2-3 プランB

「えっさ、ほいさ、えっさ……ふぅ……」

 フラッシュを使って逃げを打った僕は、痛む体を半ば引きずるようにして路地裏を早足に進んでいた。


 計画は失敗を前提に立てるべきだ。過去の動画でジョニーの戦い方をリサーチしていた僕は、プランAとして「懐に入って速攻」作戦を計画していた。僕の魔術には時間制限があるし、銃は至近距離相手に実力を発揮しづらい。初手で打つ作戦としては一番合理的だ。


 だが、それですべてがうまくいくとも思っていなかった。ジョニーのほうが戦い慣れしているし、二丁目の拳銃のような隠し玉が出てくる可能性もあった。魔術師は手の内を隠すものと相場が決まっている。プランAだけで戦えば、それを破られたときに手の打ちようがなくなってしまう。


 そこでプランBだ。もっとも、この作戦は少々面倒なうえにうまくいく確率は低い。だからプランBなのだが……これを決めなければ本当に手の施しようがなくなる。


 僕は歩きながら手のひらを見つめた。十本の指にはめられた指輪のうち、すでに使ったのはダイアモンド、ラピスラズリ、琥珀、ルビー、そしてさっきの水晶で五つ。もう半分もカードを切ってしまったことになる。


 左腕を捻って時計を覗いた。十一時五十八分。「あの時間」まであと少しだ。この分なら出し惜しみなく残りの五つも使ってしまっていいだろう。


「よっこらせっと」

 僕は物陰に腰かけた。この十分そこらで一年分運動した気分だ。マラソン大会万年最下位には辛い。


「"偽造の柘榴石"」

 指輪が赤いガーネットに変わる。全身に温かい血液が巡り、体の痛みとだるさが和らいでいった。これでもうしばらくは動けるだろう。


「あとは……」

 ジョニーと距離を離したが、慌てていたために当初の予定より突き放してしまったかもしれない。僕は物陰から顔を出して外の様子を伺おうとした。


 だが、瞬間的に嫌な予感がよぎった。すぐに顔を引っこめると、さっきまで僕がいたところへ弾丸が直撃した。


「危ねぇ!」

「やっぱりそこにいたか小僧!」

 銃声に続いてジョニーの声が響く。もう追ってきたのか。


「魔力が駄々洩れなんだよ。俺でも追いかけられたぞ。基本がなってねぇな」

「うるせぇ。僕の魔力は膨大なんだよ。人としての器と同じくらいビックサイズだ」

「やかましい!」


 魔力は彼に追いかけてもらうためにわざと痕跡を残しておいたのだが……ジョニーの方向から容赦なく銃弾が飛んでくる。これではハリウッドめいた銃撃戦だ。顔を出す余裕もない。せめて援護してくれる人がいれば移動できるのだが。


 しかし、プランBの実行地点まではあと少し。辿り着けば勝てる。ここは気合入れていくしかない……。


 僕はガーネットの指輪に魔力を込めた。これでダメージを受けたところから即座に回復できる……はず。

 自分で自分を傷つけるとか嫌だから試したことないけど、理論上はいけるはず!


「全然当たらないぞノーコんがぁっ!」

 物陰から立ち上がり駈け出そうとした途端に一撃食らった。背中に思いっきり激痛が走る。だが一瞬だ。一瞬……そうでもないな? 結構痛いのが続くぞ? まずいのでは?


「考えなしに出てきたな!」

「考えはあるんだよ! 理屈が体に先行してるだけだ! 痛ってぇ!」


 背中にもう二発食らいながら僕は路地を横切って曲がった。ジョニーも駈け出して追いかけてくる。彼が完全に僕を見失わない程度に速度を調整しつつ、次の曲がり角まで急いだ。ジョニーが顔を出して僕を見たのを確認してから曲がる。


「ちょこまかと……」

「ほらほらカウボーイ。こっちだ!」


 逃げばかりだと疑われそうなので、振り返って僕も魔術弾を撃ったりしてみる。血液に意味づけられたガーネットを通しても大した意味はないが、それでもジョニーは角に引っ込んで慎重に弾丸をかわした。


 色々な魔術を使う僕がどんな魔術弾を撃ってくるか見定められず、受けの一手を取れないのだろう。着弾直後に大爆発を起こす魔術弾という可能性も否定できないのだから当然だ。


 僕は次の角に辿り着いて体を隠した。距離が十メートル近く開いている。しかもエアコンの室外機やごみ箱といった障害物が多く射線を取りにくい場所だ。


「撃ち合いか? やっと面白くなってきたぜ」

「余裕こいてる暇あるのかよ? そこからだと僕を撃てないぞ」


 もう何発かガーネットの魔術弾を撃ち込んでおく。そろそろこれも時間切れか。いい加減、作戦地点に辿り着きたいな……。


「魔術弾に制約かけたのを後悔し始めてるんじゃないのか? 弾を曲げられたらこんな障害物簡単に避けられるのにな」


「そいつはどうかな? 弾を曲げる方法は魔術だけじゃねぇぞ?」

「ん?」


 ジョニーの声と同時に三発の銃声が響いた。まぁ、銃弾を曲げられると宣言している奴の攻撃をこんなところで突っ立って待っている義理はない。念のために後ずさりして路地のさらに奥へと移動しておく。


