第69話 明空院事件
空をわざわざ誘ったのは、疾風を制御するためだ。
あの天才様を相手にしたら、大人とは言え出し抜かれるだろう……、そうならないためにも空を舞台上に上げることは必須だった。
疾風の弱点とも言える空だ――危害を加えなくとも脅すだけで効力は充分に期待できる。
空が明空院に助けを求めるとは……あたしは思わなかった。冷静であればそういう選択肢も頭に浮かぶのだろうが、疾風の危機を知った空は、まず自分の足で動くだろう。
人の手を借りるよりもまず、自分の足で動く方が先であるタイプだってことは知ってるからな……、長い付き合いではないが、ワンナイトってわけでもねえから、それなりにあいつのことは知っているつもりだ――だから想定外だとすれば、明人だ。
気弱で、引っ込み思案で、疾風と空がいなければなにもできない――は、言い過ぎか。二人がいることでやっと前に進めるあいつは、一人で取り残されてしまえばなにもできないと切り捨てていたが……、なるほど、明空院から増援を呼んだのは、あいつかよ。
あたしの度肝を抜いてくるとはやるじゃねえか、明人。お前の成長に驚かされたぜ。
あたしたちの元へ突撃してきた乗用車を運転しているのは――院長だ。
ババアめ……、できればこのまま顔も合わせずに別れたかったけどなあ……ッ!
「羽柴さん……どういうことか説明してくれますか?」
運転席の窓を開け、あたしを睨みつける院長……、おっとりとした口調で、だけど視線と笑顔で威圧してくる恒例のお説教は、今のあたしに、聞く義理はないはずだ。
「なんでくるかねー、院長……あんたはこっちの世界の人間じゃないだろ」
明空院の創設者の一人、なんだっけ……? じゃあこっち側を知ってはいるのかな? だとしても深く関わってはいないだろ……、知った上でその顔ができるなら、あたし以上の仮面を持ってるってことだ。
「……どうして相談をしてくれなかったの。
あなたがそっち側と関係を持っていたなら、解決策を提示することはできたのよ!?」
「別に困っちゃいない」
まるであたしが、切れない縁に苦しんでいた、とでも言いたげだな。
これはあたしが望んだことだ。後ろ盾は、明空院じゃ足りなかったんだ。
だからあたしは、もっとでけえところを選んだんだよ。認めろよ、ババア。あたしはあんたの、差し出してくれた手を掴んだわけじゃねえ。元よりその場しのぎに過ぎなかった。
いずれ出ていく予定だったんだ、少し長居しちまったが、予定に変更はねえよ。
疾風を貰って、出ていくさ。
「感謝はしてるさ、サンキュー院長」
「そんな言葉で……ッ、いえ、お礼なんていりません。見返りを求めてあなたを引き取ったわけではないのですから! この場で、逃がすと思いますか!!」
乗用車の後部座席から職員が出てくる……うわ、明空院、総出じゃねえか。
まあ人員不足だから、現時点でもこっちの黒スーツの方が多いわけだが。
屋根の下で同じ釜の飯を食った仲――だからと言って引き金が引けないあたしじゃねえよ。
もしもそんな弱いメンタルなら、疾風のことも撃てねえはずだろう?
「羽柴さん!!」
「その怒鳴り声は聞き飽きた」
「リッキーッッ!!」
と、疾風が叫ぶ。
視線を向けると――こいつッ!
疾風が拳銃を自身のこめかみに当てている……、引き金を引けば、一発で即死だ。
「お前……」
「僕が必要なんだろう? じゃあ、僕が死ぬわけにはいかないわけだ」
「自分自身を、人質に取るつもりか……ッ」
「一か八かだったけどね。どうやらリッキーにとっては、効果てきめんみたいだ」
疾風への対策として、空をあてがったように。
あたしへ最も効果的なのは、疾風自身だと――気づいたとしても、向けるか?
拳銃を――間違って引き金を引いたら、お前は死ぬんだぞ?
「どうせ救われた命だ。明空院のためなら、死ぬことはできる――」
「空を残して死ねるか? お前が、こんな大役を他人に任せるとは思え」
「明人がいる」
その名がここで出るとは思わなかったな……意外と評価は高いのか?
