第2章早撃ちジョニー
2-1 その名はジョニー
机の上に鉱石標本が並んでいる。手のひら大の白い箱に敷き詰められた綿の上にちょこんと乗る小さな石たち。どれも黒色や茶色をした地味な鉱石ばかりだ。黄銅鉱や珪ニッケル鉱、錫、硫黄、石膏……魔術的にもあまり使用されるものではない。
今晩、僕は初めて戦いに行く。厳密に言えば初めてではないけれど、藤堂とのあれはデモンストレーションみたいなものだったし、夜の街に繰り出して敵と対峙するのが初めてなのは事実だ。
どうしても緊張で落ち着かない。こうも緊張したのは、初めて指輪を――この十本の指にはめられた指輪のうち、最初のひとつを作り上げる魔術を走らせたとき以来かもしれない。
僕は石膏の標本を手に取った。標本の箱にはラベルが貼ってあって、豆粒みたいな手書きの字で鉱石の名前や採取された土地の名前が記されていた。紙製のラベルは少し黄ばんでいる。
腕時計をちらりと見る。午後十一時二十六分。そろそろ準備して家を出たほうがいいかもしれない。僕が椅子から立ち上がって伸びをしている、窓を叩く音がした。……ここは九階である。
振り向くと、窓に少女が張り付いていた。二度目の光景なのでもう驚いたりしない。窓を開いて招き入れると、少女は猫のように無音で部屋に着地した。
「先輩、遅いです」
藤堂が憮然として言った。別に彼女が憮然とする理由はない。
「いま行くところだったんだよ。集合時間はまだ少し先だろ」
「待ちきれないですよ」
「なんで戦う当人よりワクワクしてるんだよ……」
僕はため息をついて椅子へ座りなおした。藤堂は無遠慮に僕の部屋を見渡す。
一応、魔術師としては他人に研究成果の宝庫を無造作に公開するわけにはいかない。僕は机の上に広げられたままだったノートをさりげなく閉じた。
まぁ、藤堂がそういうものに興味を示すとは思えないけど……。
「よぉし。先輩の部屋に入ったからには」
「なんだ?」
「エロ本探そ」
「ないぞ」
僕の反応を聞いた藤堂が世界の終わりみたいな顔をした。なんつう顔を。
「……嘘だ」
「嘘ついてどうする」
「昨日お邪魔したときは部屋に入れてくれなかったじゃないですか! てっきり、相当アブノーマルなやつが隠してあるのかと」
「どういう想像だよ! お前の中で俺はどんな人間になってるんだ」
「頭がいい人はエロいって相場が決まってるじゃないですか!」
「頭のよさを褒めてくれてありがとな! でも勝手に相場を決めるな! 談合かよ!」
「いやぁ、絶対にあります! ベッドの下とかに!」
それは頭のよくない人が隠す場所じゃないのか……?
藤堂は困惑する僕を放置して、ベッドのマットレスと布団の間に腕を突っ込む。黒いパーカーの袖がしわくちゃになるのはお構いなしだ。
「出てこいっ……全身石膏固めもののエロ本っ……」
「お前よくそんな性癖持ってるって評価の男とこれから夜の街に繰り出す気になったな!?」
あとそんなジャンルのエロ本ないと思うぞ。どこで知るんだよその存在を。
僕が叫び声をあげると、しゃがんでベッドを捜索していた藤堂が不意に立ち上がった。真顔になっている。
「そんな大声上げたらお姉さんが起きちゃうのでは?」
「突然まともなことを言うなよ! びっくりしたわ! でも安心しろ!」
僕は部屋の壁を指さしながらツッコミを入れる。壁には色とりどりの虫ピンで円をいくつも重ねたような模様が描かれている。
「防音魔術はとっくに実装済みだ。カラオケ大会を開いてもこの部屋から音が漏れることはない」
「え、あれ防音魔術ようのやつなんですか。キモい飾りだと思ってましたけど」
確かに、キモい見た目なのは否定できなかった。当時小学六年生だった僕の限界である。こういう基本的な設備は一度作ってしまうとアップデートするのが面倒くさくてどうしても後回しになっちゃうんだよなぁ……。
「じゃあ、お姉さんはもう寝てるんですね?」
「あぁ。朝早いからな……この時間にはもう寝室だ。玄関を通って外に出れる」
藤堂みたいに窓から飛び出すつもりは毛頭なかった。
僕はコートラックから上着を取り上げて羽織った。机の上のピンククォーツを拾い、魔力を込めて気配遮断を始める。
「……その箱は?」
藤堂が机を指さした。視線は鉱石標本に向いている。
「石のサンプルだよ。元々姉さんのものだったんだけど、もらってね」
「へぇ……あ、隕石もあるんですね!」
藤堂がサンプルの中でも一際小さい黒色の欠片を取り上げた。つやつやとした表面が照明の明かりを反射する。
「それは十年前くらいにこの街に落っこちた隕石の破片らしいぞ。本物かどうかはわからないって姉さんは言ってたけど」
