2-4 冷泉六花

「YOU WIN!」

 スマホから高らかに宣言が鳴り響く。どうやら決着がついたようだ。


 僕はまだビルの階段に座っていたから、ジョニーがどうなったのかわからない。まぁでも、スマホが勝ったと言うなら勝ったのだろう。


「二十万でこれか……大丈夫かな、これから」

 僕は手すりにもたれかかるようにして階段を降りた。ジョニーに散々弾丸を撃ち込まれた体がずきずきと痛む。


 油をさし忘れた機械のようなぎこちなさで、ようやくビルの一階まで辿り着いた。ビルの扉は水圧で壊れどこかへ流されてしまっていた。


 裏口から少し行ったところにジョニーが伸びていた。災害クラスの鉄砲水に押し流されたはずだが、テンガロンハットは被ったままだった。呆れたというべきか、天晴というべきか。


「先輩!」

 路地の向こうから藤堂が駆け寄ってくる。彼女と一緒にジョニーの取り巻きたちも数人走ってきた。彼らはくたばってるジョニーを見つけると一瞬たじろぐ。


「勝った……んですね?」

「あぁ。死んでないよな、ジョニー?」


「もぞもぞ動いているので生きてますね。死んだらスマホが反則負けを宣言するはずですし……」

「そんな機能まで」


 スマホが僕の勝ちを告げたということは、やはりジョニーは死んでいなかったわけだ。もちろん、死なないとわかってて攻撃したわけだけど、こればっかりはやってみないとわからないことも多かったからな。


「ジョニーさん! 大丈夫ですか?」

 バイカーギャングの取り巻きたちが騒ぎ出した。藤堂の後ろから覗き込むと、ジョニーがのそのそと起き上がるところだった。


 彼はギャングたちの肩を借りて立ち上がり、テンガロンハットを脱いだ。帽子に残っていた水がぼたぼたと落ちて地面を濡らす。


「負けたよ……ったく。最近若いのに負け続けてる気がするぜ。もう年かもな」

「いや、僕もやばかった。この作戦がなかったら勝てなかったよ」


「一体いつ思いついたんだこんなもん」

「そうですよ先輩。逃げ回ってばっかで。#SSsのコメント欄炎上してたんですからね」


「するんだ、炎上……」

 エゴサはしないようにしておこう……。


「でもルール違反じゃなかっただろう? 入り組んだ階段は拳銃の強みである距離を稼ぎにくいし、ジョニーは僕を追ってくることしかできない。過去の試合の映像を見る限り魔術弾以外の魔術を使うそぶりもなかったから、隠し玉があってもあの鉄砲水をどうにかできるものではないと予想できた。それで、都合のいいビルを予め調べておいて準備しておいたわけさ」


「なるほど。姑息っちゃあ姑息だが、事前に魔法陣仕掛けたりしなければルール違反じゃないからな。魔術師らしいセコイやり口だ」


「ほら、いまもコメントで叩かれてますよ。男らしくないって」

「見せてこなくていいよ。勝てばいいんだよ勝てば。それに、魔術師なら事前準備はむしろ常套手段だろ? 情報を集め、装備を整え罠を張る。『魔術戦闘の原則』にも書いてある」


「なんだそれ?」

「知らないのかジョニー? アメリカの魔術師が書いた超ベストセラーじゃないか。あれ? イギリス人だったか?」


「どうでもいいですよ。ともかく先輩、おめでとうございます。これで二十万獲得ですね」

「あぁ、まずはな」


 いい加減立っているのがしんどくなってきた。僕はビルの壁にもたれかかろうとした。だがジョニーに首根っこを掴まれてしまう。


「よし、飲むぞ小僧!」

「いや見ての通り未成年……」


「馬鹿野郎。誰が酒っつった。コーラをおごってやるよ。ハンバーガーもな!」

「炭酸苦手なんだけど」

「なんだよ。まぁいい、来い! 祝杯だ! 勝負の後は騒ぎに限る!」


「明日学校なんで」

「休め休め!」

「悪い大人だ……」


「はいはーい! 私もハンバーガー食べる! お腹空いた!」

「言うと思った。ついでにお前もだ!」

「やったー!」


「藤堂、そんなことしてるから授業サボって昼寝することになるんだろ」

 とは言うものの、僕もこのまま帰るのはなんだかつまらないと思い始めていた。


 時間差でじわじわといい気分が胸の奥から上がってくる。勝った……初めて勝てた。それに二十万だ。たった一晩、時間にしてせいぜい三十分ほどで二十万稼ぎ出せた。ということは……勝利が二日に一回でも一か月で数百万ペース。


