3-2 川端昴という男

 その日、ずっと僕はベッドで寝て過ごした。せっかく学校を休んだのだから本でも読みたかったが、そんな気分ではなかった。


 本来四人で使うはずの病室には僕しかいない。こうなると部屋は個室よりも広々としている。静けさがどうにも寂しく、居心地が悪かった。


 藤堂はあのあと、何も言わずに学校へ向かった。普段おちゃらけている奴がしょげているのを見ると少し罪悪感を覚える。姉弟喧嘩に巻き込んだのは悪かったな……。


 僕はベッドの上で大きな欠伸をした。点滴のチューブも外れたので、腕を全力で使って伸びもする。……暇だ。体は相変わらず痛むが、一日寝ているだけで随分回復してもう歩き回るくらいなら出来るようになった。


 とはいえ、病院内で歩き回っても面白いことはないし。スマホで近くのソーサラーを検索してみたが、流石に病院にいる奇特な魔術使いは見つからなかった。


「いい加減寝るのも飽きたな……」

 独り言を漏らしたのと同時に、ノックの音が聞こえてきた。開きっぱなしの病室の扉を叩いた人がいたのだ。僕は首を曲げて音のした方向を見る。


「失礼。石見高人だな?」

 低く筋の通った声が響く。そこに立っていたのは天城原学園の白いブレザーを羽織った男子高校生だった。眉間に皺を寄せ、堅苦しい表情で僕をじっと見つめてくる。


 彼は大股で病室に足を踏み入れた。細い髪を右から左後ろへ流す、オールバックを変形させたような独特な髪形が目立つ。右手に小さな籠を提げていた。左腕はだらりと下げているが、その袖からは手が見えない。ブレザーの丈が長いわけではなさそうだ。左手がないのか?


 同じ天城原の生徒のようだが……正直覚えがない。片腕の生徒なんて目にすれば印象に残りそうなものだが。


「……誰だ?」

「ふん。やっぱり覚えてないか」

 彼は特に驚いた様子もなく言った。籠をベッドの脇のテーブルに乗せる。籠の中にはいくつかリンゴやミカンが入っていた。


 彼は断りもなくどっかりとパイプ椅子に腰を下ろした。

天城原あまぎはら学園二年十三組、川端昴だ」

「二年十三組って……」


 僕のクラスじゃん。しかし……こんな奴いたか?

 ここ数日新キャラ出過ぎだろ、僕の人生。しかも猫ガールやらテンガロンハットのおっさんやら、挙句今日まで認知していなかった謎のクラスメイトだからな。登場人物のアクが強すぎる。


 川端は足を組み、少し体を後ろに倒した。偉そうな態度が堂に入っている。

「魔術にしか興味がないと聞いていたが、クラスメイト、しかも僕の顔を覚えてないとは。自分で言うのもなんだが、人には覚えられやすい質だから忘れられるというのは初体験だ」


「だろうな……」

 川端は袖の余った左腕をぴろぴろと振っていた。義手もしていないし、隠すつもりは特にないらしい。


 しかし……やれやれ。流石に自分自身に少し呆れる。クラスでは浮いていた自覚こそあったけど、まさか同級生の顔を覚えていないとは。少し魔術以外のものに興味がなさ過ぎたかもしれん。


 ……夢に邁進、し過ぎたのかな。何事にも程度というものがある。

 姉さんとの衝突もそこに一因があるかもしれない。必死すぎて周りが見えなくなっていたかというか。


「まぁいい」

 川端は僕の感慨をあっさり切って捨てた。


「僕も時間を割いて交通事故にあったクラスメイトを見舞うようなタイプではない。そういう意味ではお互い様だ」

「わざわざ高そうな果物買ってきているのにか?」


「果物代は生徒会持ちだ。僕の懐は痛まないし、お前が僕に感謝する必要もない」

「生徒会?」


 僕の言葉に川端が頷いた。ブレザーの胸元を引っ張って見せる。小さく光るピンバッジのようなものが装着されていた。一般の生徒にはない。白鳥の羽を二枚重ねた天城原の校章の上に細々とした字で「生徒会」と記されたもの。