「でもロマンですよねぇ。あっ、こっちには化石も」
「それはマンモスの牙だな。姉さんが初めて自分のお小遣いで買ったって」
藤堂が摘まみ上げる白い化石を見つめた。ひとつひとつを見るたびに、昔の記憶が漏れ出してしまう。
「でもお姉さん、もっと綺麗なものが好きかと思ってました。お花とか。お料理上手ですし、ロハスな感じが趣味かと」
ロハスはよくわからないし藤堂も多分よくわかっていないと思うが、言わんとすることは理解できた。普段の姉さんの外見からでは、暗い色の鉱石をちまちま集める趣味があるとは思えまい。職場の同僚にパン作りが趣味だと勘違いされたことがあるとも話していた。
「姉さんは元々こういうのが趣味だよ。小学生のころなんて、河原で石を拾ってきてはポケットに入れたまま服を洗濯機に入れるから、よく母さんに叱られてた」
「へぇ。意外です。男子小学生っぽい」
「変な収集癖があるんだろうな、姉弟揃って。中学生のころは化石を掘って夜まで帰らなかったから、誘拐されたと勘違いされてた」
「血は争えないんですね」
そうだ。血は争えない。姉さんの部屋は一時期、僕の部屋より散らかっていた。鉱石の本に、標本に。もう片付けられてしまったが。
「でも、標本くれたんですか。絶対手放さそうですけど」
「あぁ、くれたよ。姉さんは諦めたから」
「諦めた?」
「大学に行くのを。両親が死んだから」
「それで……」
藤堂の目が曇った。視線が泳いでいる。昨晩のことを思い出しているのかもしれない。
「先輩」
「うん?」
「お姉さんによろしく言っておいてください。ご飯、おいしかったって」
「散々言ってただろ。うるさいくらい」
「それでもです。改めて」
「……はいはい」
僕は素っ気なく聞こえるように返答して、部屋の扉を少し開いた。明かりがついていないことを確認してゆっくりと歩きだす。
「行くぞ。大事な初戦だ」
「二回目ですけど」
「うるさい」
マンションを出た僕たちは、街の中心に向かって歩いた。藤堂は魔術でさっさと行きたいとぐずったが、魔力も宝石も無駄遣いしたくなかったのでのんびり徒歩で進むことにした。幸い、ジョニーという相手が夜遅くまで「ある場所」にいることはわかっていた。
当たり前だけど、夜の街は静寂に包まれている。世界に自分だけが取り残されてしまったかのような気分だが、寂しさは感じない。むしろ台風が近づいているときのような、不謹慎な面白さがあった。
「先輩は夜の外出、初めてですか」
「まぁな……昼だってあんまり外に出ないけど」
僕は声を潜めて藤堂に返答した。別に会話を聞かれてまずいことはないが、自然とそうなってしまう。
「じゃあ徹夜や睡眠不足も不慣れですか?」
「いや、そっちは日常だ。魔導書読み漁ってる間に朝とか、週に一回はあるな」
「なら良かったです」
声が上から聞こえてきたので、僕は彼女のほうを振り向いた。藤堂は塀を平均台にしてその上を歩いていた。ガタガタした石の塀はバランスを取りにくいはずだが、彼女の体は全くぐらつかない。
「#SSsって昼の生活との両立のほうが難しかったりするんですね。ソーサラーの引退理由の半分は『昼眠たい』ですし」
「本当に言ってんのか?」
とはいえ、藤堂が授業中に堂々と屋上でお昼寝タイムとしゃれこんでいた理由は分かった。夜起きているから昼に眠たくなる。単純な話だ。
「夜に魔術研究する時間が減るのは辛いな……でも研究素材を買うために戦わないといけないし……」
「ま、その辺はワーク・ライフ・バランスを考えればいいんじゃないですかね。よっと」
藤堂はよほど暇なのか、倒立で塀の上を進みだした。ホットパンツから伸びた白い脚で器用にバランスをとって曲芸を続ける。
僕はスマホを取り出してジョニーの位置情報を確認した。家を出る直前に見た通り、ジョニーは一か所にとどまっている。僕を示す点はちょっとずつ彼に近づいていた。
「そろそろ大通りだぞ。職質される前にその遊びをやめとけ」
「高校生二人が夜中に歩いてたらどんな歩き方でも職質だと思いますけどね」
そうは言いつつも、藤堂は素直に石の塀から降りた。軽く地面に着地し、先を行く僕に小走りで追いつく。
僕らは街の大きな通りに出た。夜も営業してる店が多い場所だけど、この時間となるとさすがにほとんどの店が店じまいをしていた。その中にひとつだけ明かりを灯す建物がある。照らされた看板の文字がここから読める。『American’s bar Ontario』と……。
「……おん、たり、お?」
「オンタリオ州はカナダだろうが!」
あと看板にはためいている国旗がイギリスだった。独立したはずじゃ!?