 いけるぞ……学費を稼げる。もっと強くなればもっと簡単に……日に何度も戦ったり、もっと懸賞金の高い相手に勝ったりできれば、もっともっと……。


 #SSsの存在を知ったときに感じた希望が、より現実的になってくる。不可能だった夢に手が届きそうになる。実感がようやく湧いてきた。


「ちょっと……いいかしら」

 僕が勝利の余韻に酔いながらジョニーに引きずられていると、不意に透き通るような声が響いた。


 いつの間にか、僕らの前に少女が立っていた。

 あの氷ガールが。


 氷ガール、上京華はいつか店で出会ったときと同じ制服姿だった。天城原学園の白いブレザーが薄暗い路地に輝く。彼女はすでにホルスターから真っ白な杖を引き抜いていた。左手にはスマートフォン。


「石見高人ね? そこの指輪の魔術師が」

「そう、だけど……? ファン?」

「んなわけないでしょ! ……上京華っ!」


 僕よりも先に藤堂が反応した。闘志を剥き出しにして一歩前に出る。喉の奥からグルグルと低い声を鳴らし、髪の毛が威嚇する猫よろしく逆立っているようにすら見える。

 負けたのが相当悔しいのか。


 だが、上京のほうは藤堂を一瞥するとどうでもよさそうに鼻を鳴らす。

「あなたに用はない。どうせ私が勝つもの、興味ないわ」


「むきー! なんなんだこのぉ!」

「落ち着け嬢ちゃん。猫が猿になってどうする」


「にゃ、にゃにー!」

「猫になれって意味じゃねよ」

「そういうのいいから……何の用だ、上京?」


 僕が尋ねると、彼女は返事をする代わりにスマホの画面をこちらに見せて振った。ぴこんと僕のスマホから電子音がする。見ると通知が来ていた。

 対戦の申し込み。


「面白そうだから戦ってあげる。来なさい」

「なんで上から目線なんだよ……」

 僕はそう言いつつ腕時計をちらっと見た。日付はもう変わっている。

 切り札は使えるな……。


 深呼吸をして、体から勝利の高揚感を抜いていく。

 落ち着いて計算しよう。


 上京華。懸賞金百七十万円か……。ジョニーの八倍以上だ。彼にあれだけ苦戦した僕が彼女に勝てる目はない。

 普通に考えれば。

 しかし、いまは状況が普通ではない。そこをおさえなければならない。


 上京の目を見る。少し顔を上げて僕を見下すような視線をとっている。

 どうして彼女が僕に突っかかってくるのかはわからない。が、僕のことを甘く見ているのは確からしい。


 いや、それは彼女の油断ではない。客観的な事実として、いまの僕は上京より圧倒的に弱い。彼女が僕を雑魚として認識するのは全くもって正しい態度だ。

 その正しさにこそ、つけ入る隙がある。


 上京は僕の「切り札」をまだ知らない。ジョニーとの戦いを覗き見ていたのなら、宝石魔術に制限時間があることはすでに気づいているはず。それが油断につながっているのだろう。


