10日目

今日も少し早めに見張りの交代の為に詰所にやってきた俺だが、珍しいことにもう1人の同僚は未だ詰所にやってきてはいない。ロッカーが開けっ放しになっているのは何時ものことだが、着替えがそのままということは未だ任務に就いているということであろう。明日は雨だろうか。俺はそんなことを考えながら、交代時間を知らせる為に階段を昇っていく。

階段を昇り切ったとき、凄くデバガメ状態の同僚が其処に居た。どんな風だったかというと、開きっぱなしの格子扉から半身を乗り出して、ちらちらっと中を見ている状態である。……ってちょっとまて。


「おい、お前扉開きっぱなしって万一逃げられたらどうするんだ!」


「あ。もうこんな時間か。でもしゃあないって。王太子様と婚約者様が人形姫に会いに来てんだからさ。」


「……は?」


緑豊かな国、ファルコニア。この国は穏やかな気性の国王とその妻が統治している。2人の間には王子が1人おり、それがこの国の次期国王にして王太子であるリチャード=ファルコニア。詰まりはフラヴィア=デスパイネ公爵令嬢に婚約破棄を叩きつけた挙句、国家転覆を図ったとされるデスパイネ家の罪と連座させて彼女を処刑するために、家族と離しこの北の塔に1人幽閉させた男である。一緒にやってきた婚約者様とは、確かお嬢様が婚約破棄される原因となったメイリーン=グラシアル男爵令嬢だったか。


俺は1兵士だ。上からの命令には従う。従うもののお嬢様へのこの扱いは違和感があった。処刑される程の罪を犯したとされるのはお嬢様の家族だ。なのにどうして主犯であるとされた彼女の父親ではなく、彼女だけがこの劣悪な環境に放り込まれたのだろうか。普通に考えておかしいだろう。逆に元婚約者への慈悲とかで彼女のみ南の塔の調度品などある部屋への幽閉ならまだわかる。

それに、俺が噂や直接お嬢様から聞いた話では、王太子曰く現在の婚約者である男爵令嬢へのお嬢様からの悪口という名の忠告が男爵令嬢を傷つけた為に婚約破棄されたのではなかったろうか。何でこの塔に男爵令嬢を伴って王太子は態々会いに来てるんだ。俺が眉根を寄せていると……。


「私はただ、謝ってくれるだけでいいんです。リチャード様に軽々しく声をかけるなとか、無暗に近づくなとか。私、その時とっても傷ついたんですよ。ドレスをワインで濡らされたことも、階段から突き落とされたことも……怖かったんですから。」


「フラヴィア、これはお前への慈悲だ。この10日の間この酷い環境でしっかり反省したろう?メイリーンへ言った数々の暴言、そして彼女の心と体を傷つけたことを心から詫びたのなら、家族と同じ南の塔へと幽閉場所を移してやっても良い。処刑することは変わらんがな。」


「私は主神に恥じる行いは一切しておりません。当時婚約者のいる、しかも王族にファーストネームで呼びかけ、馴れ馴れしく触れる事は貴族令嬢として恥ずべきことであるとお伝えしたまでです。ワイングラスは貴女が私にぶつかってきたことは当時国王夫妻や他多くの貴族らが見ていましたし、当時大后様に見苦しい故に下がれと貴女が命じられたことを、国王様の生誕祭に参加した方々で覚えていない方はいらっしゃらないかと。階段に関しても、自分からダイブしていったと記憶しておりますが。何せ私、その時貴女がダイブした踊り場に居ましたから突き落とすこともできませんわよね。」


淡々とお嬢様は説明している。メイリーン男爵令嬢はそんなの嘘ですやら何やら喚いており、王太子は屁理屈をこねてなどと言っている。

何言ってんだこいつら。馬鹿か。というのが俺の感想だ。同僚はお可哀そうなメイリーン様とか言ってる。お前も馬鹿か。


「王太子様、『グラシアル男爵令嬢様』。そろそろ夕刻になります。暗くなりますので男爵令嬢様がこの塔を下る時にお怪我をなされたは大変です。ご用事があるなら日を改めた方が良いかと愚考致します。」


呼びかける俺の声に不敬なと言いかけた王太子は、空の色を見て確かにと考えを改めたらしく。男爵令嬢を連れて階段を降りて行った。去り際に、温情を無碍にして。苦しんで死ね!などとお嬢様に暴言を吐いて。


「あーやっぱ人形姫は人形みたいに感情とかないんだろうなぁ。あんなにか弱く震えている婚約者様に眉1つ動かさないんだぜ。あ、お先!」


同僚はそう言って、王太子らに続いて階段を降りて行った。あいつ3人の話聞いてなかったのかよ。どう見てもおかしいのあの2人だろうがよ。

俺は開いている扉を閉めようと近づいて……ベッドに座っていた公爵令嬢を見る。

強張った顔。何時も桜色に染まっている唇には血の気がないように見える。

粗末なドレスを握りしめる手は白くなっている。これを見てどうして感情がないなんて言えるんだろう。十分、傷ついてるように俺には見えた。


1歩、近づく。お嬢様はびくっと肩を揺らした。そりゃそうだ。見張りの兵士が扉の中に入ってくるなんて不敬オブ不敬だ。先の皿を割ったときのあれはノーカンとする。お嬢様は何かを言いかけ、諦めたように目を伏せ……。


「お嬢様は悪くないでしょう。あの2人の言ってることは無茶苦茶だ。」


ひゅっ、と呼気を吸う音がした。青空みたいな瞳が少しだけ潤んでいるような気がするのは気のせいだろうか。

俺はお嬢様の頭に手を伸ばす。ぽんぽん、と撫でた頭は体を拭くのみで10日間風呂に入れなかった分油ぎっていた。明日メイドに髪を洗う分の湯を申請すべきだろうか。

たった10日間だけれど、お嬢様の人となり位はわかるさ。お嬢様は破天荒だし突拍子もないしポンコツ具合も凄まじい。でもお嬢様は一度たりとも自分をこの様な状況に追いやった王子様と男爵令嬢への恨み言を吐いたりしなかった。不貞を働いて自分を陥れた元婚約者に死ねといわれても。泣きも喚きもしなかった。ただ、耐えていた。


「何時もみたいに堂々としてくださいよ。貴女は何も間違っちゃいない。」


ぽた、と白い頬に伝う雫がある。数日着っぱなしの薄汚れたドレスの色が一部分だけ昏く変わる。やがて聞こえる嗚咽を聞かないふりをして。俺は彼女の頭を手袋越しに撫で続けていた。……あっ、こら。制服で鼻を噛むな。あーあズルズル言ってる。

俺の制服をしこたま汚した後、お嬢様は赤い鼻のまま顔を上げて、にっこり笑って宣言する。


「必ず脱走して見せます!あんな馬鹿どもを喜ばすための犠牲なんてまっぴらごめんですわ。私、諦めが悪いんですのよ!」


「脱走は諦めてほしいんですけどね……。」


主に俺の首が飛ぶから。物理的な意味で。でも、まぁ。


「諦めない貴女はあの男爵令嬢とやらよりずっと、魅力的なことは確かですが。」


本心からの言葉だったのだが、俺は奇声を上げたお嬢様に思いっきり腋腹をどつかれた。何故だ。

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