第3章バンクガードのルチャドーラ
3-1 敗戦と発覚
目が覚めて最初に見えたのは、覚えのない天井だった。真っ白な天井だ。どうして僕はこんなところにいるのだろうか。
体を起こしてみる。全身に鈍い痛みが走った。視界に入った僕の腕は包帯でぐるぐる巻きだ。左手首からは点滴用のチューブが三本も伸びている。
あぁ、そうか。思い出したぞ。
僕は上京に負けて……。
状況から見て、ここはどう考えても病院だろう。おそらく藤堂かジョニーが上京にやられた僕を運び込んだに違いない。
やれやれ……とんだ初陣になってしまったものだ。ちょっと上京の実力を見るだけのつもりだったのに、ここまで本格的にやられてしまうとは。ジョニーに勝っためでたさも吹き飛ぶというもの。
僕は視線を腕に向け、点滴のチューブを見つめた。チューブを満たすのは怪しく光る緑色の液体だ。点滴のパックには「ランドローザーA」と薬剤の名前が書かれている。
「回復力増強用の魔術薬か……にしてもランドローザーって、二年前発がん性で騒がれた覚えが……」
まぁ、一回や二回投与されたくらいでどうにかなるものではなかったはずだ。多分。
僕はため息をついた。それを合図にするように、病室の扉が開く。
「あっ! 先輩! 起きてたんですね!! よかったです!!!!」
「うるせぇ! 病院で出す声量じゃねぇだろ! げほぉっ!」
いつもの調子でツッコミを入れたら文字通り血反吐を吐いた。この調子だと内臓も相当ダメージを負っているな……。
藤堂は制服姿で、手にレジ袋を持って入ってきた。乱雑に袋を振りながら大股で僕の所へ歩いてくる。
「先輩、はしゃぎすぎです」
「誰のせいだよ……」
藤堂は袋からティッシュの箱を取り出して僕に差し出してくれた。彼女はそのままベッドのわきにあったパイプ椅子へドカッと雑に腰を下ろす。僕は貰ったティッシュで吐いてしまった血を拭き取りながらぼやいた。
「いてぇ……」
「そりゃそうですよ。あの上京華にボコボコにされたんですから。あっ、ゼリー食べます?」
「僕どれくらい寝てた? お腹は空いてないけど」
点滴のチューブを手繰った。パックのうちひとつは栄養剤だった。道理で空腹を感じないわけだ。
「一晩ですよ。だからいまは起床にちょうどいい時間ってところですね。食べないなら私が貰っちゃいますね」
彼女はレジ袋から大きなカップのリンゴゼリーを引っ張り出した。さっきまで乱暴な動きと打って変わって慎重に蓋を開き、薄い唇をそっとカップへつける。
「ずぞぞぞ」
「汚ねぇ」
よく見るともうレジ袋は空っぽだった。こいつ、最初から朝食代わりに自分で食べるつもりだったんじゃないだろうな。
「……負けたか」
「そうですね。完敗でした」
藤堂が僕の独り言へ律儀に反応した。
「ここは?」
「赤崎大附属病院ですよ。ほら、県の真ん中あたりの」
「ほう……?」
僕は首を傾げた。魔術薬は普通の病院では滅多に使われない。医学の発展した現代でわざわざ使う必要もないからだ。ましてや安全性の怪しいものなんて……。
僕の怪訝そうな声を察したのか藤堂が続ける。
「この病院は#SSsと提携してて、負傷したソーサラーを無償で治療してくれるんですよ」
「無償で? 北欧並みの手厚さだな」
「ソーサラーに怪我で脱退されたら困りますからね。ま、私はあまり使いませんが。勝つので」
「ふうん。この魔術薬も#SSsが?」
僕が緑のチューブを引っ張って点滴のパックを揺らすと、藤堂はゼリーを飲み込んで険しい顔をした。
「さぁ。でも無償治療だと治療方法は選べませんし、単に安くあげるためかも」
なるほど。発がん性が話題になって売れなくなった魔術薬を買い叩いてソーサラーの治療用に使っていると。なんて際どい病院運営だ。
藤堂は喋り終わると、再びリンゴゼリーに取り組み始めた。僕は体を倒し息をつく。