 だが、僕が退いた曲がり角にいきなりジョニーが現れた。


「なっ!? いつの間に?」

「安いブラフに引っ掛かりやがって! 敵の位置を確認しないからだ!」


 そうか、弾を曲げる宣言は嘘だったのか。僕に曲がり角から退かせて一気に距離を詰めるための。まずい。僕はいま路地の半端なところに立っている。次の曲がり角までまだ距離があるぞ……。


「くそっ」

 だが選択肢はない。僕はジョニーに背を向けてダッシュした。まだガーネットの効果は生きている。数発なら耐えられる……。


「ぐっ!」

 背中に一発食らった。そのまま二発三発と立て続けに撃ち込まれる。五発受けたところでようやく角を曲がってジョニーから逃れられた。もう背中が痛すぎて何がなんだがよくわからなくなってきている。


 足がもつれる。思わず地面に転がってしまう。顔をあげた。目の前にビルの裏口があった。あれだ。あれが目的地……。


「逃がすか!」

「くそぉっ」


 背中に最後の一発を食らった。勢いで前へ吹っ飛ばされる。背中が熱い。ガーネットの治癒効果ではない。何度も魔術弾を撃ち込まれて皮膚がずたずたになり出血し始めている。まずいな……いや、都合がいいのか。


「ここまでしぶとい奴は初めてだ。だがあんまり汚い戦い方してるとファンがつかねぇぞ?」

「知るか。勝ちゃいいんだよ、勝ちゃ……」


「負けてたら意味ねぇだろ」

「うおっ」


 即座にリロードを終えたジョニーの追い打ちを何とかかわして、僕は裏口の扉に飛びついた。扉はすんなり開いた。


 鍵は予め壊しておいたからな。


「どこまで逃げる気だよ!」

 ジョニーの言葉を無視して僕はビルへ入った。裏口はすぐに階段へ通じており、この階段が屋上まで続いていることも調べがついている。


 そしてこの階段は狭い。幾重にも折り重なるようになっていて、僕とジョニーの間に射線を確保するのが困難な作りをしている。古めかしい階段をよじ登るように上へ上へと進んでいく。


「おい小僧! マジでどこまで行く気だよ!」

 ジョニーの怒鳴り声が階段に木霊した。僕は構わず上へ突き進む。そしてようやく、七階のさらに上、屋上に続く扉にまでたどり着いた。ドアノブをひねる。だが、鍵がかかっていて開かない。


「ようやく追い詰めたぜ……」

 ぜーぜーはーはーと息を切らすジョニーが、ひとつ下の踊り場に立っていた。まだ銃は構えていない。息を整えるまで待つつもりらしい。


「ビルの入り口は偶然開いていたようだが、いい加減運の尽きらしいな。ここにはもう逃げ場はない。負けを認めろ」

「……それはどうかな?」


 ジョニーの目が吊り上がる。足を引いて身構えた。いつでも動き出せるようにか。僕は疲れ切って立っていられなくなった……っぽく見えるように気を付けて体から力を抜き、その場にしゃがみ込む。


「なぁジョニー。お前、高校のとき文系と理系どっちだった?」

「はぁ?」

 突然の意味不明な質問に、ジョニーが怪訝そうな顔をした。少し警戒が緩む。


「……文系だったが?」

「じゃあ物理はやってないな」

「それがどうした? いま関係あるのかよ」


「いや、必要な話じゃないけど……自分のやられ方くらいは知っておいたほうがいいかと思って」


「ほう? この状況でどうやって俺に勝つっていうんだ? お前はまだ俺にまともな攻撃を食らわせられてねぇんだぞ?」


「ジョニー。知ってるか?」

 僕は右手を見た。薬指の指輪が光って青い宝石へと変化していく。


「水流は狭いところのほうが速いってことを」

「っ!」


 ジョニーは背後を振り返った。そこには狭く折り重なった階段が続いている。地上七階分も。


「"偽造の藍玉"」

 指輪から発せられた魔力が大量の水に変化し、階段を駆け下りていく。ジョニーは苦し紛れに銃弾を放ったが、すでに足元を水に掬われていた。弾は僕の頬を掠めて外れていく。


「この際どい外れ方って、映画とかでよく見るよな……」

「くっそぉぉ!」

 僕の感慨はジョニーの断末魔にかき消され、彼は階段の下へと流されていった。

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