#SSs ストリートソーサラーズ
新橋九段
第1章ストリートソーサラーズ
1-1 フラットスパイダー
魔術師にとって一番楽しい時間は何か。
それは、大量の魔術素材に囲まれ果てしない空想を繰り広げるときである。
例えば、いま僕の手元にはピンポン玉大の水晶がある。水晶、これは透明で光を通すことから、未来に意味づけられた魔力を含有すると考えられている。占い師が水晶玉を覗き込んで「あなたの未来は……」と恐ろしげに呟く場面を見た人も多いだろう。あれは水晶に含まれた魔力にアクセスして、未来視の魔術を行使しようとしている場面なのだ。
しかし、ことはそんなに単純じゃない。魔力を扱える人間が、水晶を覗きさえすれば簡単に未来が見えるなら、それこそ占い師は廃業だ。
ご覧あれ。僕の手元の水晶は、透明とは言い難い。内部に亀裂が入っているせいで、中で光を反射して白っぽく見えるのだ。そもそも、全く透明な水晶というのはほとんど存在しない。人工に作られたガラス玉じゃないのだから、ヒビや欠けがあるのは当たり前。
故に、水晶は未来ではなく、もうひとつの特徴の方でこそよく知られる魔術素材だ。
それは歪曲。つまり、捻じ曲げ、歪め、陥れる魔術。愚かな魔術師が未来を見ようと不完全な水晶を使い、垣間見たものに振り回されて破滅した逸話には事欠かない。
僕の手にあるのは、ただの石の塊じゃない。使い方次第で人一人を簡単に狂わせることのできる、危険物だ。
危険なものほど心が躍る。これをどう使うか、どう加工するか。それが魔術師の発想と、知識と、腕の見せ所だ。
そうだな、こういうのはどうだろう。この歪曲を意味する石をステッキの手元に埋め込む。そしてステッキに魔術式を彫り込んでおけばあら不思議、念じただけで相手の魔術を捻じ曲げ身を守ることができる護身杖に早変わりだ。
いや、つまらない。その発想はつまらないぞ石見高人。だいたい、杖に宝石を埋め込むなんて、古今東西でやりつくされている。最古の例は紀元前三千年ごろのもの。たしかエジプトのピラミッドから出土したものがあったはずだ。
あれは血のような色をしたルビーだったか。テレビで見たことがある。ずっしりと重たそうな宝石だった。灼熱の大地を治める王が、灼熱を操る杖を手にする……うん、普通だな。だめだこりゃ。つまらん。
そもそも、杖は自身の内側から発する魔力を方向づけ魔術を飛ばす向きを調整する指示器の役割を果たすのだ。そんな杖に歪曲の宝石を埋め込んだら、一向に狙いの定まらないノーコン杖が出来上がってしまう。これではジョークグッズだ。宝石も報われない。
せっかくの宝石だ、もっと面白く有意義に使わないと。じゃあ……こういうのはどうだろう。これでけん玉を作る。
ふざけているわけではない。大真面目だ。かつてけん玉を武器に戦ったヒーローがいた気がするが、あれは結構理にかなった武器だ。手ごろな大きさで固く、リーチもある。そして一見武器とは思われないから持ち運びも容易だろう。
けん玉の玉にこの水晶を使う。糸に魔力を通して水晶を活性化させれば、水晶が発する光が敵の視界を歪曲し、混乱させる。その隙に水晶でがつん! といけばいい。欠点は、がつん! の際に水晶が割れる危険性があるということだが。
魔術っぽくない? はぁ、これだから素人は。世の中は魔力を操れる少数と、操れない多数に分かれる。マジョリティはいつだってマイノリティに、無責任な幻想を抱くのだ。でもそれはたいてい間違っている。
現代を見よ! 「
僕に言わせれば、第二次世界大戦のときに気づくべきだったけど!
