1-6 初黒星
「…………はっ!」
すぐに僕は目を覚ました。……と思ったのだが、どうやら違ったらしい。さっきまで昼のように明るかったのに、もう日が傾いている。
「大丈夫ですか? 先輩」
地面に寝転がる僕を、藤堂が覗き込んでいた。白い肌が夕日に照らされてオレンジ色に輝いている。
「……寝てたのか?」
「十五分くらいは」
僕はゆっくり起き上がった。蹴りを食らった顎が痛い。というか自動車事故にあったかのように全身がズキズキ傷んだ。
「死んでなくてよかったです。殺しちゃったらルール違反なんで」
「……そいつはどうも」
藤堂の手を借りて立ち上がる。頭にダメージを受けたものの、幸い、視界はくっきりと鮮明で平衡感覚も正常だ。ただただ体が痛いだけで済んでいる。
「先輩って回復魔法使えます?」
「あぁ、大丈夫……"
呪文を唱えると、左小指の指輪が赤色に光った。全身に温かい魔力が流れ、痛みが少し引いていく。ダメージが大分マシになったようだ。
「変わった魔術ですね。先輩って
「違うよ。僕は
制服についた土を払いながら答える。藤堂はへぇと感心したような声を出しているが、あまりよく分かっているような返事ではなかった。
「宝石属性の魔術は宝石を触媒にして、その宝石が象徴する魔術を操ることができるレアな魔術属性だ。その代わり、高価な宝石をこれでもかと消費する上に魔術の規模がいまいちコストに見合わないって欠点があるけど」
「でも、がんがん使ってましたよね。炎でしょ、水に植物に、回復魔術も」
藤堂は僕の使った魔術を指折り数えた。彼女の前ではダイアモンドの防壁とラピスラズリの大気操作も使ったけど……いや、前者は初対面だったし、後者は寝てたか、彼女。
「もしかして先輩って、結構お金持ちですか?」
「まさか。誤魔化しのためのトリックがあるんだよ」
僕は手に嵌めた指輪を彼女に見せる。
「この指輪はただの鉄で出来た安物だ。でも、僕の詠唱で瞬時に宝石に変わるように細工がしてある。これを使うことで、本物の宝石が無くても宝石魔術を使えるってわけ」
「へぇ、最強じゃないですか。なんでぼろ負けしてるんですかっ」
「あのなぁ……」
藤堂の好き勝手な物言いに僕はため息をついた。
「そんなにぽんぽん自由に宝石を作り出せるなら苦労してないよ。#SSsなんかやってないで、作った宝石を売れば大金持ちだ。でもそうは問屋が卸さない」
「品出しですか?」
「そういう意味じゃないぞ、卸すって。ほら、聞いたことあるだろ? 魔術の制約による強化とか」
藤堂はぽかんとした顔で僕を見た。僕はやれやれと首を振る。
「本当に魔術領域を使える魔術師なのか、こいつ……」
「失礼なっ。基本の魔術属性だって暗唱できますよっ。木火土金水でしょっ」
「九九よりも先に習うだろそれは! いいよもう……僕の偽造宝石は一日に三分間しか使えない制約がある。時間を過ぎたら指輪は元の鉄くずに逆戻り。その代わり、発動は即座だし作り出す宝石の純度も高いってメリットもあるけどな」
「あ、だから最後のやつ失敗したんですね。今日はどこかで使ってました?」
そこはちゃんと見てたのか。鋭いのか鈍いのかよく分からない後輩だな。
僕は痛む足を引きずりながら、上着を引っ掛けていた木へ歩いた。上着のポケットから時計を取り出して時間を見る。既に五時を大幅に過ぎている。もう姉さんは家に帰ってるかもしれない。
「でもいいんですかぁ?」
藤堂が後ろから声をかけてきた。振り返ると、彼女はにやにやとこっちを見て笑っている。
「そんなに手の内を明かしちゃって。今度戦うときもまた勝っちゃいますよ?」
「いいよ。僕の宝石魔術は指輪だけじゃない」
それに。指輪にしたって肝心のところは話していないわけだし。手の内を明かさないのは魔術師の基本だ。
「お前こそいいのか? 藤堂の魔術、あの虎になるやつで全部だろ」
僕はお返しに言ってやった。藤堂が目を見開く。
「なっ、なななな何言ってるんですか。ああぁあんなのじょじょ序の口ですよ」
「わかりやすっ」
あっという間に顔面蒼白になったぞこいつ。心配になるくらいの変わりようだ。
「だ、だいたい何の根拠があって……」
「魔術領域を知らずに使うような奴がほかの魔術使えるわけないだろ。杖持ってないし」
「ぐっ……それは……」
藤堂は典型的な息の詰まり方をした。図星なのが手に取るようにわかる。
「先輩だって杖ないじゃないですか……」
「僕は特殊属性だから、使える杖がないんだよ。指輪があれば問題ないしな。でも藤堂は違うだろ。杖持ってるのか? 魔術の素質があれば中学生のときに買わされるだろ」
「な、無くした……」
「…………」
「………………」
まぁ、さもありなんという気がする。
「なんですかその表情はっ! 杖が無かろうが私が勝ったんですからねっ! 十万円ゲットっ! いえいっ!」
とうとう藤堂は開き直り始めた。とはいえ彼女が勝ったのは事実なので言い返せない。
僕は痛む腕でスマホを取り出して画面を見た。リザルト画面が表示されていて、しっかりと「YOU LOSE」と書かれている。
「念のために聞くんだけど。これ負けてもペナルティないよな?」
「えぇ、そうですね」
藤堂が腕を組んで言った。勝ったことを誇ってるのか?
