閑話:兵士は今日も眠れない

昼のお嬢様はじっと窓の外を見ているという。彼女が見つめる先に何があるのかを俺は知らない。俺には見せない一面なのであろうことに、どこかざわつく胸がある。

見つめる先に見えるのは高い城壁の向こうの城下町くらいだろう。或いは鳥だ。

今日は低空飛行ではないので明日は晴れるであろうと、北の塔に向かう際に見かけた1匹の鳥に思う。


「処刑の日、嵐でも来ないだろうか。」


そうすれば、雷雨に紛れて令嬢1人何処へともわからず逃げだせるのではないだろうか。などと考えた自分は見張りの兵士失格かもしれない。それでも共に逃げないかの一言も言い出せぬ、権力も何もない平民である己は酷く中途半端である。


理解している。わかっている。そんなこと。

自分は1兵士。あの子はお嬢様。理不尽な中でも諦めない気高い人だ。奇想天外で野生児みたいで奇天烈なことだってするけれど。

冷たい言葉に傷ついた心を隠して。女性にとって大事な髪を切られても、涙1つみせやしない中で。俺に弱音を吐いてくれなどと烏滸がましい思いなど抱いてはいけないことくらい。


そも、今のこの状況がなければ会話を交わすこともなければ一目見ることすら叶わぬような身分の方である。本来ならば彼女が何を考え、どの様にして生活しているかなども知ることはなかった。運命とは皮肉なものだ。

扉1枚、されど1枚。足踏み入れることすら普段はできやしない。

衝動的に、涙を止めたい。1人で傷ついてほしくない。その思いに名前を付ける前に1歩踏み出していたのが実際のところであった。たった2回だけれど。最初の1度、ナイフで脱出ロープを作ろうとしていたのを止めたものに関してはノーカウントである。あれは本当に肝が冷えた。


鳥が空を舞う。このあたりでは珍しい鳥が1羽、南の塔へ飛んでいくのが見える。誰か好事家が飼っていたものが逃げ出したりしたのだろうか。

あんな風に北の塔のお嬢様も自由に外を歩けたらよいのに。本来ならその資格はある筈なのに。あと10日でお嬢様は断頭台の露と消える。一族と、ともに。


「あ、ぁ……ぁー………… っ」


仮眠のためにベッドに体を横たえた俺の口から漏れるのは、情けない呻き声だ。

大声を出すこともできない。泣き喚くことすら、できない。

理不尽に抗うことすら、今の自分にはできない。できないのなら見ないふりをするのが正解なのか。それがきっと処世術だと理解しているのに。心が嘘をつけないと傷んでいる。痛みに呻いている。


毎日笑って、どや顔で。時には危険なことだってして。それでも諦めない真っすぐの青い瞳が。夕日に鮮やかな朱金に染まる、朝焼けに金色に輝く髪が。隈はできていても光を失わぬ姿を毎日見ていて。処刑される理由が一族連座なのは兎も角、1人だけ放り込まれた北の塔での仕打ちが理不尽なものであることを理解していて。どうして、黙って処刑されてくれなんて思い続けることができるだろうか。



この思いに名前をつけてはいけない。

相手に気づかれても、いけない。

相手にとって自分は唯の1兵士であることは理解しているし。

処刑されるべき相手へと抱いた思いは国を、自分を育ててくれた孤児院の人らを裏切ることになるのだから。



思いを殺して。唯の夕方から朝にかけての見張りの兵士として今日も仕事をせねばならないというのに。黒い鬘を被って微笑む姿が目に焼き付いて離れない。

眠ろうとするたびに、殺さねばいけない感情が沸くから。1つ1つ殺してゆく。



早く寝なければ夕方からの勤務に差し支えることは理解していたというのに。

眠気は今日、1つもやってこなかった。

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