1-4 猫ガール
騒がしい教室を後にした僕は、そのまま屋上を目指した。さっきの猫ガールが潜んでいると思しき場所だ。
天城原学園の屋上は立ち入り禁止である。七階の廊下の奥に出入り口があるのだが、階段で上がって扉をくぐれば……というわけにはいかない。
なにせ、屋上への出入り口は天井に設置されたマンホール状の蓋なのだから。
しかもご丁寧に、生徒が上がれないように梯子は途中からしかない。脚立を持ってこないと手をかけることすらままならないという仕組みだ。この学校は、屋上を完全に点検用の空間とみなしている。
「さて、どうしたものか……」
僕は梯子の下で独り言ちた。まだ授業中なので廊下を誰かがやってくる心配はない。ゆっくり考えよう。
僕が乗り越えるべき難所は二つ。手の届かない梯子と、十中八九鍵のかかっている蓋だ。しかも、行きだけではなく帰りの心配もしなければならない。
僕は廊下の窓を開け、身を乗り出して上を見た。屋上まではそう距離がない。窓枠に足をかけて立てば背が高くない僕でも手が届くだろう。
が、しかし。僕は下を見ないように体を廊下へ戻す。残念ながら僕にはそんなことをする度胸も技量もない。自分の限界はよくわかっている。間違いなく落っこちて、氷ガールではなく僕が新聞沙汰になってしまう。
高校二年生の石見高人くん、将来を悲観し校舎から身投げ。
ぞっとしないな。
じゃあ魔法で飛んだりすればいいかといえば、そうもいかないのが厳しい現実だ。
僕の魔術は諸事情あって、一度使うとしばらく、というか相当の間クールダウンを挟まないと使えないものが多い。だから、行きのタイミングで退路もきちんと確保しないと屋上に取り残される。
僕がアブラカダブラと空を飛んで屋上へたどり着いたとしても、帰路で同じ魔術が使えないので詰むということだ。やはり理想は、鍵のかかった蓋を開くということ。
僕は上着の内ポケットから、銀色のシガーケースを取り出した。もちろん、タバコを吸うわけじゃない。蓋を開くと、中には黒いクッション材に差し込まれた指輪が十個収まっている。いつも指にはめているものだが、学校ではこうして隠し持っているのだ。
僕はその中からひとつ取り出し、右手の親指にはめた。ケースをしっかりしまって。右手を握ったり開いたりして感じを確かめる。
「"
密かに唱えると、鉄が光って夜空のように深い青色の宝石へ変わる。右手を開いて下へ振ると、大気に押し上げられるように体が浮いた。
左手を伸ばす。悠々と梯子を掴み、足もかけることができた。
ラピスラズリは大気を操る魔術。自分の体だって大気で持ち上げることができるのだ。
僕は蓋まで梯子を上った。押してみるが、びくともしない。やはり鍵がかかっている。僕は右手を握りしめて蓋へ突き出し、魔力を鍵穴へ集中させて手を回した。鍵の周囲の空気を操る。
手ごたえあり。そのままゆっくり回転を続ける。するとガチャリと重い音がした。腕を上げて魔力で蓋を押す。今度はあっさり蓋が開いた。こっちも大成功。
ラピスラズリの大気操作魔術は規模が大きいから、こういう細かい作業は実は苦手だ。今回は蓋が大きく鍵も大仰だったのが幸いした。多少大胆に動かしてもきちんと狙い通りに作用してくれた。
僕は苦労の末、屋上へ到着した。蓋は閉めておくが、念のため、さっき教室で使ったピンククオーツを噛ませ、完全に閉まらないようにストップをかけておいた。
春の強い風が僕に吹きつけてきた。屋上を見渡す。フェンスがなく、出っ張っているものも少ないのでだだっ広く、危なっかしくも見えた。そんな屋上の隅に、大の字に伸びた人影が寝転んでいる。
