1-3 ストリートソーサラーズ

 翌日、僕は教室でつまらない授業を受けていた。この時間は世界史、特に中世魔術史の話だ。世界史を選択すれば魔術の話が絡むから少しは面白いと思ったけど、目の前でぶつぶつやっている中年教師はだめだ。全然魔術に明るくないから、教科書を音読するだけになっている。


 禿げ頭の教師の話は右の耳から左の耳だ。僕は窓の外、校舎の七階からの景色を眺めながら昨晩のことを考えていた。


 昨日出会った二人の少女。そのうちひとり、魔人の頭を買った彼女、仮称「氷ガール」は明らかに氷の魔術の使い手だ。


 氷を操る魔術は、実のところ難しい。魔術師が直面する誤解その二といったところだ。魔術師なら氷出せるでしょ? ちょうどかき氷に使うやつが欲しかったんだけど。というね。でもそうは問屋が卸さない。氷が欲しいなら氷問屋へ行くほうが早い。


 氷の魔術は基本的に水属性ウォーターソースに属する。もちろん、氷は元をただせば水だからだ。でも水属性の魔力は液体に意味づけられている。五大属性メジャーソースで固体を扱うのは木属性ウッドソース土属性ランドソース金属性エレキソースで三つもあるし、何なら土属性は液体と意味づけを兼ねている。でも、水属性は液体だけで固体に意味づけられていない。


 だから氷を作ろうと思ったら、水属性の魔力の意味づけを変える必要がある。渋柿を干して甘くするようなものだ。

 この例えはわかりにくいか? まぁいいや。


 柿は干せば甘くなるが、魔力はそう簡単にいかない。特に属性と結びつく意味づけは強固だから、これを変えるのは至難の業だ。


 それ故、氷の魔術は高位の水属性魔術師しか使えないものとされている。そして、古来より敬われ、あるいは恐れられてきた。中東のある地方では、冬に魔力を持った女児が生まれると氷を司る魔獣が取りついたとして殺したともいわれるほどだ。


 巷にある氷の魔術イコール強キャラというステレオタイプは、だから実のところ事実無根というわけでもない。氷の魔術が使えるなら、実際に強力な魔術師だろう。


 だが、しかし。あの氷ガールがそこまで高位の魔術師だとは思えない。僕と同じ年で、魔力の意味づけの変換をやすやすと行えるものだろうか。しかも、あのときの魔術の規模は決して小さくない。大気中の水蒸気を、がらがらと音を立てて崩れるほどの体積がある氷にできるなんて。


 もちろんこれは、同世代のやっかみで言っているわけではない。魔術の習得には相応の時間がかかるというだけだ。どれほど才能があっても、どれほど父祖の代から受け継いだものがあっても、ショートカットでいきなり高度な魔術を扱えるほど甘い世界じゃないはずだ。


 そう考えると、彼女の魔術には別のロジックがあるのかもしれない。例えば、特殊属性エクストラソースとか。五大属性である木火土金水もっかどごんすいから外れた存在。仮に、彼女が氷の特殊属性なら説明は簡単につく。元々魔力が固体かつ水に意味づけられているなら、氷を作るのは朝飯前だろう。


 僕はそこまで考えを進めて、首を振った。

 いや、それもあり得ないだろう。この天城原学園には特殊属性がすでにひとりいるのだ。魔力を持つ者の九十九パーセントは五大属性に含まれる。残りの一パーセントのうち、さらに典型的な特殊属性である光と闇ではない者はもっと少ない。


 つまり魔力を持つ者のうちたった0・八パーセントにしか該当しない特徴を持った人間が、二人もこの狭い学園にいることになる。それは天文学的……とまでは言えないが、宝くじで大当たりレベルの確率だろう。可能性は低い。


 彼女が店で使ったあの魔術、大きなケースを浮かせて移動させた魔術がヒントになりそうだが……いまはまだ、考察のためのカードが足らない。

 運のいいことに、氷ガールは同じ学校同じ学年だ。これから先、さらに手掛かりを得る機会はある。気長にいこう。


 じゃあもうひとりのほう、首輪をつけた猫の女の子、仮称「首輪ガール」……は倒錯的な気がして危ないので、「猫ガール」としよう。彼女はどうだろう。彼女も魔術師だろうか。


 彼女も「フラットスパイダー」を訪れていた。だから魔術と無関係ではないのだろう。

 しかし……なぁ。なんとなく、猫ガールは魔術師ではないような気がする。印象だけで人を判断するのはよくないのだが、でもあれは絶対に魔術研究に人生を捧げるタイプではない。


 にゃーとか言ってたし。


 じゃあ魔術使いかと言われると、それも違和感がある。彼女の腰には、氷ガールのような杖がなかった。魔術使いなら杖はほとんど必須と言ってもいい。僕のように杖を持たない魔術師はいるけど、それは僕の魔術体系が例外的なものだからだ。


 学校教育で基礎的な呪文を暗記するだけの、魔術使いのレベルならまずありえない。

 杖を振って呪文を唱える。それで簡単に色々なことができるのが魔術の利点だ。魔術使いが杖のメリットを手放す理由はない。


 彼女の正体も結局、判断保留にするしかないだろう。でも、このまま迷宮入りかもしれない。たぶん中学生くらいの少女だと思うけど、どこの学校の子かまではさっぱりだ。

 魔術のことならわかるのに。探偵は難しいな。


 それともうひとつ、気になることがある。

 猫ガールが見せてきたスマホだ。


 「#SSs」と書いてあった気がする。家に帰った後で調べてみたが、略語が簡潔すぎるせいか検索エンジンでは全くそれらしいものが引っかからなかった。スマホの画面だったので何かのアプリかとも思ったが、やっぱりヒットなし。


 「負けた」というキーワードから対戦型のゲームを想像したのだが、かすりもしなかった。第一、ゲームなら一方がもう一方を魔術で襲うなどという事態に陥らないだろう。

 どれだけゲームに本気なんだという話だ。現代社会の闇か?


