1-2 夕飯は何がいい?

 僕の姉さんは、「フラットスパイダー」が入っているのと同じ冷泉百貨店の食品売り場で働いている。いわゆるデパ地下で、レジを打ったり試食品を配ったりしてもう五年になる。


 僕はエレベーターで地下に降りて、姉さんがいつもいる総菜コーナーに向かった。量り売りの煮物や和え物が並ぶ売り場のそばで、姉さんはすでに制服から着替えて僕を待っていた。

 僕は小走りになって彼女に近寄る。


「高人。やっと来た」

「ごめん、遅くなった」

 僕に気づくと、姉さんはにっこりと笑った。セミロングの髪の間から大きな目が覗く。


「待ったわ、今日も」

 姉さんは「も」に力を入れて言った。僕は頭を掻きながらいつもの言い訳をする。


「店長が面白いものを仕入れれて、眺めてたら時間が過ぎてたんだよ。それに、変わった来客もあって」

「来客? そっちは珍しいわね。あのへんてこな店に高人以外のお客さんが来るなんて」


 失礼な物言いだが、百貨店の従業員の間では「なぜか潰れない店」と呼ばれているのだ。

 潰れない理由は今日分かったけど。あんな大口の客がいるならしばらく安泰だ。


 姉さんはエレベーターへと足を向ける。僕も彼女について来た道を戻りながら話を続けた。


「同じ学校の魔術師がいたんだよ。天城原に僕以外の魔術師がいるなんて思わなかった」

「え? 天城原には沢山いるでしょう? 魔術師」


「いや違うよ。前にも言ったじゃないか。天城原には魔術の教育課程があるけど、専門教育ってほどじゃない。あの学校にいるのは魔術師じゃなくて魔術使いだ」


「どう違うんだっけ? 何度聞いても忘れちゃうわよ。同じでしょ?」

 しかめっ面をする姉さんに僕は首を振った。


「全然違う。魔術使いは単に道具として魔術を使うだけ。例えば……ほら、あんな風に」

 僕が指さす先には持ち帰り専門の寿司屋があった。調理スペースで若い職人が杖を振り、杖から出た炎でサーモンの表面を炙っている。


「バーナーでやればいいのに」

「まぁ、そうなんだけどさ……。魔術師は魔術を使うだけじゃなくて、研究する人。だから僕は魔術師だよ。うちの学校にひとりだけだと思ってた」


 エレベーターが来る。僕らはそれに乗って一階へ上がった。姉さんは腕時計をちらりと見る。僕のものとお揃いの時計だ。


「帰る途中でスーパーに寄りましょう。今日の夕飯、どうしようか」

「ナスとシイタケ以外ならなんでもいいよ。姉さんが食べたいのでいい」

「それが一番困るのよね……スーパーに着くまでに考えておいて」

「うーん……」


 エレベーターが開いて、僕らは外に出た。百貨店の一階は普通のスーパーと同じ食品売り場だけど、僕ら貧困層には縁がない。


 石見家は僕と姉さんの二人暮らしだ。両親は五年前、事故で死んだ。それ以来、大学を辞めた姉さんが生活費と僕の学費を稼いでくれている。料理を作るのも主に姉さんの担当だ。


