9日目

同僚はフラヴィア=デスパイネ公爵令嬢を『人形姫』、という。

殆ど動かないお嬢様。無論会話などもないという。

何時も食事を運ぶメイドは、寂しそうだという。昼と夜とでは違うのだと。夜は生き生きとしているらしい。

考えれば考えるほどドツボに嵌っていきそうだ。俺は一旦考えるのを辞めて、今日も夕暮れ時の階段を1段1段、昇ってゆく。


見張りをもう1人の兵士と交代し暫くして、何やら変な掛け声が聞こえる。少し放置していたがずっと聞こえ続けている。何をしているのやら。

格子窓越しにお嬢様を見ると……彼女は元気にスクワットをしていた。何故だ。

俺の視線に気づいたのか、ふんっ!ふんっ!と掛け声をあげつつ体を上下に揺らしていたお嬢様はこちらを振り向いて、どや顔でこう言った。


「私は考えましたのよ。ふんっ!逃げるためにも、はぁっ!先ずは体力を作ることが、ほあっ!先決だと!ふんっ!」


「喋るか運動するかどちらかにしていただけませんかね?」


俺の腹筋が死ぬから。何で鼻の孔膨らませながら喋るのこの人。せめて止めよう。

スクワットを止めて喋ろう、お嬢様。

俺の願いが通じたのか、スクワットを中止したお嬢様は、ぜぇぜぇと息を荒げながら尚も喋ろうとするため、俺はステイステイと手を前に出して止めた。

お嬢様、息を整えて喋りましょう。俺の腹筋を破壊したいのはよくわかりましたから。それはおやめくださいませお嬢様。


「ぜー……はー……。と、とにかくですわ!私は体力をつけていざ脱走のために全力疾走する下地を作っていたのです。ほら、よく言うでしょう。千里の道も一歩からって。」


「それは言いますが、後21日しかないので脱走しようとするのなら筋肉痛が回復するための期間も考えながら運動すると宜しいかと。」


いざというときにこのお嬢様のことだ。絶対足が痛くて動けないとかポンコツなことになる。俺はそう確信している。

お嬢様はむくれながらも言い返せない。自覚はあるのだろう。ジト目を受け止めながら、俺は1つアドバイスをしておいた。


「スクワットをするのは宜しいのですが、お嬢様のスクワットは背中が丸まっていますのであまり効果がないかと。ワイドスタンスといって足を広げた方が安定しますし、背をまっすぐ伸ばして行う方がよいと思いますよ。」


「え……兵士がまともなアドバイスを私に……明日は槍が降るのかしら。」


アドバイスなんてするんじゃなかった。俺は半眼になって視線を反らし、勤務に戻った。


「ごめんなさいつい驚いて本音が口から出ましたの!お願いもう1度アドバイス!アドバイスを!!!」


……俺は半眼のまま振り向き。つま先を外に45度くらいに開くよう指摘した。お嬢様は素直にそれに従い、スクワットを行っている。


「あっ、これ結構きつい!きついですわ!!」


「そりゃあスクワットですからね。」


今、俺ともう1人の兵士はこの塔の見張りを行っているが、本来の兵士の仕事は門番やら国に無数にある村や町に派遣されての駐在やら王都の見回りやらと多岐にわたる。その際に暴漢やら野党崩れに出会うこともあり、体を鍛えることは欠かせないのだ。新兵の時には上司に扱かれたものだ。ゲロ吐いて翌日飯が食べられなかったのも良い……いや、よくないというか忘れたい思い出の1つである。つまり、このスクワットも体を鍛えるための手段の1つとして、訓練に取り入れられているわけである。猫背の奴は追加100回とかあったなぁ。100回行く前にもう1人の見張りの兵士は気絶していたが。


「でも!これ!割と!ふんっ!楽しいですわ!!」


「……楽しいですか?」


俺はその言葉に目を瞬かせた。俺の考えるスクワットは、きつい。汚い。筋肉痛い。の3つの『き』が絶えまなく体と精神を苛むものであるという認識であったものだから。楽しいという発想自体ないものだった。


「だって、私こんなに体を動かしたの、ダンスの講習以来ですわよ。」


その言葉に、ああ。そうかと腑に落ちた。貴族のお嬢様は普通このようなスクワットなどなさるはずもない。これは体を鍛えるもので、貴族や王族の伴侶となるべく育てられる身に求められることではないからだ。大体学ぶことは家から与えられるもので行われる。だからこそ彼女にとって、この運動は自ら率先して行おうとした数少ないものの1つなのであろう、と。脱走とかもだがそれは見ないふりをしておこう。


「そうですか。……それにしてもよくスクワットなんて知ってましたね。」


「ふふん、私見てましたのよ。王太子の月に一度の茶会は離れの間で行われるのです。その時に窓の外を見たら丁度兵士の訓練風景が。」


「ああ、それでですか。」


つまりスクワットを兵士らがしているのを見たことがあった。だから取り入れようとした。理にかなっている。

俺はうんうんと納得するのであった。だから聞き逃したのだ。


「……毎回、皆早々に転がってぐったりしているのに。1人だけ、真面目に最後までやり切っていたのが貴方でしたわね。」


「ん?何かおっしゃいましたか?」


「えっ!?いいえ、いいえ。なぁああんにも?」


何故か少し慌てたような様子で首を振っているお嬢様。まぁいいかと俺は見張りの仕事に戻ることにした。時折変な掛け声が聞こえるのは、聞かないふりをしておこう。


翌朝、お嬢様は筋肉痛でベッドで呻いていた。

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