 視点を変えて、ニュースサイトから魔術師による襲撃や喧嘩の類を調べてみたりもした。ちょうど氷ガールがやったような、物騒な事件がほかにもあるかもしれないと思ったのだ。だが、こっちも空振り。


 僕はちらりと先生を見た。彼は後ろを向いて、禿げ頭を光らせながら板書をしている。安っぽいスーツの上着が揺れていた。いまがチャンスかもしれない。


 僕は机に教科書を立てて目隠しにし、上着のポケットから取り出したものをその背後へ置いた。

 地蔵のような形に彫られた、小さなピンククオーツだ。天然石おみくじとかいうおもちゃから手に入れたもので質も悪いが、こいつには便利な性質がある。


 僕はクオーツに指をあて、魔力を流した。石を通じて周囲に魔力が拡散し、僕を包み込む。

 顔を上げて先生の様子を窺った。目に入りやすい教室の後方に座っているにもかかわらず、先生は正面を向いても僕のよそ事に気づいていなかった。


 それもそのはず。色々試して気づいたのだが、平和に意味づけられたピンククオーツはどうやら僅かな気配遮断の効果を持つらしいのだ。その効力はほんの少しに過ぎないが、目の前にいる迂闊な教師の目を誤魔化すには十分だ。派手な動きさえしなければバレない。


 僕はスラックスのポケットからこっそりスマホを抜き出して、机の上に置いた。検索アプリを立ち上げて、ニュースをチェックしていく。先生はまた後ろを向いた。僕の内職には一切気づいていない。


 地元のニュースを確認していく。昨晩や今朝にも確認したけど、そのときはなかった。少し時間の経ったいまなら報道が出ているかと思い、丁寧に見出しを見ていく。


 だが、やはり魔術を使った騒動や襲撃の話はなかった。大都会じゃないとはいえ大きな百貨店がある街だ。そんな騒ぎがあれば地元の新聞で少しぐらい取り上げそうなものだけど。


 報道がないということは、少なくとも警察沙汰になっていないということだろうか。確かに、氷ガールが一方的に猫ガールを襲ったという感じではなかった。やられていた猫の方も、攻撃されたこと自体には特に怯えたりもしていなかったし。


 考えれば考えるほどわからない。

 僕はため息をついて前を見た。教師は同級生を当てて質問に答えさせている。ピンククオーツの効力はまだ続いているので、しばらくあの先生の標的にならずに済みそうだ。


 魔術が効いている間に考えを進めようと思った矢先、窓がカツカツと叩かれた。

 ちらりと窓の外を見る。


 猫ガールが上下逆さまになって窓にへばりついていた。


「うぁぁぁぁ首輪っ!」

「うるさいぞ石見!」


 大声をあげてはせっかくの魔術も形無し。僕は先生に怒鳴られた挙句クラスメイトに大笑いされた。窓の外をもう一度見るが、そこには誰もいなかった。気のせいか……?


 いや、違う。窓の外に魔力の残滓が残っている。知らない人間のものだが、状況からして明らかに猫ガールのものだろう。痕跡は上へと続いていた。この真上は屋上だ。


「おい石見っ、聞いてるのか」

「いえ……」

 先生の声に僕は生返事した。クラスメイト達がまた笑う。


「先生、気分が悪いので保健室へ行っても?」

「気分が?」

 先生が疑いの目を僕に向ける。それは正しい。いまの僕は別に気分など悪くないのだから。


「じゃあひとつだけ質問だ。答えたらどこへでも行け。話を聞いてないお前でも答えられる問題だぞ」

 先生は小馬鹿にした声で言った。これから起こる事態を察して、隣の席の男子がにやにや笑い始める。


「世界で初めて操空間魔術を使用した魔術師は誰だ? 言ってみろ」

「ロバート・フック。イギリスの魔術師で、一六六五年に記した魔術所の中に言及が」


 教室がどよめく。あれっと呟いて教科書を覗く人もいた。先生は呆れた顔で「誰だそいつ」とこぼす。


「ダーウィンだろ。常識だ常識」

「ダーウィンが操空間魔術の始祖であるという説は去年否定されてる。フック起源説は長らく少数派の考え方だったが初の操空間魔術で操られたとされるリンゴの標本に残留した魔力跡を新しく開発された検査魔術で調査したところダーウィンの魔力であると考えられている木属性の痕跡は一切見つからなかったという報道がイギリスであったと。まぁ、今後の研究でやっぱりフックじゃなかったとなる可能性も否定はできないけど少なくともダーウィンでないことは確実視されてるらしい」


「もうちょっとゆっくり喋れよー!」

 誰かが茶々を入れた。みんなが笑うなか、先生の顔が引きつっていく。


「教科書には、ダーウィンだって書いてあるだろ?」

「改訂が二年前の教科書にはね」

 僕はため息をついて歩きだした。目指すは教室の扉。もうこんなところからは出よう。


 扉に手をかけて開く。最後に、砕け散りそうなほどの力で歯を食いしばる先生の顔を一瞥した。


「この本はもう古い」

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