 だから、まぁ、毎日の食事くらい姉さんが食べたいものを好きに食べたらいいと思う。


「ところで、高人はどうしてその子が魔術師だって分かったの? 魔術使いじゃなくて」

 近道の路地へ入ったところで、姉さんが言った。


「その子?」

「ほら、お店に来たっていう」

「あぁ……すごく高級な素材をぽんと買ってたからね。魔術師じゃなきゃ買わないよ、魔人の頭なんて」


「魔人の頭?」

 姉さんはぎょっと顔を歪めた。


「ちょっと、あなたも買おうとしてないでしょうね」

「大丈夫だよ。僕の魔術体系じゃ役に立たないし。第一、二百七十万もする素材なんか買えないよ」


「二百七十万!?」

 今度は別の意味でびっくりしたようだ。思わず出た大声が路地に反響する。姉さんは慌てて口を覆った。


「ちょっとした自動車並みじゃない……魔術研究ってやっぱりお金かかるのね……」

「あれは極端に高級な素材だよ……たぶん。きっと」

 僕は肩をすくめて言った。自信はなかった。


「じゃあその子、すごいお金持ちなのね。にしたって、私なら魔人の頭なんて買わないけど。なんに使うのかしら」


「魔人の脳みそなら、食べたらその魔人が持っていた魔術知識を垣間見れるかもしれないね。強い魔力を持つ生物の一部を食べることで一時的にその能力を得るっていうのは、原始的な魔術だから」


「ちょっと、夕飯の前に気持ち悪いこと言わないでよ。食欲なくなるじゃない」

「姉さんが聞いたんだろ?」


 僕らは言い合いながら路地を曲がった。左右の建物は居酒屋なのか、焼けた肉のいい香りが胃袋をくすぐる。


 それにしても、お金か……なんだかんだ言っても、金持ちはいいな。今更ながら、あの面白水晶を逃したのが惜しい気がしてきた。僕は逃した獲物の大きさを思い出すように、空っぽの右手を握る。


「ところで、姉さん。今日店長が持ってた雑誌に書いてあったんだけどさ」

「なあに?」

 姉さんが髪をかき上げて僕を見た。目が優しい。僕の声の調子が変わったことに勘づいたか。


「南風浜の学費、上がったんだって」

「そう……」

 姉さんの声が重くなった。二人の間に沈黙が流れる。


 しばらく黙って歩いた。視界が開け、目の前に公園が見えてくる。ここまでくれば、僕らの住むマンションまでもう少しだ。マンションを通り過ぎて少し行けばスーパーがある。


「……大丈夫よ」

 姉さんが言った。作ったように明るい声だった。街灯の下で僕にふり返る。


「お金なら稼ぐから。心配いらないわ。これでも結構貯まってきてるのよ? ちょっとくらい値上がりしたってかまわないわ」

「そう……かな」


「そうよ。だから高人は心配しないで勉強してなさい。学費があっても受験に受からなきゃ意味ないでしょ」

「……そうだね」


 僕も姉さんに笑い返した。ひきつったような笑顔になったけど、姉さんはそれを見て満足げに笑い返してくれた。


「で、何が食べたいか決まった?」

「あー……どうしようかな。ギョーザとか」

「にゃー!!」


 僕らの会話を甲高い声が遮った。にゃーと聞こえたが明らかに人の声だった。目の前の公園の入り口から、ごろごろと大きな物体が転がり出てくる。

 僕は一歩前に出て、姉さんは逆に一歩下がった。腕を伸ばして、姉さんを庇うように立つ。


「……え? いったいなに?」

「姉さん、下がってて」


 僕はカバンを地面に放り、両手を前へ構えた。いつでも魔術を行使できるようにだ。そうして、目の前で白い煙を上げている物体ににじり寄る。暗い中で見ると、獣のようなもこもこした黒い毛玉に見える。微かに、唸り声のようなものも聞こえた。


