第68話 騙し、騙され

 黒塗りの車にリッキーと疾風が押し込まれていた……、

 かしこまったスーツを着た男たちが、二人の知り合い、には……空には見えなかった。


 筒状の望遠鏡を目から外して、彼女は呟く。


「助けないと」


 危機的状況だと感じたのは空の独断だ。間違っている可能性もある……、実際は本当に知り合いで、今からお茶でもしませんかと移動をしている最中の可能性もある……いやないよね、と空は自問自答を繰り返した。


 黒塗りの車、かしこまったスーツ、正体を隠すようなサングラスと意図的に揃えたシルエットの髪型……、こんなの、遠方から探られても正体不明を演出するためじゃないか。


 見られて困ることをしている。ただ、場所こそ地元民であれば誰もが知っている大きな公園だが、逆に堂々としていれば目立たない、と思っているのかもしれない。


 テレビ撮影の関係で、とでも言えば、大半は誤魔化されてくれるだろう……、なんにせよ長居をしないつもりなら、こそこそとしている方が怪しまれやすい。

 堂々としていることが一番のカモフラージュである。


「空、どうかしたの?」

「明人はここにいて。――いや、お願いしてもいい?」


 空は考える。相手は車だ、すぐに移動してしまうだろう。今から空が公園に向かったところで、既に車はいない可能性が高い……、どの方角に出発したのか分かっても、入り組んだ道を追うのは空だけは不可能だ――だから。


「この望遠鏡で見える黒塗りの車を見てて。

 先生たちからスマホ、くすねてくるから、電話して車の居場所を教えて!!」


「え、え?」

「説明してる時間はないからっ! とにかく車の位置をあたしに教えて!」


 明人は詳細を聞かなかった。空の言いなり、なのではなく、空の焦りようから聞いている時間はないのだろうと理解したためだ。


「でも、先生たちがスマホを貸してくれるかな……」


「貸して、って言ったって無理でしょ。

 だからすれ違う時にささっと奪う。できるわよ、だって疾風に教えてもらったんだもの」


 疾風ほど上手くはないけどね、と空は笑って言った。


 ―― ――


 黒塗りの車は人目がつかない薄暗い倉庫の中で停まった。日の光が僅かに入るために目の前の人物がまったく見えない、というわけではない。

 これが夜だったら、明かりがないと手間取っただろうが、昼間であれば困難ではない。


 疾風は既に終えている。

 黒塗りの車から降ろされたところで、疾風はスーツ姿の男たちを、銃で撃ち抜いた。


 使い方は調べて知っている。きちんと弾が装填されているかどうかは運だったが、どうやら満タンにしておいてくれていたらしい。

 まあ、奪ったのは一丁だけではない。男たち全員の拳銃とナイフは既に回収済みだった。


「動くなよ」


 疾風は距離を取る。


「足を撃たれていれば動けないか……だよな、リッキー」

「……ッ、疾風ぇ……っっ!!」


 太ももを手で押さえるリッキーは、滴る赤い液体で手を濡らしている。多少の慈悲もなかった。黒スーツを撃つ一連の流れで、当たり前のようにリッキーのことも撃ったのだ。


 両足で立てないリッキーは、銃を構える疾風を睨みつけることしかできない。


「先生から色々なものをくすねておいた経験が役に立つなんてな。……しておいて良かったよ」

「相変わらず、手癖が悪い悪童だな……お前は」


「きっかけは、なにも教えてくれない大人だよ。隠すから暴きたくなる。逃げるから追いかけたくなる。事情があるにせよ、僕たちに隠すなら、こっちで勝手に探るだけだ。

 それが物にまで手が伸びた、だけのことだろ」


 疑念があれば暴こうとしていたはずだ。だから疾風は、リッキーに完全に騙されていた。こんなことを企んでいたとは……、まったく、想像もしなかった。


 疑うわけがなかったのだ。だってリッキーは、ガバガバなほどに、中身が漏れ出ている人だった。暴く必要なんてなく、隠しごとは目に見えていた。それで安心してしまったのは、確かに疾風のミスだろう……、明け透けな彼女の振る舞いが、フェイクだとしたら――。