「ここにいるんだよな、ジョニーって奴」
「そのはずですけど……」
藤堂ですら困惑の顔を浮かべている。本当に大丈夫なのか……?
「とにかく入るぞ。話はそこからだ」
「そうですね。気を取り直して!」
僕は大股で店へ歩き、扉を掴んで開け放った。
バーの中はタバコの煙が目に染みる、西部劇の映画で出てきそうなインテリアで彩られていた。木製のバーカウンターと背の高い丸椅子。ビリヤード台、ジュークボックス、なんかよくわからない角のある動物の頭蓋骨まで壁に引っかかっている。
ドアを開けると同時に、客が一斉に僕と藤堂を見た。五六人いる客は一様に黒革のジャケットを羽織り、アメリカのバイカーギャングのような見た目をしていた。いかにも悪役っぽい。ハリウッドにテレポートした気分だ。
バイカーギャングのひとりが、中身を飲み干そうとしていたビール瓶を空中で止めた。瓶を下ろし、僕をまじまじと見て口を開く。
「おい坊主、ここは未成年立ち入り禁止だぜ」
「……別にいいよ。僕は酒を飲みに来たわけじゃない。人に会いに来たんだ。早撃ちジョニーを探している」
バイカーがにやりと笑った。ビール瓶をドンと音を立ててバーカウンターに置く。それを合図に、ギャングたちが一斉に声をあげて笑い始めた。
「あっはっはっは! マジかよガキンチョ! ジョニーに挑戦? じゃあソーサラーか! その年で?」
「やめとけやめとけ! ケガするぞ」
「ガキは帰ってママのおっぱいでも吸ってな!」
「母はもう死んだ」
「え、そうなの? なんかごめん……」
ギャングたちは突然静まり返った。
そんなに悪い人じゃないのかもしれない。
「おいお前ら、うるさいぞ」
僕へ最初に声をかけてきたギャングの後ろから、低い男の声が聞こえてきた。だけど、目の前のギャングの図体がでかいせいで全く姿が見えない。
僕は少し横にずれた。ギャングの後ろにテンガロンハットの男がいた。
「……もう静かだけど」
「うるせぇな。お決まりの流れってもんがあんだろ」
テンガロンハットが舌打ちして振り返る。
男はカウボーイの格好をしていた。カウボーイの「ような」恰好ではなく、カウボーイ「の」恰好だった。煤汚れた白いシャツ、革のベスト。ジーンズの上から革製のズボンを履いていてシルエットはだぶっとして見えるが、肩は広くがっしりとしていた。
男が椅子から立ち上がる。ブーツのかかとについている歯車みたいなもの(なんて言うんだあれ?)がじゃらじゃらと音を立てる。
そして目を惹かれてしまうのが、腰のホルスターとそこに収められている巨大なリボルバーだった。ずっしりと重たそうで、鈍い銀色に光っている。
「これが気になるか小僧?」
男は腕を上げてテンガロンハットの位置を直した。広い鍔から覗く目つきは鋭く、顔には死線を潜り抜けた年季が刻まれていた。口元には髭が伸びていて、保安官然とした威厳を加えている。
日本の中年オヤジがカウボーイファッションを身に纏っている。これだけで面白おかしいコスプレになってしまうところだ、普通は。だがジョニーは、高校生が制服を着るのが当然であるように、自然にカウボーイの衣装を身に着けている。
こいつ、遊びじゃない……!? 本当にカウボーイなのか?