……結構惜しかったと思うんだけどな。あれが出てくるまでは。
「冷泉六花か……」
「なんです、それ? 昨晩も言ってましたけど」
藤堂が空になったゼリーの容器から顔を上げる。食べるのが早い。
「レイゼイ、リッカ?」
「冷たい泉に六の花で、冷泉六花。今や日本に九つしか存在しない継承大魔術だ」
「継承大魔術?」
「あのな……これも中学で習うだろ?」
僕はため息をついた。痛む手でベッドのリモコンを手繰り、上体を持ち上げる。
「魔術師は家柄が第一。子は親から様々なものを受け継ぐ。魔術的な素養、研究室と研究素材、財力・人脈の基盤……その中で最も魔術師らしい遺産が、継承魔術だ。魔術基盤に刻み込まれ、受け継いだその個人しか使うことのできない、一族オリジナルの魔術体系」
「なんかすごそうなのはわかりました。遺産争いとか起こりそうですね。菊人形に首だけ乗せられたり」
犬神家ネタでそこをチョイスする奴は初めて見た。
「実際、継承魔術を誰が引き継ぐかで大喧嘩、もとい殺し合いになって滅亡した一門もあったって聞くしな。それに、大魔術クラスの継承魔術は子供でも必ず引き継げるわけじゃない。それなりの下地がないと無理だ。だから子供に恵まれ一族の仲が良好なところでも継承魔術が途絶する例は後を絶たない」
「それで、継承大魔術が日本に九つしかないんですね」
「そういうこと。まぁ、日本みたいに近代魔術研究が遅れに遅れた国で九つも残っているのは褒められるべき成績だけどな。ひとつ残らず消滅した国も多い」
「で、そのひとつが冷泉六花?」
「あぁ。継承大魔術序列第六位、内部自動展開型礼装冷泉六花。属性は氷。順位と名前が一致しているから一番覚えやすいだろ?」
藤堂は少しの間沈黙して、首を傾げた。だめだこりゃ。事態の大きさがあまりピンときてなさそうだ。
「お前な……継承大魔術の六位を使えるってことは、もうほとんど『日本で六番目に強い』ってことと同義だぞ。継承魔術は大抵の場合、詠唱なしで即座に行使できる。大魔術でそれが出来るなんて、無から秒でスペースシャトルを作り上げるようなものだ」
「はぁ……なんかとんでもないことはわかりました。でも……」
藤堂はスプーンを口に咥えながら不服そうに言った。
「上京が日本で六番目に強い! って感じしませんけど」
「そこなんだよなぁ……」
僕は呟いて天井を見上げた。上京華が強力な魔術師であることは論を待たないだろう。だが、そこまで極端に強いかというと……。
「もし本当に上京がそこまで強いなら、懸賞金百七十万じゃ済みませんって」
「だよなぁ。それに、上京が冷泉六花を持ってるってのもおかしい」
「そうなんですか? そういえば先輩、上京に聞いてましたけど」
怪訝そうな顔をする藤堂へ向き直って僕は言う。
「冷泉六花はその名の通り、冷泉家に継承される魔術のはずだ」
「冷泉って、あの冷泉百貨店の?」
「そう。そして南風浜魔術大学の学長になった冷泉六峯が十二代目の魔術一門」
「十二代目ってことは、えっと……ひとり五十年としても、六百年ですか……え? 六百! それって平安時代っ」
「室町から戦国時代だ。まぁ、現代から見れば似たようなものだけど」
藤堂がはぁはぁと感心したように頷く。
「そんな昔から継承されてたんですね。あの羽。どうりで埃っぽいと」
「魔術に埃は積もらないだろ」
「匂い的な話ですよ」
「匂い……?」
こいつの言うことは時々よくわからん。
……時々か? まぁ、それはともかく。
「あっ、そうか。冷泉立花が冷泉家の継承魔術なら、なんで冷泉って苗字じゃない上京が使えるんですかね?」
藤堂も謎に気づいたらしい。
「そこが気になるんだよ、僕も」
冷泉六花は冷泉家の人間にしか使えないはず……なぜで「上京」華が使えた?