魔術は神秘じゃない。いい意味で、所詮は科学と同じだ。論理と技術の集合体に過ぎない。先人が積み上げたものに敬意を払い、理解してやれば誰だって使いこなすことができるのだ。
ただ、魔術師とそうでない人たちの間に、越えられない素質の壁があるだけで。
魔術は技術だ。だから、魔術っぽい見た目などというものはいらない。魔力や素材を効率よく使い、その力を最大限引き出すことこそ、魔術師の本懐だ。魔術師は魔術において、合理的で、論理的で、スマートであるべきだ。
……だから、魔術師の流儀とか、伝統とか、そういうものはどうだっていいはずだ。本当に、どうだっていい……。
「高人くん?」
僕を自分の世界から引き戻す声が聞こえた。仕方がないので素直に現実へ帰還する。
ここは冷泉百貨店の中にある魔術雑貨店「フラットスパイダー」だ。店長は僕のほうを見ると、呆れ混じりのため息をつく。
「なに? 店長」
「結局さぁ、それ、買うの? 買わないの?」
「あー……」
店長はまたため息をついた。爆発したもじゃもじゃ頭にアロハシャツ、短パンにサンダルというここをハワイかグアムだと勘違いしたような格好の中年男性は、カウンターの奥から身を乗り出して僕に言った。
「そんなに悩むなら買ったほうがいいと思うけどねぇ。それ、結構掘り出し物でしょ?」
「まぁ、確かに……」
僕は曖昧に返事をしながら、水晶玉を手の中で回した。十指にはめた鉄の指輪とぶつかって冷たい音を立てる。水晶の裏側には値札が貼ってあって、そこに三五〇〇と書かれていた。
この水晶は純度が高い。大きさもある。何より、ヒビの入り方が綺麗だ。歪曲の仕方がコントロールしやすいだろう。良質な素材だと断言できる。店長は見た目が胡散臭いが、素材を見る目は天才的だ。この品が三千五百円というのは、客観的に見て破格といえよう。
倍出したってお得な買い物と言える。
普通なら迷わず買うべきだ。そんなことは自分でもわかっている。だけど、一歩を踏み出せない。
僕は知らず知らずのうちに、空いた左手で自分の尻を撫でていた。制服のスラックス。そのポケットに財布が入っている。
石見家には金がない。僕が自由に使えるのは、月に精々三千円が限度。完全に足が出ている。家計を預かる姉に掛け合えば五百円くらいなんとかできるかもしれないが……。
いや、だめだ。まだ四月も半ば。そんなタイミングで月の予算を使い切ってしまうことなんてできない。だいたい、三千円は魔術素材の予算ってだけじゃない。所謂お小遣いが三千円なんだ。そりゃあ、毎月全額使い切るわけじゃないから、ある程度貯金はあるとはいえ……。
この水晶は面白い素材だ。だけど、面白いってだけで、僕の魔術研究に必須かと言われるとそうでもない。いま本当に必要なものはなんだ? 魔術式用のインクはもう切れかかっている。立式用の羊皮紙もだ。あれはケチりたくない。インクと紙がなければ魔術の試行錯誤は成り立たない。でも、それを買ったらもうほとんど残らないぞ。
……だめだ。惜しいけど、面白水晶に費やすお金はない。
僕は後ろ髪を引かれるような思いで、水晶を棚に戻した。店長は「またぁ?」と呟く。
「高人くんさぁ、毎日そうやって素材を見ては唸り、唸っては戻しを繰り返してるけど、時間の無駄じゃない?」
店長は自分の指先で爪の間をほじくりながら言った。
「無駄じゃないよ。店の中にある素材を見ながら思索にふけって色々考えるのはいいトレーニングになるだ。この指輪だって」
僕は店長に左手の指輪を突きつける。
「ここで頭を働かせて思いついたアイデアから生まれたんだから。本物の魔術素材を買えないからどうにかできないかと悩んだ末の」
「指輪、増えてない?」
「気づいた?」
僕はカウンターにまでずいと体を寄せた。店長が何かを察したようにうんざりした顔をする。
「ついに十個目ができたんだよ! 左の中指にはめる分! いやぁ苦労した苦労した。構想一瞬、制作四年。中一のときからコツコツコツコツと。この指輪はほかのやつと違って宝石の性質がかなり特殊で、有機質の側面を持つから。一口に宝石といっても性質は様々だけど、有機質に意味づけられるものは珍しいでしょう? だからこれまでのやり方を流用しても全然うまくいかなくて。図書館に行って植物系の魔術書を全部ひっくり返す勢いで調べて、それでようやく古代植物の……」
「はいはい、ストップストップ!」
店長は大慌てで僕を制止した。
「高人くんが話し始めると長いから。それに聞いてもわからないし」
「なんだよ店長、魔術素材屋の店長でしょ? 初歩的な魔術の話くらい朝飯前のはず」
「特殊属性の魔術立式なんて初歩でもなんでもないよ! 普通魔術大学……いや、さらにその先でやるようなことだ。君、家の納屋で核融合炉作るようなことやってるんだからね?」
「そんなに危険なことじゃないよ。幸い、僕の魔力量なら暴発しても部屋が焦げる程度で済むから。それにまだ、放射性物質を含む鉱石は扱ったことはない」
「まだって……いずれ扱う気?」
店長はじりじりと僕から離れていった。そんなにひかなくてもいいのに。僕はカウンターへ視線を落とす。レジの横には、さっきまで店長が読んでいたと思しき雑誌が置かれていた。『月刊伝統魔術』だ。
格調高いフォントを使いつつ、でかでかと「南風浜魔術大学 新学長冷泉六峯氏に聞く!」と書かれている。表紙に写っているのは白いシャツに白いカラーパンツという、保護色みたいな服装の男だ。世界が自分を中心に回っていると考えていそうな顔で立ち、頭部が雑誌のタイトルを覆い隠していた。
「高人くんはさぁ」
店長が口を開く。
「志望校決まったの?」
「いや……まだ二年生だし」
「もう二年生じゃない。時間が経つのはあっという間だよ? 魔術大学の入試はややこしいし、三年生になってから決めてたら遅れると思うけど」
僕はカウンターの雑誌を手に取った。ページをめくる。冷泉六峯のインタビューは巻頭に掲載されていて、カラーページに写真までついていた。そこに写っていたのは表紙と同じ男だ。魔術大学の学長にしては若い。
「南風浜って……ここからそう遠くなかったよね。確か半島のほう?」
「海のほうに出ればすぐだね。そこにするの?」
「一人暮らしは……難しいだろうし」
「そうだねぇ」
僕の家の事情を知っている店長は、こもった声で呟いた。僕が住む愛知県には、魔術大学が二校ある。というか、二校しかない。そのうち、僕が行ける可能性があるのは南風浜だけだ。
「冷泉六峯か……」
「すごい活躍だよねぇ。若くして大財閥冷泉家を取り仕切り、魔術も天才的! この百貨店も冷泉グループだし。お金持ちで才能もあるなんて、羨ましい」
「……全く」
大金持ちなら三千五百円の素材にいちいち悩まないんだろうなと、僕は心の中で毒づいた。
「しかし、南風浜は新興校だったはずだけど……。なんで十二代続く伝統派の冷泉家から学長を迎えたんだ?」
「インタビューに書いてあるよ。新興校も最近は資金繰りが厳しくて、お金のある伝統派の財布を当てにしてるんだろうね」
「へぇ……」
生返事をしつつ、僕はページをめくる手を止めた。金の話に冷泉が言及している場所を見つけたからだ。写真に写る彼は長い脚を組み、若い女性のインタビュアーに得々と語っている。
『新体制移行に伴って、学費を大幅に値上げしたそうですが』
『年間の学費を七百八十万円に引き上げたことを批判する者もいます。ですが彼らはわかっていない。質の高い研究と教育に資金が必要なことにね。彼らは門戸を広く開くことを主張する。でも、そうすることで南風浜はリソースを失いました。質の低い魔術師が流入し、講師を雇う金もないから教育の質も低下した。新興校とはいえ、伝統校が洗練させてきた大学運営手法は踏襲すべきです。だからこそ、南風浜は私を学長に据えたのだと理解しています』
おお、すごい。まるで貧乏人は魔術を学ぶべきじゃないと言わんばかりだ。金、金、金。魔術の世界はいつだって金がものをいう。
でも、学費の値上げがあっても、南風浜魔術大学の学費が日本の魔術大学のなかで一二を争うほど安いという事実は揺らがなかった。愛知県にあるもうひとつの魔術大学、伝統校の尾張帝国魔術大学の学費は……考えたくもない。
僕はため息とともに雑誌を置いて、腕時計を見た。銀色の文字盤の上で、赤い飾り石がはめ込まれた針がきらめいている。現在五時五分前。そろそろ姉さんの仕事が終わる。迎えに行かないと。
「じゃあ、今日はこれで」
「あぁ、またいらっしゃい……おや?」
僕が店長に背を向けて帰ろうとしたとき、店の入り口から入ってくる人影が見えた。
背筋を伸ばし、颯爽と大股で歩く女性……いや女子だ。癖ひとつないまっすぐな黒髪と一緒に、ブレザーの上着とスカートがなびく。白い上着は僕のものと同じ、天城原学園の制服だ。胸元の青いリボンは二年生を表している。