 その油断を突くことさえできれば、あるいは……。

 相手の虚を突くなら、こちらが圧倒的に不利に見える状況で戦ったほうがむしろ都合がいい。


 それに……最悪負けても得るものはあるか。この地域で最高レベルの懸賞金を誇るソーサラーの実力を知っておいて損はない。やるなら早いほうがいいだろ。


 懸賞金百万越えのソーサラーに勝ち目があるかどうか。これは今後の僕の稼ぎ方にもかかわってくる。


「……わかった。やろう」

「ちょっと先輩! 先輩はいま満身創痍でしょう?」

「ほんとに大丈夫か? 初勝利でテンションおかしくなってないか?」


 藤堂とジョニーが同時に声をあげた。僕は軽く腕を振って彼らを制する。


「大丈夫だよ。ちょっとしたお試し程度だ。僕は上京の手の内を知れる。上京はほぼ確実に十万円手に入れられる。お互い損しない戦いだろう」

「ほぼ?」


 上京が小さな声で呟いた。風の音にかき消されそうな声量だったが、その呟きはしっかりと僕の耳に届く強さを持っていた。


「その言い方だと、あなたが勝つ可能性があるみたいじゃない?」

「ゼロではないだろ? 理論上は」

「無視できる確率まで計上する立場はとらないんだけど」

「はいはい」


 僕はスマホの画面を上京へ見せた。挑戦受諾のボタンを押す。

 彼女はそれを見ると、無言でスマホをブレザーへとしまった。杖を握り直して小さく息を吐く。


「先攻は譲ってあげるわ。来なさい」

「そいつはどうも……」


 上京に応じつつ、僕は頭の中で切ることのできるカードを再確認する。

 彼女はそうは思っていないはずだが、いまの僕は全ての指輪をもう一度使える状態にある。しかし、そのまま使っても単に相手をびっくりさせるだけ。


 上京の認識では、僕は盾を展開するダイアモンド、炎のルビーと水のラピスラズリ、光のクリスタル、大気操作のラピスラズリ、回復用のガーネット、植物を操る琥珀が使えないことになっている。回復はこっそり使ってしまえばいいし、作成してから日の浅い琥珀とクリスタルはまだ決定打を与えられるほど使いこなせてないのが実情だ。


 となれば、やはり単純な攻撃力に優れるルビー、そして硬い防御力を誇るダイアモンドをいつ使うかが大事だな。理想的なのは相手の決定打をダイアモンドで防いで虚を突き、ルビーの炎で逆襲する流れだ。


 その流れを引き出すためにはどうするか。ジョニー戦で使った指輪は七つ。残っているのは三つ。


「"偽造の電気石イミテーション・トルマリン"」

 左手の人差し指の指輪が宝石へ変わる。緑と紫色が混じりあったトルマリンだ。

 同時に、僕の体が帯電し始める。


「電気ね……その程度の雷が私に通じると思う?」

「さてね。……おい、野次馬諸君」

 僕は声を張って横にいる藤堂やジョニーに呼びかけた。


「先に謝っとく。巻き込んで悪い!」

 左腕から雷を放つ。目標は上京……ではない。足元だ。


 さっきの鉄砲水で水浸しになったアスファルトへ。


 ビルの間を雷鳴が駆け抜けた。

 衝撃でビルの窓ががたがたと音を立てて震える。突発的な通電によって温度が上昇した水が爆ぜて飛び散り、白い水蒸気となってあたりに漂う。


「て、てめぇ……」

「にゃぁ……」


 煙の向こうから呻き声が聞こえていた。四方八方へ広がった電流を受けて感電したジョニーや藤堂が少し焦げながら地面に倒れている。

 だが、目の前には平然と二本の足で立つ人影があった。


「……ほら、効かない」

 煙が晴れ、上京が姿を現した。僕は彼女の足元を見て目を見開く。

 水が凍っている!?


 水属性の魔術で水温を変化させたのか? いや、電流のせいで足元の水は蒸発するほどの高温になったはず。それを詠唱なしで凍らせるほど急激に冷やすのは並大抵のことではない。


 それが出来るとすれば……。


「"Winter’s冬の荒 ragged handsれくれた手よ"」

 上京が指揮者のように杖を振るった。足元の小石がいくつか宙へ浮き、僕へ真っすぐ殺到する。


「やはりかっ」

 僕は左腕から雷を放って小石を叩き落した。


 上京が再び杖を振る。今度は何かが浮くようなことはない。だが、右の頬に一瞬だけ冷気がかかった。僕は咄嗟にそちらへ電流を流す。ボンっと小さく何かが爆ぜるような音がして、冷たい風が吹き抜けた。


「……へぇ」

 上京がようやく、こちらを見下す以外の感情を顔に出した。感心したように眉を軽く持ち上げる。


「私の魔術、見切るのね」

「タネは分かったぞ、氷属性……」

 相手の魔術属性が割れれば勝ち筋も見える。やはりルビーを温存したのは正解だった。

 上京は右足を上げ、その場へ叩きつけた。足元の氷が砕けてバラバラになる。


「思ったより楽しめたから、とりあえず今日はこのくらいでいいわ。夜も遅いし、明日も学校だし……終わりにしましょう。"Stormy gusts冬の日の身 of winter’s dayを切る烈風"」