「なんでわざわざそんな隅で……」
僕は思わず呟いていた。隅っこ過ぎて、体の半分が屋上の縁にある出っ張りに乗り上げている。危ない。
彼女は近づくまでもなく、昨晩の猫ガールだとわかった。顔がこっちへ向いているので、白い上着に映える赤いチョーカーがはっきり確認できたからだ。僕が近づいても起きる気配がない。
少女は柔らかそうな白い頬をしていた。丸顔で、短く切った細い黒髪が風に揺れている。グレーのスカートを履いた腰にはチョーカーと揃いの赤いベルトを巻いていた。小さな体のわりにがっしりした脚には靴下を履いていない。というか上履きも履いていない。
砂埃にまみれた制服の上着は、彼女には少し大きいようだ。同じ学校の生徒だったのか。てっきり、もっと年下かと。
珍妙な少女は薄い瞼を閉じてすやすや眠っている。大きく肩を上下させて、風が吹いていなければ傍に立つ僕にも聞こえそうなほどの寝息をたてていた。
「爆睡しすぎだろ。おっと」
僕は咄嗟に彼女から目を逸らした。急に風が吹きつけたせいでスカートが捲れ上がったように見えたからだ。視線を戻すと、案の定、下に履いたスパッツが見えてしまっている。
スパッツでまだよかったが、放っても置けない。男子である僕がスカートに手を伸ばして直すというのも抵抗があったので、自分の上着を被せてやろうかと思い脱ぎかけた。
でも強い風が吹いて、危うく飛ばされそうになった。やめとこう。僕はまだ指輪がラピスラズリになったままだったことを思い出して。魔力でスカートを押し戻してやった。
が、またすぐに風で捲れてしまう。ダメだこりゃ。
というか、なぜ僕はさっきから彼女の安眠を手助けしてやろうとしているのだ。
どうにも、ここまで堂々と昼寝を決め込まれるとそれが当然で邪魔してはいけないような気がしてしまう。それはおかしい。僕は彼女に驚かされてここまで来たのだし、彼女に聞くべきことも山ほどあった。
僕はしゃがみ込み、彼女の肩を叩いた。反応なし。掴んで軽く揺さぶる。無反応。ぺちぺちと頬を叩いてみた。彼女は少しだけ呻くが、また眠り始めた。失敗。
「おい、火事だぞ! 起きろっ」
古典的なセリフを試してみる。だが頬を叩いたときより反応が悪かった。こいつ、筋金入りか……。
仕方がないので最後の手段だ。僕は彼女の小さな鼻を摘まんだ。猫ガールはぐっ、と喉の奥から淑女にあるまじき声を出して、ようやく目を覚ました。
彼女の金色っぽい瞳と目があう。瞼はまだ重たそうで、半開きの目のまま僕をじっと見つめてきた。
「……お母さん?」
「せめてそこはお父さんだろ……」
性別変わっちゃってるよ。どんだけ寝ぼけてるんだ。
僕が鼻を離すと、少女が起き上がった。こぶしで両目をぐりぐりと擦り、長く大きな伸びをしてようやく起動する。
「ふわぁ……よく寝た」
「こんなところでよく寝れるな。寝相が悪かったら落ちて死ぬぞ」
「私、寝相はいいですもん。……あれ?」
少女はきょろきょろとあたりを見回すと、小さく首を傾げた。
「私、もっと真ん中で寝てたと思うんですけど」
「死ぬ寸前じゃねぇか!」
ちなみに、屋上の横幅は十人が寝転べる程度だ。その真ん中に寝ていた彼女はごろごろと二回転半くらい回って移動していたことになる。あと一回りで墜落死して、新聞を飾るのは彼女になるところだった。
「ていうかなんであなたがこんなところにいるんですか! 昨日の邪魔の人!」
墜落死を防いだはずの恩人に、しかし彼女は冷たかった。僕をびしっと指さして、邪魔の人呼ばわりする。
少女は勢いよく立ち上がった。屋上の縁へ着地して、仁王立ちする。
やめてくれ! 危なっかしくて見てられない! 怖い!
