-17話

「――クレハ!!」

 誰かがそう叫んで、教室に飛び込んできた。

 数学の……荒波先生……

 血相を変えて、倒れた玖雅先生を起こす。

 先生の額から血が流れていた。

「せ、先輩! これをっ……!」

 さらにはあの眼鏡の女の先生も駆けつけて、荒波先生にハンカチを手渡した。

 玖雅先生の額にハンカチを押し当て、止血する。

「先生……どうして……」

 へたり込んでいる一見さんが、茫然とした様子で言う。

「見えていたんでしょう!? あいつが椅子を投げることなんて、先生にはわかっていた! 私にだって見えていた! なのにどうして……!」

「そのほうが都合がいいから」

 血を流すケガを負ったというのに、先生はなぜかケロッとしている。

 心配する二人の先生の手を振り払い、玖雅先生は立ち上がった。

「生徒が教師にケガを負わせた……こいつを処分するのに十分だろ?」

 まさか……そのためにわざと当たったってことか?

 それよりも気になるのは……

 一見さんが「見えていた」「わかっていた」と言ったこと。

 どういうことだ?

 松葉が何をするのか、事前に把握していたような言い方だったが……

「は……ふざけんなよ……お前なんか……」

「親に言ってクビにできるってか? 無理だね」

 先生はゆっくり、松葉に向かって歩いていく。

 さっきまで勢いはどこへやら、怖じ気づいたのか松葉は後退りする。

「俺は魔女ではあるが女ではない。けど、今のは聞き捨てならんな」

 じりじりと後ろに下がっていくが、途中机に蹴躓く。

 立ち上がろうと椅子に掴まるが、先生がそれを蹴り飛ばした。

「地べたを這いつくばるのはお前のほうだよ」

「やりすぎだ! いい加減にしろ!」

 荒波先生が玖雅先生を松葉から引き離し、眼鏡の先生が松葉を保護した。

「お前が怒りたくなる気持ちはわかるけど、それ以前に自分が教師だってことを忘れるな!」

「……うるせぇ。わかってる」

 とは言うが、玖雅先生は納得していないような顔をしていた。

「は……ははは……何これ……先生に庇われちゃった……よりによって、玖雅先生に……」

 力なく、一見さんが笑う。

「こんなことなら……最初から……いや……今更何言っても遅いわね……」

 何か言いかけたのを飲み込み、彼女はゆっくり人差し指を自身のこめかみに当てた。

 ……何してんだ……!?

「私は失敗した。失敗した者はいらない」

「……おい……」

 それは、銃口を当てているようにも見えた。

「やめろ。何をする気だ」

「私はもう、あの人に必要とされない」

「――やめろッッッ!」

 先生の叫びは、懇願というよりかは命令のように聞こえた。

 何か大きな力が働いた気がした。

 力に押され、すっかり油断していた俺はふらつくが、背後に隠れていた香坂さんが背中を支えてくれた。

 間島先輩も伍紙先生に支えられていた。

 他にも何名か、座り込んでしまったやつもいるようだった。

「ありがとうございます……香坂さんは平気なんですか」 

「何とか……」

 目を赤く腫らした彼女は、ギリギリ持ちこたえたというふうだった。

 何だ今の……

「魔女の力の一つだよ……だから私は大丈夫だったけれど……それでもとても強力すぎて……」

 魔女……

 なんつー力を……

 俺は視線を先生たちのほうに戻す。

 一見さんは腕をだらんと下げていた。

「勝手なことはさせねぇぞ……一見すみれ……お前にとっては失敗かもしれんが、こっちはチャンスなんだよ……! 言え! お前は誰に命令された!?」

 先生の命令に、反応を示さない一見さん。

 うつむいて、何かぶつぶつ言っている。

 耳を澄ませると……

「……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ずっと謝っているのだけが聞こえた。

 誰に……何に謝っている……!?

「先輩! 駄目です! 彼女に先輩の声が届いてないです!」

「ぐ……何でだっ……こいつにそんな力は……」

「待て……何か変だ……」

 荒波先生が何かに気づいたとき。

「――教室から出ろっ!」

 伍紙先生がそんなふうに叫んだ。

 突然のことに動けないやつが多かった。

 伍紙先生は壱岐の首根っこをつかみ、俺たちを押して教室から飛び出した。

 廊下に倒れ込むようにして脱出したが、ゾワッと背中に寒気が走った。

「ふふふふふふふ」

 狂った笑い声が、教室の中から聞こえてきた。

 体を起こすと、ほとんどの人が床に倒れていた。

「ま……間島先輩!?」

 俺の上に倒れていた間島先輩がぐったりしている。

「気絶しているだけだ」

 伍紙先生にそう言われ、少しホッとする。

 意識があるのは俺、伍紙先生、壱岐に……香坂さん。

 そして教室の中にいる三人の先生。

 出遅れた新聞部の二人はもちろん、野次馬たちは皆気を失っていた。

 どうなっているんだ。

 もう、わけが……

「ふふふふふ。また失敗だね。クレハ」

 一見さんが……笑っている。

 恐ろしく不気味な笑みを浮かべて。

 彼女の意志で笑っているようには見えない。

 夢に出てきそうな……人形のような笑顔。

「この子はもう用なし。せっかくだけど、これでさよなら」

「逃がすか!」

 先生は一見さんに向かって手を伸ばすが、見えない何かによってそれ以上前には進めないようだ。

「駄目だ……クレハ! 下がれ!」

「くそっ……! 起きろよ! 目を覚ませ、一見すみれ!」

 荒波先生に押さえ込まれ、バタバタもがきながら玖雅先生は叫んだ。

「待ってるよ。私たちが欲しいのは、君の力」

 それだけ言って、一見さんは糸を切られた操り人形のようにその場に倒れた。

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