「今のあいつにはどうしたって守れないだろうけど……きっと、近い将来、あいつは自分の弱さを自覚して前を向くはずだ。リッキーには分からないだろうけど、明人だって毎日、ちょっとずつ勇気を出して踏み出しているんだよ!」
「結果が出ない努力に意味があるのかよ」
「結果が出ないのなら、それは努力じゃないってことだ」
明人がしているそれは努力だと言い切る……、
ふうん、なら必ず、結果は出るってことか。
疾風が言うのなら、本当に……そうなのかもな。
「あらためて言うぞ、リッキー……ここで引いてくれないと、この引き金を引いて、僕は自分の命を終わらせるよ。院長にも、先生たちにも、傷はつけさせない。
もちろん、空にだってな。
……僕に利用価値があるなら、またくればいい。いつでも、どこでも――僕は逃げも隠れもしない。だから――、ここは引け、リッキー」
「……ガキが主導権を握ってんじゃねえ、と言いたいところだが、お前の言う通りだな。ここで無理にお前を奪おうとしても、膠着状態が続くだけだ……それに、あたしたちが不利になっていくだけ――ふっ、やられたぜ。思いつきで決断するべきじゃなかったか。
まあ、お前相手に熟考したら、さらに勝ち目がなくなるだけかもしれないが――」
誤算は明人だけだった。
あいつの行動力が、疾風と空を――明空院を救ったのだ。
誇っていい、と言っても、あいつはどうせ、鵜呑みにはしないんだろうけどな。
「――日をあらためて、人材提供をする……だからここは引く、いいだろう?」
黒スーツに伝えると、怒りも呆れもなく、一度だけ頷かれた。まるで機械を相手にしているみたいだった……、生まれた時から偏った知識と体験を入力し続ければ、本当の機械のような振る舞いもできるようになるのかもな……それがこいつらだったりして。
なんであれ、疾風に誘導された通り、あたしたちは撤退を余儀なくされた。
負けたわけじゃないが、それでも負けた気分である――どーすっかねえ。あらためて、と言ったが、逃げも隠れもしないって、嘘だろ? 狙われていると知りながら、疾風が一切の対策をしないわけがない。
日をあらためた瞬間に、あいつの消息が掴めなくなる、のだけは避けたい――つまり、疾風からあたしを追わせる方がいいわけか……、そんな逆転現象をどうしたら生み出せるのか。
熟考する必要もねえ。簡単な話だ――、復讐心を煽ればいい。
この場合は疾風にとって最も大事なものを奪う――、つまりだ、
「空を殺しておくか」
「リッ」
疾風が空の盾になるよりも、あたしが引き金を引く方が早い――。
狭い射線を通し、空の心臓を――撃ち抜く。
パァンッッ、という銃声が、二発、響いた。
あたしの銃弾は、目で追えたところまで――その先を予測すれば、咄嗟に方向転換をしたおかげで地面に当たった。危なかった……、あたしが引き金を引く一瞬前に銃声が聞こえたことで動揺したのだ――、照準が狂った。疾風に当たっていたところだった。
だから銃弾は地面を穿っている。
疾風にも空にも当たってはいないはず……なのに。
「………………え、はや、て……?」
空が呟く。
疾風の胸に、穴が開いていた。じわぁ、と、服が赤く染められていく。
……ッ、なんで!? あたしの弾丸はだって、当たっているわけが――ッ。
疾風が倒れる。彼を受け止める空は、疾風に覆い被されて、視野が狭くなってしまっている。
その隙を突いたのだろう――てめえは、空に知られたくなかったからっ!!
繰り返される銃声。
銃弾が、疾風の背中を、蜂の巣にする。
硝煙が立ち上る。
躊躇なく撃ったのは…………、ババア……なんで、あんたが――ッッ!
声は出さない。ただ、口を開けて、形だけで、あたしに伝えてきている。
――あなたに奪われるくらいなら、その子はこの世にいない方がいい。
厄介な化物の子を抱えられるくらいなら、ここで芽を摘んでおくべきだと――、
よりにもよってそれを――あんたが言うのかよ!?
「空っ、疾風をこちらへ! 早く治療をしないと、その出血量は、まずいわ!」
どの口が言う! お前の銃弾で疾風はそんな目に遭っているって言うのに!