「天城原学園第二十一期前期生徒会、副会長だ」

「さいですか。で、その副会長様が平生徒になんの用で?」

「ふん」


 川端は僕の皮肉を機械的な一笑に付して、ブレザーの内ポケットを探る。中から薄い透明のカードを取り出し、僕に差し出す。


「魔術師を自称するなら、これがどういうものかくらいはわかるだろう」

「どれどれ……」


 僕はカードを受け取った。部屋の電灯にかざすと、カードの中央がシャボン玉の膜のように虹色に屈折して輝く。これは……。


「魔力のサンプルケースか。どこで採取した?」

「天城原学園の警備結界だ。見ての通り、破壊されている」


 カードに採取された魔力の塊はガラス片のような形状をしていた。これは結界型の魔術が破壊されたときに生じやすいものだ。昨今、多くの学校は自分の敷地に魔術的な結界を張っており、それは天城原学園も例外ではない。その大半は侵入者を探知して知らせるという程度のものだが、それでも「破壊される」というのは穏やかな事態ではない。


「誰かが侵入したってことか?」

「そのはずだが、警報が職員室に届かなかった」

「へぇ……紙とペンあるか?」


 川端は僕の要求を予期していたように、羊皮紙のロールと万年筆をブレザーから取り出した。僕はベッドに備え付けられているテーブルを引き出して、その上へ羊皮紙を広げる。


「さて……久々だから覚えているかどうか……」

 羊皮紙の左に大きく円を描き、その中へカードを置く。円の隣に覚えている呪文を記していく。


「"霧の眼、狼の遠吠え、巨人の……"じゃないな。あー、そう、"星の道、炎の翼、巨人の肩"の順か……よし」

 僕はペンを置き、両手を羊皮紙の上において魔力を流す。


「教科書通りの呪文使うのなんて何年ぶりだか……"第七上級アドバンス教範魔術・セブンス簡易魔術分析アナライズ・ライト"」

 魔力に反応して羊皮紙のインクが光る。カードが宙に浮き、くるくると回りだした。


「教科書通りとはいえ、上級教範は大学レベルのはずだが」

「伝統校じゃ高校一年生でやるよ。それよりも……」

 僕は空中に浮かぶカードを見た。カードから文字が流れて羊皮紙に張り付いていく。


「見ろ。この結界、さほど高度な魔術で破られたわけじゃない。単に強力な魔力で回路を焼き切られているだけだ」

「つまり?」


「侵入者は慎重に忍び込んだというより、雑に突っ切ったという感じだな。どうしてそんなことをしたのかはわからないけど、侵入者は警報が鳴っても構わないと思っていたかもしれない」


「そうか。警報が鳴らなかったのはなぜだ」

「想定されていない多量の魔力が結界に干渉したせいで警報機能がうまく機能しなかったんだな。この結界ヘボだぞ」


「結界の質の悪さは……まぁ、そうだろうな」

 川端がため息をついた。


「会長殿に進言しておくべきか。少なくとも結界を配備する魔術警備会社は変えたほうがいいと」

「それも生徒会の仕事なのか? 存外忙しいんだな」


「いや、本来は違う」

 彼は羊皮紙を取り上げて凝視しつつ言った。


「だが会長殿はあらゆることに万全を尽くすお方だ。警備用の結界が破壊され、しかるべき警報が機能しなかったのであれば生徒の代表としてこの改善を理事会に進言することになる。今回お前を訪ねたのはそのための分析が必要だったからだ」


「それでわざわざ副会長が病院に」

「僕がこの仕事を拝命したのは、単に生徒会役員の中に魔術使いが僕しかいなかったからだ。それと、最初は怪我人のお前をわざわざ尋ねて仕事を依頼するつもりはなかった。もう一人魔術に詳しそうな奴がいたからな」


