第70話 ソラの願い

 手を伸ばしてあげて、とソラは言った。

 自分を殺そうとした相手に、自分の手では届かないから、おれに任せてくれた――やっぱり、ソラは、すげえよ。

 普通、少なからず、怒りや悲しみがあるはずなのに、それを感じさせもしないで――、

 自分のことよりも真っ先に相手のことを考えている。……おれにはできねえことだ。


 だからこそ、

 ソラの跡を継ぐ。

 そうすれば、おれだって、ソラのような、英雄になれる――。



 倒壊したスカイツリーの瓦礫に混ざって倒れていたえるまの分裂体を辿っていくと、出会った――二度目、だ。

 ついさっき、おれは彼と出会っている。

 正面に立っただけで挑む気力さえ湧かなくなるほどの実力差を叩き込まれた――、返り血を浴びたような、全身が真っ赤な青年だ。


 首元にはマフラーのように巻いている黒いヘアバンドがある……、赤も黒も、返り血を浴びても目立たない色である。唯一、肌色だけが、付いた血が目立ってしまうが、すぐに拭えば見つかりにくいだろう……、

 まるで返り血を浴びることを最初から想定しているようなファッションだった。


 ソラと、彼と、そして、ハヤテ――、おれが出会ったあのハヤテは、ソラが言うハヤテではないらしいけど、見た目は一緒だったらしい……。

 この三人が、幼馴染だった……。

 仲良しの三人組と言える、友達の輪ができていた。


 だけど、今はもう既になくなってしまった輪だ……、ハヤテの死によって。

 おれの知らない本物の疾風ハヤテは、世界が変化する以前に、既にこの世からいなくなっている。それが原因で、ソラと赤い彼の、幼馴染の輪……というよりは、直線の繋がりは消えていた――今になるまでは。


 どうして今になって?

 ソラは言っていた。彼は、復讐をしている、と。



「ソラに、なんの恨みがあるんだよ……」


 顔に返り血をべたりと付け、真っ赤な顔を袖で拭う赤い男と目が合った。身がすくむ……恐怖で膝を着いてしまいそうだ。

 ……やっぱり、相性が悪い……、おれは、無意識に彼に怯えてしまっている――たぶんこれは、苦手を克服とか、そういう問題じゃない気がする……。

 アレルギーとか、そういう類の症状だろう。


 それでも。


 ソラに頼まれた以上は、投げ出すわけにはいかないんだ。


 それに――この男を野放しにしておけば、今度こそ、ソラが殺されてしまう……、運良く傍にえるまがいたからこそ、撤退できたのだ、もしもえるまがいなければと思うと、ゾッとする。

 後悔するような結末があったかもしれない――そしてそれは、今後も続くだろう、彼がいる限り。倒さないまでも、誤解を解くでもいい……、和解、もしくはソラを見逃してほしいとお願いしなければ、今後の安全は保障されない。


 おれじゃあ、彼には勝てないだろう……だけど、言葉が通じない化物じゃないんだ。


 おれが出せるものを全て出せば、ソラの命を、守れるかもしれない――。


「お前、さっきの――、なんだよ、ソラの敵討ちか?」

「…………」


 ない、とは言えない。だけどそのつもりできたのかと言えば、否だった。


 それが、はっきりしない微妙な態度として映ってしまったのだろう。

 ――チッ、という舌打ちが聞こえ、おれの心音が跳ねる。


「てめえもあいつと同じか。やられたらやり返す、その当たり前が分かってねえらしいな。やられっぱなしで納得できる弱者が、人の上に立つとお前みたいな支持者も増えるわけだ。

 ……打倒、支配者ってよ、人類全員で一致団結をしようってところに、利己的な報復もできねえ弱腰野郎に、足下をうろうろされたくはねえな」


 自分の手を汚したくなければ他者を頼る。それがクランのメンバーなのだ。

 自分の意見をはっきりと持たない者は、複数のクランに意識が向いて右往左往する……、

 彼はそれを嫌い、不快に思っているようだった。


「他人に頼るならせめて意見くらいははっきりしろ。クランによって上に立つやつの個性カラーが変わるのは当たり前だ。オレなら徹底して、相手を潰す、破壊する――みてえにな。

 それに賛同できなければ敵対しろ、それくらいはっきりしねえと、こっちもやりづれえんだ」


 それはつまり、殺されたくなければクランを変えろ、と言っているのか? 

 ……おれを、誘ってる……? ソラのクランから、お前のクランに……ッ!


 ふざけんな。

 いくらお前のことが苦手でも、怖くても……っ、ソラだけは、裏切ることはしたくない!!

 ソラを裏切るくらいなら――お前と、敵対する方が、マシだ!


「誰が、お前なんかを、支持するかよ……ッ」


「別に、文句はねえよ。それがお前の選択なら絶賛してやる。だが、お前はオレの、クランリーダーとしてのカラーを知った上で拒絶をしたんだ……なら分かるよな? 

 敵対したお前のことを、オレがどう対応するかなんて、火を見るより明らかだろ」


 おれを殺したところで戦況に影響はない……って言っても、たぶんそういうことじゃないんだろうな……、彼にとって、自分の思い通りにならず、敵意を向けてくる相手であれば、誰であろうと破壊する。そういう信条の下で動いているなら――、おれはその射程範囲内に入ってしまったわけだ。

 わざわざ檻の中に入り、猛獣と対面してしまったのだ――、

 ここで噛まれた、怪我をしたなんて叫んでも、そりゃそうだと言わざる得ない。


 相手が第二位だと分かった上で、おれはここまできた。


 彼を『アビリティ・ランキング』から脱落させるためではなく、過去に囚われている彼を救うためだった、とは言え……、

 それを理解しない、理解する気もない彼に近づいたのはおれなのだ。

 無理やりではない、ソラの意志を継ぎ……おれ自身で出した答えだ。


 どうしてソラは彼に手を伸ばそうと思ったのか。幼馴染だから? ……だろう、それしかないだろう、とも言えるけれど、でも……他にもなにかがあるのだとしら?