「と、とりあえずもっと真ん中へ来い……早まるな……」
僕はどうどうと彼女を宥めつつ、ゆっくり後ずさりをする。なんで僕が下手に出てるのか納得できないが、彼女が落ちてしまっても困る。
こんなところに二人きりなんだから、僕が犯人っぽくなるだろ。
僕が後ずさりすると、幸い猫ガールも屋上の中心へ移動してくれた。小高いところから飛び降りて、広く安定した地面に立つ。ようやく安心して話ができそうだ。
「僕は邪魔の人じゃない。二年生の
「一年の
少女、藤堂はちょっとむくれて言った。風に前髪がなびく。
「先輩だったんですね、邪魔の人は」
「だから、邪魔の人じゃないって。というか、僕が一体何の邪魔をしたっていうんだ?」
「勝負の邪魔ですよ。勝負の。せっかくいい勝負だったのに」
あのとき、藤堂は明らかに劣勢だった気がする。煙を上げて公園から転がり出てきたし。だが、火に油を注ぐのはやめておいた。
「勝負ってなんだよ。スマホの画面を見せられたけど、よくわからなかったぞ」
「決まってるじゃないですか。魔術師同士の戦い。ストリートソーサラーズですよ。知らないんですか?」
藤堂は上着のポケットをごそごそと探って、スマートフォンを取り出した。薄型で銀色のボディをしている。ケースはつけていないらしく、よく見ると画面にひびが入っていた。彼女が側面のボタンを操作すると画面が点灯し、赤いロゴマークが現れた。
#SSsとある。昨晩見たものと同じだ。
なるほど。
「先頭の記号はなんだ? シャープ?」
「さぁ。ハッシュタグっていうらしいですけど、私ネット詳しくないので」
藤堂は小さく首を傾げた。僕もSNSはそこまで詳しくないけど、話題の拡散に使うツールなんだという程度はわかる。
「で、このストリートソーサラーズってのは何なんだ? 魔術師同士の戦いってゲームのことか? なんとかGOみたいな……まさか呪文飛ばしてやりあうわけじゃないだろうし」
「呪文飛ばしてやりあうんですよ?」
藤堂はさも当然とでも言いたげな口調だった。僕は少し固まる。
「つまり……藤堂は昨晩、あの氷ガールと呪いをぶつけ合ってたのか? 最近の若者の遊びは野蛮だな……おじさんわからないや」
「先輩も平成世代でしょ。それに」
少しため息をついて、藤堂は続ける。
「遊びじゃないですよ、これは」
「…………」
僕はもう一度固まった。藤堂の声色に真剣なものを感じ取ったからだ。彼女は僕の沈黙を混乱と捉えたらしく、「見ればわかりますから」とスマホの画面を向けてくる。
スマホを受け取る。動画が流れていた。画面の中心にいるのは白い制服。氷ガールだ。薄暗い路地に立っていて、黒いコートの男と対峙している。
防犯カメラの映像に見えるアングルだったが、すぐにカメラが動く。自由自在に動くそれの画質は非常に鮮明で、少女が杖を握り直す指の先端までくっきりと見えた。防犯カメラではない。だが、撮影者がそばにいるような雰囲気でもなかった。
魔術的なものが撮影しているのだろうか。式神とか、傀儡の類が。
映像の下には、動画配信サイトでよく見るようなコメント欄があった。コメントは映像の進みと共に下から上へ流れていく。これだけならまぁ、普通の動画だ。
だが、僕はコメントの中に奇妙な文章が紛れ込んでいるのを見逃さなかった。
『
『上京一択。今日は二百万』
『たまには挑戦者が勝つだろ。一万でも勝てば大穴だ』
まるで競馬の予想でもしているような口ぶりのコメントがどんどん流れていく。話の流れから、上京というのは氷ガールの名前らしいことが分かった。
彼女が、勝つ? いったいなにで?