「なぁ藤堂。普通、ソーサラーってどれくらいの懸賞金がかかってるんだ? ここら辺のトップクラスが上京の百七十万やお前の百二十万だってのはさっき聞いたけど」
「うーん。まぁ私が戦う相手はだいたい五十万前後ってところですかね。東京とか大阪みたいな大都市に行くと一千万オーダーのソーサラーがいるって噂ですけど、三桁いくのは稀じゃないですか? この辺にも三桁万円のソーサラーは上京と私、あと三百七十万の奴が昔いたらしいって話くらいしか」
「つまり、一回戦って得られるのはせいぜい数十万が限度か……」
それも勝てたらの話だ。まぁ、時給九百円でバイトするより圧倒的に儲かるのは事実だが……。
「でも先輩、強くなったら向こうから懸賞金の高いソーサラーが挑戦してきますし、お金稼ぎたいならじゃんじゃか戦って自分の懸賞金上げたほうがいいですよ」
「レベルアップしてさらに強い敵と戦ってさらにレベルアップ、みたいな話か。僕は別に、ステゴロの最強を目指してるわけじゃないんだけど」
僕はスマホを眺めた。五時を過ぎたせいか、地図上の緑の点が徐々に赤色に変わっていく。ソーサラーみんなが戦闘準備を始めているのだ。
「どうします? 早速次のバトルといきますか?」
「いや、さっき言っただろ……僕の魔術は一日三分だけだ。今日はもう宝石を半分使っちゃったし、明日にしよう」
藤堂はへーいと気のない返事をして伸びをした。僕は「それに」と続ける。
「過去のソーサラーの戦いを見れるなら、ターゲットを決めて研究してから戦ったほうが勝ちやすいだろう? 誰か、勝ちやすい手ごろなカモ知らないか?」
「懸賞金が最低金額なのにカモ探しってなかなかですね……」
ため息をつきつつ、藤堂がスマホを弄る。
「まぁでも、ちょうどいいのはいますよ。いま共有しますね」
「共有?」
聞き返した直後、僕のスマホが震えた。画面に通知が。藤堂のスマホからソーサラーのデータが送られてきたらしい。
「……早撃ちジョニー? 誰だ?」
「懸賞金二十万円。特徴的な戦い方で、ここらじゃ有名なソーサラーですよ。異名の通り、拳銃から放つ魔導弾の使い手です」
「拳銃かぁ……」
本物なら法律違反だが、十中八九モデルガンだろう。写真の男はつばの広いテンガロンハットを被っていて、はたから見るとコスプレした中年親父にしか見えない。
「懸賞金は僕の二倍か。勝率は四割。強さ的にもちょうどよさそうだな」
「この地区じゃジョニーを倒せたらまずは一人前、なんて言われてるほどですからね」
田舎のカエルみたいな扱いだった。触れたら一人前みたいな。
「でも気を付けてくださいね、先輩」
藤堂が声を潜めていった。
「新規参加者の半分はジョニーに勝てず、#SSsから去っていきます」
「……そうか」
藤堂に蹴られた顎が痛む。希望はあっても、容易い道ではないということか。
「まぁ、とりあえずやってみるさ。負けたら次を考えればいいし」
「結構前向きですね、先輩。初戦ボロ負けのくせに」
「うるさいぞ」
わーと逃げていく藤堂に僕は失笑した。彼女の向こう側から公園に向かって、見覚えのある人影がこちらに近づいてくる。あれは……。
「あ、高人くん」
姉さんだった。仕事先から帰ってきたのだ。僕を見るなり、姉さんは不審そうな顔をする。
「どうしたの? 砂まみれじゃない」
「あーこれは……」
僕は頭を素早く回転させ、用意していた言い訳を引き出す。ついでに、きょとん顔の藤堂に向かってアイコンタクトで近づいてくるなと伝えた。
「ちょっと、運動不足の解消をと思って。ほら、最近根詰めて研究しすぎたし、受験の前にそれで体壊したら元も子もないなーって。久々だったからちょっとはしゃぎすぎたかも」
「ふうん。そう」
姉さんは僕の言い訳に納得してくれたようだ。その背後へちょこちょこと藤堂が近づいてくる。嫌な予感。
「へぇ、先輩ってお姉さんいたんですね」
おい。まぁ、アイコンタクトの類が通じるタイプじゃなさそうだとは思っていたけど。
「あら、あなたは確か……」
姉さんは一目で気づいた。昨晩転がっていた女の子だと。一方、藤堂のほうは姉さんと初対面じゃないことに気づいていなかった。僕と至近距離で対峙していたせいで見えていなかったか。
「初めまして、藤堂たまって言います。いつも先輩のお世話してます」
「それを言うならお世話になってます、だろ」
あと出会ったのは昨日の今日だろ。
「あらそうだったの。弟が迷惑かけて」
「姉さん?」
「そうなんですよほんと。この人そそっかしくて」
「何がだっ?」
適当に調子のいいことを言う藤堂を僕はハラハラして眺めていた。ポロっと#SSsのことを口走るのではないかと気が気ではない。姉さんは僕が違法スレスレ、というか違法ど真ん中の戦いをしていると知ったら絶対に許さないだろう。
「今日なんて屋上で昼寝して危うく落っこちかけたんですから」
「本当?」
「嘘だよっ! それはお前の話だろ!」
だが、楽し気に雑談する藤堂は#SSsのことに触れる気配はない。さすがにそこを言わない程度の注意はあるかと安心した。
「そうだたまちゃん、夕飯食べてく? 毎日二人だと寂しくて」
「姉さん!?」
「いいんですか? ぜひっ! あっ、ネギは苦手なんで」
「厚かましいな!」
僕のツッコミもむなしく、藤堂は姉さんと一緒に家のほうへ歩き始める。僕はため息をつき、痛む体をせっせと動かしながら二人の後を追うしかできなかった。
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