 完全にしてやられた。


「疑うべきだった」

「結果が出たからこそ分かることだろ。過去のお前は悪くねえよ。あたしが上手いだけだ」

「……演技というか、素のリッキーがぴったりとはまっただけな気もするけど……それも運か」


 運も実力の内である。


「で? 明空院を狙ったのは僕だけが目的か? 空もか? 明人のことも? 悪いけど、二人とも僕の大事な人だ。内容によっては譲歩もできるが、全滅させることもできる。

 ……言葉を選べよリッキー。僕を納得させてみせろ、言いくるめてみせろ、十年以上の年齢の差があるんだ、こんなガキの一人、言葉で捻じ伏せられなくてどうするんだ?」


「差なんてねえよ、経験なんて……受け取った側の吸収力次第だ。お前と似たような施設で育ったあたしだが――似たような境遇だったあたしだけどなあ、お前みたいにはなれなかったさ――売人相手にここまで優位に立てる技術を、あたしは持っていなかった……勇気もなかったしな」


 差があるとしたら関わった人だろう――と。

 疾風とリッキーは、同じ人物を思い浮かべる。


「年齢の差なんてねえよ。同じカリキュラムを受けていれば、先んじて習得している分、差は出るだろうが……、出会い、経験、習得した技、それらが違えば、どうしたって公平には見れない。十歳だろうが二十歳だろうが、あたしと同じ頭脳を持つお前がいるように、経験の質が一緒であれば、知識も視野の広さも同じだ。

 疾風、お前は既に、大人の領域にいるんだぜ――誇れよ、天才。願わくばそのまま天狗でいてくれ、その長い鼻、折ってやるからさ」


「…………余裕があるな? あと、時間稼ぎをしているってことは、増援がくる……?」

「まあな。でもあたしらの、じゃない。くるのはお前の方の、だ」


「?」


「別に狙ったわけじゃない。でも都合良く上手いこと歯車が噛み合った気がしたんだ。だから先延ばしにしていた計画を実行に移した。できることならもっと施設の中枢に身を置いてからでも良かったんだが、お前に勘付かれる前に、とも考えていたからな――、

 だからたぶん、ここが最善だったんだろう、と今なら分かるぜ。堂々と、怪しさ満点の黒塗りの車をでかめの公園に回したのはなぜだ? 

 人の目につきやすいってことは、明空院からも見えるってことだろ」


「だけど、肉眼では……、——ッ!!」


「だろ? 空は寸前で、明人から貰っていたはずだろ――望遠鏡を」


 天体望遠鏡なら上を見る。だけどただの望遠鏡なら、広がる外を見る。

 きっと空なら、興味だけで一日中、外を見回していると予想できる。

 つまり疾風とリッキーが攫われた場面を見ていてもおかしくはないし、危機を抱いた彼女がこの場所を特定して助けにくることも――。


「ッ、空がくる前に終わらせて――!」


「あたしはこれでも一時的に海外で戦争を体験したことがある。分かりやすい『武器』の記号をした兵器だけが脅威だと思っていると、足をすくわれるぜ? 

 スパイには必須な仕込み銃、刃があったりする。ちなみにあたしにも」


 立ち上がったリッキーが回し蹴りを放った――、

 踵から飛び出た刃が疾風の前髪を切断する。


「――っ、太ももを、撃った、んだぞ……ッ」


「半分は血糊ちのりだけどな。まあ痛いけど、がまんできないほどじゃない」


 そして、リッキーのつま先から、銃弾ほどではないが、小さめの鉛の弾が発射され、疾風の手を撃ち抜いた。思わず手からこぼれ落ちてしまった拳銃が、滑ってリッキーの足下へ。