その答えはすぐに分かった。
少女の目の前にいる男が、一歩前へ出た。それを合図に上京も前へ、コメントが緊張感を帯びる。
そして……男が腕を振るった。手には杖がある。口を開き、呪文を唱えようとしているらしい。だが上京は慌てなかった。身じろぎひとつせず杖を軽く振る。
瞬間、風が吹いた。男がいきなり呻き、手に持っていた杖を取り落とす。視聴者は何が起こっているかわからないようだった。はてなマークだけが流れていく。
だが、僕にはわかった。ある程度は。
少女がもう一度杖を軽く振ると、地表に冷気が満ちた。落とした杖へ手を伸ばそうとしていた男が凍り、地面に突っ伏したまま動かなくなる。
やはり氷に関する魔術か……。
そして、詠唱や発動が速く正確だ。まったく無駄がない。相当な手練れだ。
「わかりました? これが魔術師同士の戦いです」
僕は藤堂の言葉で我に返った。すっかり別のところに注目してしまっていたことを悟られないように、なるほどなどと相槌を打ってスマホを彼女に返す。
「つまり……本当に戦ってるのか」
「そうです。魔術師と魔術師のタイマンバトル。いつ始まるかわからない路上バトルの生中継。それがストリートソーサラーズ、通称
「でも、何のためにそんな危険なことをするんだ? 杖は人に向けちゃいけませんって、小学校でも習うだろ」
「お金のためですよ」
藤堂は即答した。金? と一瞬思ったが、すぐに合点がいった。
動画についていたあのコメント群。あれにも金の匂いがした。
「動画の視聴者はどっちが勝つか賭けて、当たれば配当がもらえるんですよ」
「で、勝負した当人も勝てばお金がもらえるのか?」
「そうそう」
藤堂は天を仰いでため息をつく。
「あーあ。先輩が邪魔しなければ今頃、百七十万円が懐に……」
「百七十万!?」
僕は思わず大声を出していた。藤堂がぴょんと小さく飛び上がる。
「そんなにもらえるのか?」
「相手によりますけどねー。あの上京華はここらの地区じゃ2番目に強い魔術師なんで、賞金もそれだけ高いんです。まっ、実力じゃ私のほうが上ですけど」
その一言が小物っぽい。
「金になるんだな……これ。でも、いままで聞いたことなんて全くないぞ。自慢じゃないけど、僕は魔術に関しては人一倍詳しいのに……」
「当然ですよ。違法ギャンブルですから、#SSsを視聴できるアプリを落とせるのは招待された会員だけらしいです。戦うのも運営から招待された魔術師だけですし」
「誰でも参加できるわけではないと」
「そう。私は選ばれた魔術師! そんじょそこらの雑魚とは違うんですよ」
だからなんで発言がちょっと小物っぽいんだ、彼女は。
「百七十万か……」
僕はふんぞり返る藤堂を無視して思考を進めた。一回の戦いで百七十万。もちろん、これは滅多に手に入らない金額だろうけど、仮に賞金が三分の一の五十万円だったとしても破格だ。
時給に換算していくらとか、そんなことを考えるまでもない。バイトをするのが馬鹿らしくなる金額だ。月に一回だけ勝負したとしても高収入の部類に入る。
例えば、この勝負で月に百万円稼げるとしたら? 昨日見た雑誌では、南風浜魔術大学の学費は年間七百八十万円だった。たった八か月で稼げるじゃないか! いまから受験までの二年があれば三年分の学費を賄える。大学に行ってからも稼ぎ続ければ学費全額を賄うなんて余裕だ。
月に稼ぐ額をもっと増やせばどうなる? 月に二百万稼げたら? 一年ちょっとで四年分の学費を貯められる。この一年で一気に蓄えて、残りの一年を受験勉強に費やすことも可能!
急に、僕の視界が開けた気分になった。
いままでは絶望的だった。ただでさえ高い学費は値上がり。姉さんの収入は決して高くない。まず無理だった。
でも、#SSsがあれば? 可能性はある。諦めなくていい。僕の夢を。
魔術師になれる。
何より、三千五百円程度の素材の前で悩む生活とサヨナラできる。
「先輩?」
僕は声をかけられて、藤堂のほうを向いた。藤堂は僕と目があうと、ぎょっと引きつった顔になって一歩退いた。僕は相当おかしな表情になっていたに違いない。
当然だ。結婚式と葬式が一度に来たようなぐちゃぐちゃな感情になっていたのだから。
僕は藤堂の肩を掴んで言った。
「僕もやる! #SSsに出るぞ!」
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