 毛玉と距離を詰めた。足が届くところまで。僕は左足を伸ばして軽く蹴った。

 反応がない。もう何度か軽く蹴る。


「にゃー!?」

「うわぁぁ!」


 突然叫んだ毛玉にびっくりして、僕は飛び上がった。毛玉はブレイクダンスのように背中でぐるりと回り、低くしゃがみ込んだ体勢で僕と相対する。


 首元に赤い革のチョーカー。見覚えがある。

 ついさっき、店の前ですれ違った女の子だ。


「君は……」

「っ! こっちじゃない!」


 僕の声を無視して、女の子がぴょんと飛んだ。フィギュアスケートみたいに二回転して僕に背を向ける。


 それと同時に、地面を乾いた破裂音が走った。音は勢いよくこっちに近づいてくる。

 顔に風がかかる。冷たい。


 それが何かを理解する前に、僕は動き出していた。女の子の肩を押しのけ前へ出る。右手を突き出して叫んだ。


「"偽造の金剛石イミテーション・ダイアモンド"!」

 右の人差し指にはめた指輪が光る。鉄が一瞬でダイアモンドへと変わった。宝石から魔力が迸り、目の前に障壁を作る。


 障壁が出来た直後、目の前から迫る何かがぶつかった。腕に内側から鈍く響く痺れが走る。魔力の圧がかかったときに特有のものだ。幸い、さほど強くない。


 だけど、冷たい。急に真冬に戻った気分だった。障壁が真っ白に染まっている。魔力を抜いて壁を消すと、がらがらと音を立てて足元に崩れ落ちるものがあった。

 氷だ。じゃあさっきの衝撃は冷気による攻撃だったのか。それが僕の障壁にぶつかって、空気中の水分を凍らせと。


 冷気の煙が晴れる。眼前に白い人影が立っていた。

 魔人の頭の彼女だ。

 彼女は杖を右手で握りしめ、仁王立ちしていた。あの杖が振るわれれば、また攻撃が飛んでくるだろう。


「あー……また会ったね?」

 僕は警戒を解かないまま、声をかけてみた。少女はこちらを見る。だが、視線は僕を通り抜けて背後へ注がれていた。


「邪魔が入ったわ。お互い幸運ね」

 少女はそれだけ言うと、僕たちに背を向けた。そのまますたすたと歩き去ってしまう。


「ちょっと? どうして……」

 声をかけてみたが、彼女は一切反応しなかった。少女はあっという間に住宅街の暗闇に消え、姿が見えなくなる。


「……なんだったんだよ」

 状況が全く分からない。いったいどうしたら二百七十万円の買い物をした直後に人を襲うようなことになるのだ。


 まぁ、でも向こうから去ってくれてよかった。真正面から戦ったらケガじゃすまないだろう。何事もなく危機を脱することができた。

 僕は安堵の息を吐いて振り返った。


「大丈夫かい? えっと」

「なんてことしてくれたんですか!」

「うわっ!」


 文字通り目と鼻の先にさっきの女の子が迫っていた。顔が近すぎてぼやけるほどだ。金に近いブラウンの瞳だけがはっきりとわかる。僕は足をもつれさせながら数歩後ずさりするが、彼女は一歩飛んで僕を追いかけた。


「あなたが邪魔したせいで負けちゃったじゃないですか!」

「ま、負け? え、なに?」

「ほらこれっ!」


 彼女の顔と入れ替わりに、激突しそうな勢いでスマホの画面が突き付けられた。やはり近すぎて、何が書いてあるかさっぱり読めない。ただ、暗い画面の上部に「#SSs」というロゴがちらりとだけ見えた。


「どうしてくれるんですか!」

「ど、どうって……」

「まったく! ふんっ!」


 僕が答えに窮していると、彼女は肩を怒らせたまま僕に背を向け、さっきの氷ガールが去ったのとは逆へ歩き始めた。すごく怒っているのはわかるのだが、彼女が小柄なせいで距離さえ開けばそんなに怖くなかった。プンスカという擬音が聞こえてきそうな怒り方だ。


 あと、さっき毛玉のように見えた黒いものは彼女のパーカーだったようだ。フードの部分が猫の頭を模していて、耳がとんがっている。ご丁寧に可愛らしい目までついていて、それがこちらを見てくるので、余計に恐ろしさが削がれる。


「……あのー」

「バーカ!」


 彼女は捨て台詞のようにそれだけ言うと歩き去ってしまった。後には呆然と立ち尽くす僕と姉さんだけが残される。

 姉さんは地面に投げ捨てられていた僕のカバンを拾った。


「……大丈夫?」

「うん……なんだったんだろう……」


 姉さんがカバンを持って僕へ近づく。彼女の足が、地面へ散らばっていた氷を踏んで割った。姉さんは氷を見て、顔を上げる。


「今日の夕飯、冷やし中華にしましょうか」

「いいね。……マヨネーズ切らしていたかな」

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