 呪文の詠唱とともに、彼女の周囲に風が巻き起こる。真冬のように冷たく、肌を切るほど鋭い風。その風が彼女の足元にあった氷の破片を巻き上げていく。

 上京が杖をこちらへ突きつけた。杖に操られた寒風が向きを変え、一気にこちらへ流れ込む。氷のつぶてとともに。


「先輩危ない!」

 藤堂が叫んだ。だが、止めの大振り、これこそ待ち望んだ好機だっ……。


「"偽造の金剛石"」

 右手を突き出して詠唱する。ぶ厚い魔力の壁が展開され、竜巻と雹を全て弾き返す。


「なっ……」

 上京が僅かながら声をあげて驚いた。出てくるはずのなかった魔術の登場だ。ようやくびっくりしたか。


 ダイアモンドの盾に弾き飛ばされた氷の破片は、そのまま上京へとマシンガンのごとく返っていった。彼女は舌打ちし、大雑把に杖を振って自分に降り注ぐ氷を吹き飛ばした。


 僕は、上京が杖を振り切ったタイミングで盾を解除して走った。杖は魔力の方向を決める指示器だ。それを相手から大きく外すのは魔術師が最も避けるべき愚行っ!


 上京は僕の接近に気づいた。慌てて杖を引き戻そうとする。だが、苛立ちとともに強く振り抜いてしまった腕を戻すのは時間がかかる。たった数秒のことだが、僕が攻撃の間合いに入るには十分だ。


 僕は再び左腕を突き出した。すでにトルマリンは解除している。別のやつを使わなければいけないからだ。


「"偽造の紅玉"!」

 左腕に熱が集まる。渦を描いた魔力が炎へ変わり、火球となって腕から飛び出す。ハンドボール大の炎が上京の顔へ迫る。


 上京が目をつむって顔を逸らした。僕は成功を確信する。防ぎようのない攻撃だと彼女に認識されている。

 いける!


 爆発音。次いで静寂が響いた。黒い煙が爆風でまき散らされ、視界が遮られる。


「や、やった……?」

「あいつ、百七十万の敵を……?」


 藤堂とジョニーが口々に言った。戦闘の緊張が切れたのか、背中の痛みが強くぶり返してきて僕はその場にしゃがみこんだ。激痛が走って、体が自然と猫背になってしまう。

 これで勝てなかったらもうダメだな……。


「……たのに」

 煙が晴れる。上京の姿はまだ見えない。


「使いたくなかったのに」

 いや違う。上京の姿は見えている……? ただ、上京は白い膜のようなものに包まれて球体状になっていて……?


「死ね!」

 直接的な罵倒とともに僕の体が吹き飛ばされた。何が起こったかわからないまま体が宙を浮き、地面に叩きつけられる。


「がっ……!」

「先輩!」

 アスファルトを転がった僕はうつ伏せに倒れた。痛む体に鞭を打って何とか顔を上げ、事態を把握しようとする。


 白い球体の膜が一枚ずつ剥がれていく。二枚、三枚、四枚、五枚……六枚の膜が離れ、翼のように広がっていく。

 「ように」ではないか……膜は上京の背中から生えている。あれはまごうことなき翼だ。


 彼女の六枚の翼が真っすぐ伸びる。周囲の空気が冷えて硬直した。固まった空気は肺を動かしても吸い込めず、息苦しい。


 翼を広げた上京の体が浮く。広がった翼はそれぞれ、中心に太い柱が伸び、そこから何本も枝が別れていた。遠くから見たその姿は、雪の結晶に近い。

 これは、見覚えがある。


「これは……使うはずじゃなかった」

 上京が呻くように言った。冷えた空気にドスの効いた声が震えて響き渡る。

「その魔術は……」


 僕は浅い呼吸で精いっぱい力を込めながら声を出した。いま、それを言わなければいけない理由はない。ないのだが……どうしても聞きたかった。


 なぜ。なぜ上京華がその魔術を使えるのか。

 知りたい……。


「なぜ、冷泉六花を」

 上京が息を詰まらせた。言葉で心臓を抉り出されたかのような顔をする。

 あぁまずいぞ。地雷を踏んだか……。


「……三度死ね! "Three winters三度の寒い冬が cold have from 森の木々からthe forests shook 三度も夏の華やぎthree summers’ prideを振るい落とす"!」

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