 おれには見えていない、ソラが見ていた危惧があるのだとすれば?


 ……おれはまだ、全貌を掴めていなかった。


 なのに勝手に、彼のことを分かった気になり、救うべきではないと判断するには、早い、早過ぎる。救う、だなんて、ソラにしかできないことをおれが一から十までできるとは思っていない――できないだろう……。

 過去も知らない、幼馴染でもない赤の他人であるおれが入っていい輪じゃないことは、百も承知だ――だからこそ。


 他人だからこそ踏み込める位置へ、せめて乗り込んでやる。


 そこまでしないと、戻れない。


 ソラに合わせる顔がない。


 ソラがどう思うかじゃなく、おれ自身がどう思うかの話だ。

 だから、たとえ誰に止められても、おれはここで止まる気も、引き返す気もなかった。


 前へいくしか、もう道はない。


「……、一道、ヨートだ」

「覚悟は決まったか。……殿ヶ谷アギトだ」


 これは、勝負へ移行するための、儀式のようなものだった――



「――青柳えるまだよ!」


 と、


 重たい雰囲気に場違いな明るい声が聞こえ、おれは腰が抜けそうになった。


 真っ赤に染まった瀕死のえるま、ではなく、瓦礫の山に潜んでいた分裂体の一人……ちょっと小さなえるまが飛び出してきた。

 彼——殿ヶ谷アギトの背後で、腰に両手をあて、胸を張っている……どうしてそんなに自信満々で立っていられるんだよ……っ!


「二対一は卑怯だって思った? でもあなたは第二位、こっちは十位圏外なんだから、ハンデだとしてもまだ足りないと思うよ――だからいいよね、ヨート様に加勢したってさ!」


「一人、二人増えようが変わんねえよ。

 まあ、お前の場合は数百人にも分裂できるんだろうけどな」


「ふふーんっ、千でも万でも億でもね! あとで負けた言い訳に使わないでよね!」

「そんなダサいことするかよ」


 えるまの挑発に乗りながらも、苛立った様子はなかった……良かった。


 手助けにきておきながら、相手の調子を良くしていたらお前がきた意味がないだろ。


 えるまがとことこ、と足音を立てながら(そんな気がした)おれの隣へやってくる。


「ヨート様が勝てたら、ヨート様が第二位だね!」

「……期待すんな。別に、勝つつもりなんてないんだよ――ただ」


「ただ?」

「……踏み込むためには、やっぱり、これしかねえだろ」


 言葉で無理なら。

 手を出す前に口を出すべきだけど、口を挟む余地がなければ拳を叩き込む。

 じゃないとこじ開けられないものがあるのだから。


「すごいやる気だね」


 ああ。命を懸けるには充分な人質が、おれにはいる。

 それがなければ、おれはきっと、すぐにでも逃げ出していただろうからな――。


「えるま、手、貸してくれ」

「うん、いつでもどこでも、青柳えるまはヨート様の道具だからね!」


「お前、それを自己紹介で使うんじゃねえぞ!? 

 誤解されるだろ――お前は道具じゃなく、おれの友達なんだからな!?」


 だから。

 ……使うだけ使って、消耗したら切り捨てるような扱いはしない。


 そもそも女の子だし……おれより前に出すことさえ反対なのだから。


 だけど今は助かった……心強い。

 えるまがいるだけで――いてくれるからこそ、力が溢れてくる。


 一人きりじゃないことが、おれにとっての、エネルギーになるのだから。



 ――その子だけだと思ったら大間違いですからね、せんぱい。



 すると、おれの心の中に響く声があった……幻聴? いや違うだろう……確実に聞こえた。

 耳ではなく、脳が、反応して――。

 戸惑うおれを見てえるまが首を傾げている。彼女には、聞こえていない……?


「真緒……、お前、能力が……」


 ――その子、えるまのおかげで強化されたみたいですね。わたしの声をせんぱいの心の中に直接、届けることができます。これで離れていてもせんぱいの手助けができますよ。


 遠くにいるのだろうけど、でもどうやっておれたちを見て……。


 ――瓦礫の中に埋まってた、スカイツリーの望遠鏡を利用して、遠くから観察してる。だからヨートたちのことはよく見えるぞ……。

 

 この声は……ナン子か!?

 真緒の能力は、他者の声をおれの心へ届けることも可能になって……?


 ――そういうことです。せんぱい……一人じゃないです。それどころか三人の女の子がせんぱいの味方ですからね! ……だから、ヨートせんぱい。命を懸けるって言っていましたけど、死んだら許しませんからね。あなたを支持する子が、ここにいるんですからッ!!


 ナン子、真緒、そしてよく分かっていないけど、うんっ、と頷いた隣のえるまを見て、おれは再認識する。……死ぬ気で挑むが、死ぬつもりはない。

 おれが死んだら悲しむ子がいる……冗談か本音かは置いておくが、本音だった場合、悲しませるわけにはいかないから。


 あいつらを残して、死ねるかよ。


 ソラが死んだら、おれだって嫌なのだ……だからこの気持ちを、無下になんかしない。

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