「殺さねえよ、お前は大切な人材だし」

「……人材……?」


「使い道は、お前を引き取った相手次第だから詳しくは知らないな」


 パァン、という音と共に、疾風の太ももが撃ち抜かれた。


「――――ッ」

「悲鳴を出さないか。拷問系に需要はないかもな」


「リッキー……」


「お前を売って、あたしは組織に身を置く。色々と理不尽な世の中だからな、長い物には巻かれろ、だろ? 大きな後ろ盾がいれば、従っていれば、安全は確保される。

 それが賢い世の中の渡り方ってもんだぜ?」


「リッキーッッ!!」


「なあ、疾風……お前って、充分に幸せなんだぜ?」



 その時、である。


 場違いなスマホの着信音が流れてきた。

 動けないスーツの男たちを含め、意識が全て、音の発生源へ向けられる。

 それは、車が入ってきた扉の先から。


「……空……ッ!?」

「間抜けだな――」


 リッキーが扉へ拳銃を向け、しかし、


「……こんなベタな失敗、あいつがするか?」


 背後、さらに斜め下。

 リッキーの反応が遅れたのはスマホの誘導のせいもあるが、身を屈め、下からすくい上げるように振った鉄パイプの姿が、完全に視認できなかったためだ。

 視界の外から迫ってくるそれを完全には避けられず、額に触れる――、衝撃で意識は飛ばなかったが、よろ、と足下がふらついた。


「……空ぁ……ッ!!」


 一瞬でも隙が作れればいい、それだけのための奇襲だ。


 空が疾風の手を取って立ち上がらせる。

 だが太ももを撃たれた疾風は、空と同じ速度では走れない。


「……疾風だけがいればいいんだよ……、お前はお呼びじゃねえ。

 お前は及第点に達してねえ落選の人材だ。組織に渡せば、あたしがペナルティだ。だから邪魔すんなよ……殺す手間が増えるだろうがッ!!」


「リッキー……信じていたのに……」


「知るかよ。お前らが勝手に信用して、勝手に裏切られたと思っているだけだ。こっちは最初からお前らのことなんか大切になんて思っちゃいねんだよッッ!!」


「……仮面一つで、ここまで人を騙せるの?」

「騙されたお前が、その効力を一番、理解してるだろ」


 くす、と空が笑った。もちろん、喜びではない、怒りでもなく――納得、だった。


 ぐうの音も出ない。リッキーの言い分に感心してしまったのだ。


「そっか、騙されていたなら仕方ないよね……」


「騙される方が悪い」

「騙す方が、上手い」


 金髪で、似た容姿ということもあって、二人はまるで、姉妹のようだった。


 片や拳銃、片や鉄パイプを握り締めている、戦闘態勢ではあるが。


「明人はどうした?」

「連れてくるわけないじゃん。あの子は……こんな場所、似合わないもの」


「そういう仲間はずれが、あいつにとっては一番、つらいんじゃねえのか?」


 かもね、と空が言った。それでも、


「こんな場面を見せたら、あの子、壊れちゃうよ」

「歪んでこそ強くなる……男ってのはな」


 壊れてから、立ち直ってからが、成長だ。


「(空……動ける。外までなら、走れる)」

「(分かった……なんとか隙を作るから……一緒に逃げるよ、疾風)」


「ああ、そう言えばだけど」


 リッキーが告げた。


「あたしが仕込み刃、仕込み銃を装備しているのに、周りの大人がしていないって思ってるか? 拳銃とナイフを回収したからと言って、無力化されたわけじゃないぞ? やろうと思えば肉弾戦でお前らを破壊できる。しなかったのは――、まあ、お前らがガキだからだな」


 疾風が周囲を見て顔を青くさせた。


 心臓を撃っていないとは言え、それでも致命傷に近い部位だったはず……、それでも、スーツの彼らは怪我を引きずることなく立ち上がって、疾風と空を囲んでいた。

 気づかぬ内に、だ。


「良かったな疾風、その人たちから見ても、お前は合格だってさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る