寧に断っておいた。彼は不服そうな顔で僕を見る。
「やっぱり銀かぁ……でもつまらないんだよなぁ。典型的すぎて。貴重なジョニーの懸賞金二十万円をそこに使っていいのか……」
「なんだ。悩んでたのはそっちか。金遣いなんてのは慣れだぞ。えいやで買っちまえよ。俺も最初銃を買うときは随分悩んだが、いまは買うと決めたら即買うようになった。値段すら見ねぇ」
「発言が身を持ち崩すコレクターのそれなんだよな……」
とはいえ、ジョニーの言うことは正論かもしれない。ここでうだうだ悩んでいても仕方がない。
大丈夫、大丈夫だ……二万円なら全然……大したことない大したことない。それに、これからもっと稼ぐのだし。自分へのご褒美だ。自分へのご褒美……。
「自分に何か言い聞かせてない?」
「なんでわかった? 店長」
「たまにいるからね。そういうお客さん。二万くらいでやる人は初めてだけど」
「んぅぅ……」
「おい、高人」
不意に名前を呼ばれて、僕はジョニーのほうを見た。
「ん?」
「お前、金持ってんのか? この前俺に勝ったばっかだろ」
「……何言ってんだ? ジョニーに勝ったからお金があるんだろ?」
「なるほど。じゃあ聞き方を変えるが」
ジョニーはテンガロンハットを触りながら言った。
「その賞金を引き出したのか」
「…………あっ、しまった」
「『あっ、しまった』?」
僕の反応に店長が声をあげた。
「高人くん、まさかいままでお金なかったのにずっと買う買わないで悩んでたの? 一週間も?」
店長が頭を抱えてカウンターに突っ伏した。これまで相手してきた客に資金力がないと知れば当然だろう。
一方、僕も呆然としていた。そう言われればそうだ。上京と冷泉六花の件、姉さんとの件、そして突然の大金と目の前の魔術資材に気を取られて肝心なことをすっかり忘れていた。
「……賞金ってどうやって引き出すんだ?」
ジョニーはテンガロンハットに手を置いたまま深くため息をついた。
「ったく。しょうがねぇな。ついて来い小僧。昼間からぶらついてるってことはどうせ今日一日暇だろ?」
「まぁ、そうだけど……」
ジョニーが僕に背を向け、店の外へ歩き出す。店長は何も買わずに帰る気かと咎めるような視線を送ってきた。僕はそれを無視してジョニーに続く。
「どこへ?」
「案内してやるよ。#SSsで唯一稼いだ懸賞金を引き出せる場所。通称『バンク』にな」
「へぇ。そんな施設があるのか」
「おいおい、呑気言ってる場合じゃないぞ」
ジョニーは意味ありげに笑った。
「お前はこれから、そのバンクにいるバンクガードに勝たなきゃいけないんだからよ」
「バンクガード? え? 戦うのか?」
「あぁそうだ。……勝てなきゃ懸賞金は引き出せない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます