閑話:とある聖職者の懺悔
神に祈れば。神に許しを請えばその魂は救われるのだと説いてきた。だが、それに罪があるととても思えないのに、許しを請えばと告げるのは。果たして本当に正しいのか。それこそが罪なのではなかろうか。
この国の国教であるホークス神を祀るホークス教は、孤児院の運営に関与したりと民に近しい宗教である。仕事は多岐にわたる。冠婚葬祭は当たり前として、教師の真似事めいて読み書きを親のない子供らに教えることだってある。
私の同僚が孤児院の方は手伝いを行っているのだが、それは一旦置いておいて。
私こそが、懺悔したい。そう強く思ったのは初めてだった。
この国の王太子の婚約者であったフラヴィア=デスパイネ公爵令嬢。その父親の国家転覆罪により一族全ての処刑が決まる。余罪として王太子の現婚約者の男爵令嬢に嫌がらせをしたのだとか王太子は主張しているが、それが物理的に不可能なのは周囲では暗黙の了解ともなっている。国家転覆罪があったという触れ書きも、結審も。こんなに急な処刑というのは前代未聞で、しかも国王夫妻は不在での裁判であった。
何やらきな臭いとは思えど、宗教と政治はこの国では分離している。
だからこそ、処刑の数日前に最後の告解の時間が与えられるのだが。
彼女の話を聞いて。告解が必要なのは自分なのだと痛感した。
ふらふらと、北の塔から出て階下に降りる際転んでしまい、勤務につくところだったろう兵士に助けられながら階段を下ってゆく。
思わず愚痴めいたことを零してしまったが、特にその兵士は責めもせず。自分を階下で送り届けてくれた。
教会に帰って。夜のこの街並みを見ながら私は後悔している。
そして自問自答している。
果たして本当に正しかったのか?いつもの通りに、処刑される罪人に向けて告解はあるのか問うことは。
もっと何か別のことを問うか、傾聴するべきではなかったろうか。
私はきっと。今日の日のことを老い先短い身であるが死ぬまで忘れることはないだろう。自分の中の信念に迷いの生まれたその日の、ことを。
ああ、神様。私は。
私は。
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