「もう一人? ……上京華か?」

「なんだ、魔術以外に興味がないはず……いや、これは魔術の範疇なのか」

 川端は呆れたように言った。


「そんなに有名だったか? なら僕が知らないはずないと思うけど」

「噂でしかなかったがな。用もないのに常にベルトに杖を吊っているとか、なんだったかな……何かが実はニュートンじゃないとか、フックがどうとかで教師に食って掛かったらしいと。お前もこの前似たようなこと言っていただろう」


「世界で初めて操空間魔術を使った魔術師がロバート・フックって話か?」

「そう、それだ」

 上京のやつ、僕と同じことしていた……他人の行為として振り返ると少し恥ずかしいな。


「日に同じことを二人に言われて散々だったと先生が愚痴っていたぞ」

 しかも同じ日にやっていた。


「あー、それは間違いを教える教師が悪い」

「まぁそれはどうでもいい」

 哀れ世界史教師、生徒会副会長からも軽視される災難だった。


「で、僕のところへ来たってことは上京には」

「つれなく断られた。クラスで浮いていると聞いていたから予想はしていたが」

 川端は「浮いている」を強調して言った。まるで僕も同じだと言わんばかりだ。


「上京華か……」

「気になるのか? 杖は白色で平均より細長く見えたな」

「僕が女子を杖でしか認識しない変態みたいに言うんじゃない」


「違うのか」

「違うわ。ただ魔術師として気になることがあるってだけだ。魔力属性が何かなとか」

「……素で言っているのだと思うが、それは杖でしか認識しないのと大差ないぞ……」


 川端が急に真面目な顔になって言った。

 ……何の話だ?


 そうだ。こいつなら上京のことをもう少し何か知っているかもしれない。生徒会副会長の情報網がボッチの僕に劣るということはないだろう。


「川端。上京のことほかに何か知っているか。家族構成とか」

「なぜ急に違うクラスの女子生徒の家族構成を知りたがる……?」


 しまった。川端が引いた。僕はもしかしたら彼女が何らかのかたちで冷泉家と繋がっていて、そこから冷泉六花を引き継いだのかもしれないと思っただけなのだが……魔術師じゃなければ突然家族構成を聞くのは変に見えるか。


「知らないのか? 魔術師にとって家族構成を聞くことは血液型を聞くことと同じくらい普通のことなんだよ」

「僕は魔術師の文化に詳しくないが、それは絶対に違うと断言できるな」


 川端が立ち上がり、羊皮紙をブレザーの内側へしまい込む。もう帰るつもりらしい。まずいな。このままだと果物を対価に働かされただけで一日が終わってしまう。動物園で芸をするサルと同じ暮らしではないか。


「川端、この際なんでもいいんだよ。上京華の情報を知らないか? なんでもいいんだ。例えば、昔親が離婚して苗字が冷泉から上京に変わったとか」

「探り入れるのが下手くそすぎるだろ……この一瞬でお前が何を知りたがっているのかおおよそ想像できた」


 呆れと憐れみが混じった眼で見下ろされる。僕が対人交流に難を抱えているのは事実だが、人のことを言えなさそうな川端に同情されるのは不服だぞ。


「なぁ、頼むよ。事の次第によっては魔術世界にとってかなりの一大事なんだよ」

「事情は分からないが、残念ながら情報はない。あったとしても生徒の個人情報をほいほい口外すると思うか?」


「変なところでまともな生徒会ぶりやがって……」

「ここでまともぶらなかったらいつまともになるんだ? ともかく、分析の結果は会長殿に報告しておく。退院したら一度現場の検分もしてくれると助かる」


「そうかい。まぁ断る理由はないけど、もうちょっとやる気の出る何かが欲しいね」

「事態が解決したら会長殿のお褒めに直々にあずかれるだろう」

「……それだけ?」

「……栄誉だろう?」


 川端は僕の指摘にキョトンとした顔を返した。

 実はこいつ、そこそこやばい奴なのでは……。うちの学校、まともな生徒がいない……。

 人のこと言えないけど。

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