「冷泉六花によく似た別の魔術だとか……?」
「その可能性もあるけど……」
確かに、魔術式をあれこれこねくり回せば「よく似た見た目をした別種の魔術」を作ることは不可能ではないだろう。上京は相当手練れの魔術師らしいし。だが、そうするメリットがあるかと言われると微妙だ。
それに、あのとき感じた魔力の圧。あれは間違いなく大魔術クラスのものだった。いくら腕が立つといっても、高校生が大魔術を一から組み上げるのは難しい。金属素材から自力でオートバイを作り上げるようなものだ。
だとすれば、やはり冷泉六花……?
本人に疑問をぶつけたときには無視されてしまった。そもそもあれが本物かどうかすらわからないままだ。
「そういえばパイセン。まだわからないことがあるんですけど」
「うん?」
藤堂がこちらへ軽く身を乗り出す。彼女の座るパイプ椅子が音を立てて軋んだ。
「上京の攻撃方法に気づいたっぽい感じでしたよね。私、前に戦ったとき全然わからなくて苦労したんですけど、教えてくれません?」
「……う~ん」
僕は藤堂を見て呻いた。彼女の眼は期待にらんらんと輝いている。次こそ奴をぶちのめすと顔に書いてあった。
魔術師の手の内を吹聴するのはあまりマナーのいいことじゃないんだけどな……。特に相手がリベンジに燃えた魔術使いの場合は。
まぁでも、向こうだって戦闘を覗き見して手の内を把握した挙句ぼこぼこにしてくれたのだから、おあいこか。
「最初のやり取りで上京の魔術属性が特殊属性の氷だってことはわかった。あとはそこから考えればいいわけだけど」
「それが難しいんですよ。あの念力パンチみたいなのなんなんですか? そこらじゅうのものを投げつけられたり、かと思ったら見えないところからいきなり衝撃が飛んで来たりで大変なんですけど。氷属性なら空間操作はできないはずでしょう?」
ほう。上京はあの魔術を単純な打撃攻撃としても使っていたのか。これはいいことを聞いた。
僕は柔らかい頬を膨らませる藤堂に向かって説明する。
「あれはおそらく、空気を冷やして大気を操っているんだろうな。温度が周囲と極端に違うと気圧も変わる。気圧、つまり圧力だな。魔力でその空気を集めて操れば圧力を操れることになる。細かい操作は必要だけど、そうすれば物を持ち上げることが可能だ」
上京が僕へ向かって石を飛ばしてきた攻撃は、ああやって成立させたのだろう。最初、「フラットスパイダー」で彼女に出会ったときに見た光景がヒントになった。大きなケースを持ち上げたのも同じ詠唱による魔術だった。
「見えない打撃も同じことだ。物を掴むかそのまま殴るかの違いでしかない」
「むぅ……空気の塊に殴られてたんですね……でも、それじゃあ防ぎようがなくないですか?」
藤堂は真剣な表情で腕組みをする。真面目に考える彼女の姿は初めて見たかもしれない。なんだかんだ言って#SSsには真剣なようだ。
「防ぐ方法ならある。向こうが空気の塊なら、その空気を乱せばいい。あの魔術はかなりデリケートだから、少々強く震えさせればすぐにおじゃんだろう」
実際、上京との戦いで僕は電流を使って攻撃を妨害した。雷は大気中を切り裂くように突き進む現象だ。空気を乱して魔術を邪魔するにはぴったりだったわけだ。
うぅむ。こうして考えると、あのときの僕はかなりついていた。とりあえず使ったトルマリンの電気は上京の主要な攻撃手段と相性が良かったし、ひとまず温存しようと決めたルビーの炎は言うまでもなく氷属性に効果大だ。
チャンスを生かして勝てなかったのが悔やまれる……。
「あ、それともうひとつ」
「うん?」
藤堂がさらに身を乗り出して僕へ近づいた。
「先輩の指輪って一日に一回しか使えないんじゃなかったです? なんか二回使ってましたよね?」
「あー……」
じーっと藤堂がこちらを見つめてくる。猫のような細い瞳が獲物を狙うように怪しく光った。
まずいな。上京ならともかく自分の手の内を明かすつもりはないぞ……。
僕は目を逸らした。どうしたもんかと考えていると、廊下から荒っぽい足音が聞こえてくる。