細い腰には不釣り合いな白革のベルトが巻かれていた。そこに長いホルスターがぶら下がっている。杖を入れるものだ。当然、彼女も魔術師なのだろう。
彼女は僕と店長へ、切れ長の目で冷たい一瞥をくれた。そのまま迷いなく歩き、さっきまで僕が見ていた棚の前に立つ。
「華ちゃん、いらっしゃい……」
店長がおずおずと挨拶する。だが、少女は無反応だった。
「知り合い?」
「あぁ、お得意様だよ。高人くんは知らないの? 同じ学校だけど」
「いや……」
僕は首を傾げた。校舎ですれ違った記憶すらない。こんなカミソリみたいな佇まいの、杖をぶら下げた同級生がいれば記憶に残らないはずはない。
カミソリガールは視線を僅かに動かして棚を検分すると、腕を伸ばした。ほっそりした白い指が掴んだのは、例の面白水晶だ。彼女はそれを握りしめると、手の中で弄ぶ。
「……いいわね」
「だろう? ほら高人くん、やっぱり買っておいたほうが」
「いやいいよ」
少女の視線が僕を射抜く。その中になぜか理不尽な敵意を感じて、僕はたじろいでしまう。彼女は所有権を主張するように、水晶を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「もう遅い……私が買う」
「……どうぞ。僕はどうせ……買わないから」
「それとあれも」
彼女は水晶を握った手で、背後の棚の一番上を指さした。その棚には僕にも正体がわからない生物や植物のホルマリン漬けのようなものがずらりと並んでいる。最上段では、明らかに知的生命体っぽい人型の頭部が丸々標本になったものが埃をかぶっている。
「あれ売り物だったの!? 悪趣味な飾りじゃなくて?」
「うん。あれ魔人の頭部だね。まだ子供だけど、贋作じゃないし保存状態もいい」
「魔人の頭部! そんな面白そうなものがあるなら言ってよ!」
「だって高人くん絶対に買わないでしょ。あれ二百七十万するよ」
「にひゃく……ななじゅうまん……」
絶対に買わない。というか買えない金額だった。軽自動車並みの金額だ。
少女はそんな高級品の購入を、水晶のついでのように決めた。ローンだって検討に値する金額だというのに、眉ひとつ動かさない。
……くそっ、金持ちって羨ましいな。
店長はカウンターから出て、もみ手をしながら少女に近づいた。大口の客にほくほくといった様子だ。
「華ちゃん。重いから僕が出そうか」
「いえ、結構」
少女は呟くと、ホルスターから杖を引き抜いた。長く細い、真っ白な杖だ。手元にグリップ用の彫刻がある以外は飾り気もない簡素なもの。素材は……白樺か? いや、それにしては白すぎる気もする。特殊な魔術素材を使ったものかもしれない。
「"Winter’s ragged hands"」
彼女は歌うように囁き、杖を軽く振った。周囲の温度が下がる。魔人の頭部を収めたガラスケースが曇り、ふわりと持ち上がった。
「操空間魔術……っ?」
僕は思わず呟いていた。ものを持ち上げるくらい簡単だろうと思われるのが、魔術師が出くわす誤解第一位だ。実際のところ、物体を操り手元に手繰り寄せることができるのは特殊な属性の魔力に限られる。
だけどこれは……空間属性の魔力とは思えない。詠唱も、よく聞き取れなかったけど、操空間魔術のものとは思えないフレーズを使っていたようだ。
じゃあ、何かを操ることで間接的にものを持ち上げているのか? 例えば、蔦を操って何かを捕まえるように。でも、ケースの周囲に何かが集っている様子もない。
「どきなさい」
「え、あぁごめん……」
考え事をしている間に、少女が僕の目の前にまで来ていた。彼女は冷ややかな目で僕を睨み、威圧して避けさせる。僕が素直に従うと、彼女は杖を振って魔人の頭部をカウンターに置いた。
「高人くん、お姉さん迎えに行かなくていいの?」
「え? あっ、本当だ!」
僕は腕時計を見た。針の赤い先端はしっかり五時を指していた。もう時間だ。僕は床に置いてあったカバンをひっつかみ、小走りに店を出た。
店を出てすぐに、小柄な少女とすれ違った。太い革製のチョーカーを首に巻いている。彼女は小さく飛び上がるような歩き方で、僕がさっき出た店へと入っていった。
また客か? ……今日は大盛況だな。
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