「羽柴さん……いえ、羽柴リッキー……あなたはこんな小さな子を……、楽に死ねると思わないことね、今度こそ、地獄に落ちなさい」
「っ、てめえが――」
あいつは、あたしに罪を擦りつける気か!
だから空に誤解させるように仕向けて――クソ! ここまで演出されたら、あたしの言葉は空には届かねえ。あいつは疾風を撃ったのがあたしだと信じ込むだろう。
しかし空は、あたしへ視線を向けることはなかった。
疾風の口元に耳を近づけ、聞いている。……疾風は、なにを言ったんだ……?
ちっ、聞いている場合じゃねえか!!
……疾風が死ぬ? だとしたらせっかく見つけた人材が、交渉材料が、あたしの手元からなくなったことを意味するじゃねえか!
これじゃあ、あたしは後ろ盾を手に入れることが、できない……!
全てが水の泡になる。
また、最初から――しかし今度はマイナスからのスタートだ。
こうなったらいっそのこと、空か明人を土産にするか――無理だな、認められるわけがない。
ペナルティとしてあたしの身が危なくなるが……、まあ今だって、失敗をしているのだからペナルティはあるのだ、同じことかもしれないが……、
――はあ。認めてやる、そして甘んじて受け入れてやるよ。
完敗だ、疾風。いや、今回はババアにしてやられたってことか?
どこにでもいる年寄りと思っていたが、俄然、興味が湧いたな……あいつ、なんなんだ?
明空院——創設者……それ以前のことは?
聞いても教えてくれるわけがねえが、だが、こっち側だってことは理解した。
躊躇なく、目的のためにガキを殺すのは、こっち側である証拠である。
「撤退する。それと……、明空院に寄ってくれ。せめて金品をいくつか盗んで立ち去る。それくらいはしねえと、なんにも得られないのは癪だからな」
黒服たちは頷いた。
疾風の死亡も確認しないまま、あたしは別れを告げた。
きっともう、二度と会うことはねえだろう。
空か、明人か――お前らがあたしを追ってこない限りはな。
―― ――
その後、明空院、創設以来の天才、後に『
同時に、羽柴リッキーの逃走――、
「え…………? リッキー、が……?」
現場にいなかった明人は、全てを院長から説明された。
空とはしばらく、話をすることもなかった。疾風を目の前で失った空のことを考えたら、慰めるにしても、今じゃないと思った。
もしも疾風だったら――、
たぶんそんなこと関係なく、空の部屋に突撃するのだろうけど……明人にはできなかった。
嫌われるから?
なんて言ったらいいのか分からないから? ――違う。
疾風がいないと……その場に、ではなく、この世に――ということを自覚してしまうと、たとえ慣れ親しんだ空を相手にさえ、尻込みしてしまうから。
それに。
リッキーに裏切られたという衝撃が、空にも飛び火してしまっている……。
もしも、空も、笑って近づいてきて、いずれ裏切るつもりだったのなら?
好意の裏に、他者を貶めるような企みがあるのだとしたら――動けなかった。
それにだ、空だけが苦しんでいるように見られてしまうが、現場にいなかったとしても疾風の死亡を聞かされた明人だって、今は一人になりたかった。
悲しみを、怒りを。
復讐心を――抑えることは、やっぱりできそうにはなかったのだ。
それから一度だけ、空と会話をしたことがある。
疾風の死後、一週間後のことだろうか……たった一度だけ。
「リッキーを探し出して、疾風の敵を討つ――復讐するよ」
「……それをして、疾風が戻ってくるの?」
空は乗り気じゃなかった。
これこそが、明人と空の、長年に渡る喧嘩の始まりだった。
―― ――
数年後、二人の里親が見つかり、空は
二人の人格形成は、この家庭で培われることになり、やがて正反対に成長する。
保守的な空と、攻撃的な明人へ。
奇しくも明空院時代とは、真逆の立ち位置へ。
お金持ちの一人娘として生きる空と、
家庭内暴力が頻繁に起こる刺激的な生活を送る明人――。
明人がアギトへ名を変えた時期も、ここだった。
羽柴リッキーの行方は未だ掴めず、そして、世界は変わったのだ。
アギトは
この『アビリティ・ランキング』と――、変化した
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