しめた。朝の回診かな? にしては随分ドタバタしているが……。
扉が開かれた。
入ってきたのは医者でも看護師でもなかった。彼女の姿を見た瞬間、僕は大事なことを忘れていることに気づいた。
それは……。
「高人!」
「あっ、姉さん……」
姉さんの声が病室全体を震わせた。しまった。そりゃそうだ。病院に一晩いたということは、帰宅しなかったということだ。姉さんに#SSsのことは筒抜けだろう。
まずったな……いつか話さなければいけないとは思っていたけど、ここまで早くバレるつもりはなかった。せめて、学費をあらかた稼いでからにするつもりだったのだが……。
姉さんは怒りと怯えが混じったような顔をしていた。僕が初めて見る顔だった。どう返事をしていいかわからない。藤堂へ視線を向けると、彼女はバツが悪そうにプラスチックのスプーンを咥えて目を逸らした。
姉さんは床を踏み割りそうな勢いで僕の傍に来た。逃げ出したかったが当然動ける体じゃない。
「高人」
姉さんに見下ろされる。僕は彼女の眼を見られなかった。
「……なんで?」
姉さんが聞きたいことはわかる。気まずい沈黙。
どうしようか。このまま黙っていようか。
それとも。
「あの、お姉さん、これはっ……」
耐えかねた藤堂が弁明しようと口を開いた。だが、僕は彼女を手で制して黙らせる。後輩に重荷を投げる無責任はできない。
どうせ通る道だ。逃げるべきではない。
「姉さん。#SSsのことは?」
「聞いてる。……全部。お医者さんから」
「……学費を稼ぐためだ。魔術大学に入れるだけの学費を」
「そんなのっ!」
姉さんが一瞬激高したように声を張った。だが、藤堂がびくりと震えたのを見て声が詰まる。
「……私が稼ぐって」
「姉さん。姉さんの気持ちは嬉しいしありがたい。でも……」
僕は息を大きく吸った。姉さんの顔を見る。姉さんはいまにも泣きそうな顔だった。目も首も肺も、全部が怪我のせいで痛い。でも、歯を食いしばって痛みを堪える。
「無理だよ」
廊下から響き渡る音が遠くなる。
「無理だ。姉さんの仕事じゃ必要な学費を貯められない」
「そんなの……わかんないじゃない」
「わかるよ」
僕は言い切った。自分と一緒に姉さんを切り捨てるように。
「姉さん。姉さんも本当はわかっているだろ? 魔術大学に行くには年に八百万、ことによってはもっとかかるかもしれない。こんな額、両親が揃っていても相当な金持ちじゃなきゃ無理だ。奨学金借りるにしたって限界がある。姉さんの収入じゃ、日々の生活費をどうにかするのが精いっぱいだ。いや……」
僕は息継ぎして続けた。
「本当は生活費だってどうにもなってない。知らないと思った? 姉さんが毎月通帳と家計簿を睨んでいるのを。父さんと母さんの保険金をちょっとずつ食いつぶして何とかしているんだろ? 僕の高校の学費だって賄いきれてないのに、魔術大学の学費なんっ」
言葉が切れた。姉さんに平手で叩かれたからだ。右の頬がじんじんと痛む。けど、怪我の痛みに比べたら大したことなかった。
「そんなに……そんなに私が頼りない……?」
姉さんの声は震えていた。
「私だって……頑張ってるのよ……」
「頑張るとか頑張らないとか……頼れるとか頼れないとか……もうそんな次元じゃない」
姉さんが無言で自分の手を握りしめた。
「もう……無理だ。このまま#SSsを続けるか、夢を諦めるか……その二択しかない」
「それで……死んだらどうするのよ」
姉さんの声は小さかった。でも、長い針のように僕の耳へ刺さった。
姉さんは僕に背を向けて離れていく。
「家族は……もう私たちしかいないのよ」
病室から出ていく。藤堂が立ち上がって追いかけようか迷う素振りを見せたので、僕は再び手で制した。
「……悪い藤堂、巻き込んで。でもこれは家の問題だ」
藤堂は椅子に座りなおした。椅子が軋む音に紛れた「ごめんなさい」を僕は聞き逃さなかった。
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