「ジョニーさん……」
「こんなガキ相手にするこたぁないですよ」
「まぁ、いいじゃねぇか」
ジョニーの両側にいたギャングが口々に言った。ちょっと棒読みだったので、おそらく彼のいう「お決まりの流れ」なのだろう。確かに、映画でよく見る……。
ジョニーは顔を上げると、右手をリボルバーに伸ばした。思わず身構える。彼は「弾は入ってねぇよ」と呟いて銃を引き抜いた。
「恰好いいだろう。世界最強の拳銃、S&W M500。アメリカの誇りだ」
引き抜かれた拳銃は銃身が長く、巨大だった。象も撃ち殺せそうなほど分厚い殺気を放っている。
「いいよなぁ、拳銃は。男なら一度は通る道ってもんだ。なぁそうだろ、ガキンチョ。お前も男ならわかるだろ? この良さが」
ジョニーは新しい玩具を見せびらかして自慢するように、僕の目の前で拳銃の角度を色々と変えて見せた。
まだ勝負は始まっていないようだ。僕は警戒態勢を解除して姿勢を正す。
そして言ってやった。
「いや、そんなに興味ないし……」
店内が凍り付いた。ように感じた。おっと、僕にも氷の魔術が使えたのか?
「おいガキ、いまなんつった……」
「ガキじゃない。石見高人だ。それと、そんなに興味ないと言った」
「てめぇ! ジョニーさんの前でなんてことを! この人は拳銃ラブなんだぞ!」
「ジョニーさんはアメリカ文化と結婚してんだぞ!」
「遠回しに馬鹿にしてるだろ!? ジョニーは親分じゃないのか!?」
「まぁまぁジョニーさん落ち着いて」
一触即発のなかを藤堂が割って入った。口ぶりからして既知の仲らしい。
「すいません。先輩は魔術にしか興味がないクチで……」
「えぇい、どけ藤堂の嬢ちゃん! 俺はこの舐めた口を利くジャパニーズハイスクールスチューデントをぶちのめす!」
「ル〇大柴みたいな口調になってるぞ」
「言わせておけば!」
「先輩! 雑にケンカを売らないでください! 目的忘れたんですか!?」
「……銃規制の重要性を訴える?」
「本当に忘れてる!」
「いい度胸だ石見高人……表出ろ!」
ジョニーが藤堂を振り切って大見得を切った。
「お前もソーサラーだろ? 見たところ初戦の新米と見える。俺が#SSsの厳しさを教えてやる!」
「望むところだ早撃ちのジョニー。いや二条哲児! ただし敗北し俺の学費になるのはお前だがな!」
「おい待て。さらっと本名ばらしてんじゃねぇ!」
「なんでだ? アプリのデータベースにはっきり書いてあるだろ」
「ジョニーさん! アメリカ人じゃなかったんですか!?」
取り巻きのギャングが全員例外なく驚き口をあんぐりと開けていた。いや気づけ。アメリカ人はオンタリオなんて名前のバーで酒飲まないと思うぞ。
「見た目でわかるだろ取り巻き! どう見ても日本人だ!」
「日系アメリカ人って可能性もあるだろ! 見た目で判断するんじゃねぇ!」
「それはそうか! すまん!」
確かにこれはジョニーの言う通りだ。失態失態。これだから差別は厄介だ。無意識のうちに頭の中に入り込んでいる。
「って、なんのやり取りですかこれ! 戦うなら早くしてくださいよ!」
藤堂が叫んだ。
「藤堂、そうせかすなよ。いま僕は深く反省してるんだ。見た目で判断するのはよくない。僕みたいな若い世代が旧世代の過ちを引き継いじゃダメだって深く理解してるんだ」
「先輩、ここに来た目的覚えてます?」
「……Black Lives Matter?」
「本当に忘れてる!」
「天丼してんじゃねよ! あとついでみたいにアメリカの病理に切り込んでんじゃねぇ!」
「ほんとに何言ってんですか先輩!? 初戦の緊張でおかしくなってます?」
もちろん、僕だって何の意味もなくこんなコントじみたやり取りをしているわけではない。時間を稼ぐ必要があってやっているのだ。僕は腕時計をちらりと見た。現在の時刻は午後十一時五十一分。ちょうどよさそうだ。
時間は魔術師にとって重要なファクターになる。特定の時間をトリガーに発動する魔術、一定の時刻内に効果を増す魔術、星の位置、刻々と変わる天候や明るさに左右される魔術。僕の魔術の中にも、少しだが時間が関係するものがある。
この戦いで使うかはわからないけど、万全を期すのは大事だ。保険があるだけで安心して戦える。切れるカードが多いのはいいことだ。
「……いいぜジョニー。無駄話はそこまでだ。外に出よう。戦ってやる」
「お前どの口で……まぁ、初戦でがちがちにならずにそこまで口が回る度胸は褒めてやるよ。楽しみだ」
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