第65話 羽柴リッキー その1

 あんのババアめ……っ、遠慮なく関節技を決めてきやがってぇ……。

 痛む体を引きずりながら、あたしは子供たちの勉強部屋へ向かう。ババア……もとい、あたしを養ってくれている院長先生の言いつけで、あの子たちの勉強を見ることになった。


 あたし、別に学があるわけじゃないんだけど……、まあ、教科書があるなら分かるか。なんて楽観的に挑んでみたらまったく理解できなかったので、最近は最低限の勉強はしている。

 しておいた方が良いと思えば、あたしだって素直に勉強するさ、まったく。


 夜食を作ってくれていた院長が信じられないような目であたしを見るから、あいつがあたしをどんな目でいたのかすぐに分かったぞ……っ。


 ともかく、明人や空ならまだいけるが、正直なところ、疾風は無理だ。

 あいつの頭にあたしが追いつけない……情けないことに。


「あれを天才と呼ぶのかねえ」


 努力したのかもしれないけど。過程を知らない他人からすれば天才にしか見えねえって。仮にあいつが天才だとしたら、しかし運はなかったわけか。

 じゃないとあいつがここにいる理由が分からない。捨てられたか、逃げてきたか――詮索はしないことになっているが、気になるものだ。



「で、お前は捨てられたの?」

「……勉強の途中で急に部屋に入ってきて聞くことがそれ? ルール違反でしょ……人の過去を詮索するなって院長先生に言われてないの?」


「言われてるけど、もやもやして今後のあたしのパフォーマンスが落ちるとしたら違反してでも解消しておくべきことだと思うだろ、疾風だってその方がいいんじゃないか?」


「それらしいことを言うよねえ」


 くる、とペンを回す疾風。ちなみに疾風と明人は相部屋なのだが、明人の姿はなかった。どうやら空の部屋にいるらしい……、

 明人は勉強が苦手なので空に教えてもらっているらしいが、なぜ疾風が教えないのかって? そんなの、こいつに人に教えられるような技術があるわけねえじゃんって単純明快なことだ。


「なにが分からないのか分からない」


 なんて言われちゃあ、明人も聞けないってものだ。それに空は三人の中でも最も勉強が嫌いですぐにサボり出す。明人は真面目なので、空のサボりを監視する役目も担っているわけだ。

 空も人に教えている方が楽しそうだし、明人も課題が進んで一石二鳥以上のメリットがある……、なのでこの分け方は正解だったわけだ。


 寂しくないの? と疾風に聞くと、


「は? 寂しかったらあっちの部屋にいくだろ」


 と鼻で笑われたのでデコピンをしておいた。


「で、捨てられたの?」

「しつこい……」


「いいじゃん別に。捨てられたところでお前をバカにしたりしないから」

「じゃあニヤニヤするな。人の弱点を知りたくてうずうずしてるじゃんか」


 おっと、顔に出ていたか。気を付けないとねえ……まあ、いじり半分、真面目に知っておきたかったのが半分。疾風だけじゃないさ、明人も空も、今後、聞くつもりだから。


「捨てられた、って記憶もないよ。気付いたら明空院にいたんだから」

「なるほど、じゃあ赤ん坊の頃から捨てられていたわけだな?」


「捨てられたことに固執するよね……、他にも、だって可能性は――ないか。大事にしていたら取り戻すだろうし、死んでいるなら――」


「親族に引き取り手がいる? いても拒否されたらここに送られるけど?」


 いなければ想像通りにここへ送られることになる。


「…………今更、どうだっていいよ。ここが僕の家だし」


「あたしのことをお母さんと呼んでもいいぜ?」

「妹の間違いだろ?」


 下に見ていやがったっ!


「だが、ババアと言わなかったことは褒めてやろう」

「言わなかったからと言って、思っていないわけじゃないけどな」


「はいはい、照れ隠しだよねー、美味しい素材をいただきました」

「お前、マジで出ていけよ」


 おっと、ちょっと不機嫌? やり過ぎたか……、まあ充分に楽しめたので今日は満足である。

 というわけで疾風を残して部屋から退散することにした。



「さて、次は空と明人の部屋へ――」


 あたしが活躍できるとすれば、こっちの部屋だろうな。

 扉を開けると、空が明人の勉強を教えている姿が見えた。二人、肩を寄せ合い、空が明人のノートを見るようにぐっと身を乗り出して覗き込んでいる。

 仲睦まじい光景だ……、意外とこの二人が良い感じになってんのかな?


「あ、リッキー」


 先に気づいたのは空だった。あたしを真似て染めた金髪をゆらゆらと揺らしながら……相変わらず落ち着きがないやつだ。勉強をしながらも体が揺れるのは空だけである。


「なになに遊びにきたの?」

「勉強を教えてやろうか?」


「え、でもリッキーはバカじゃん」

「…………お前に言われたら言い返せねえよ」


 行動に似合わずこいつもこいつで頭が良い。疾風が天才で、空は単純に要領が良いのだろう。分からないことは多いが、学べば分かる。ゼロからいきなり十に飛ぶ疾風とは違い、ゼロから段階を踏んで、十に辿り着く頭の良さがある。

 ……となると三人の中で最もバカなのは明人になるのだが……、手の施しようがないほどのバカではない。


 空が難なく教えているのだから、やっぱり飛び抜けていないだけで頭は良いのだろう……、真面目なのが幸いしたのか。……ちょっと待て。あたしが誰になにを教えるって?


「あたし、きた意味ねえじゃん……」

「リッキーは、勉強以外のことを色々と教えてくれるから、バカでも大丈夫だよ」

「おいおい明人、優しそうな顔と言葉で、言っていることはとどめだぜ?」


 いいけどな。世の中、勉強だけじゃ生きていけないとあたしは知っているし。

 お前ら以上にあたしには経験値がある。まあそれも、ババアには敵わないけど――。


「でも、リッキーが教えてくれることって毒にしかならないじゃん」

「その髪を染めたのは誰だと思ってんだ?」


 空が、「染めてっ」と泣きついてきたのでやってやったのだ。一度、自力でやってみたら金髪と黒髪がしっちゃかめっちゃかに混ざっていた。頭がミツバチみたいだった。

 で、嫌だと泣きついてきてあたしが綺麗に金色に染めてやったってわけだ。


「次に色落ちしたら染めてやらないぞ」

「次は自分でできるし」

「ああそう、じゃあ勝手にやってみな」


 失敗を活かして学んでいくならちょっと手綱を離すのもありかねえ。

 しかし、大言壮語を吐いた空はあたしのエプロンを掴んでいる。


「この手はなんだ?」

「…………」


「素直にお願いしますと言えばまた染めてやったのになあ」

「やらせてあげる」

「上から目線じゃ人は動かねえよ」


 お前の信者くらいしか、今のお前じゃ動かせねえって。


「おれが覚えればいつでも空の髪を染められる?」


 ペンを置いた明人が言った。……いたよここに。空の信者、第一号が。


「まあ、市販品なら説明が書いてあるからな――、誰だって最低限はできるだろうぜ」


 あたしは他人の髪を染める機会が多かったから慣れているわけで、説明書よりも少しアレンジして使うことができる。それが、空にとっては魅力に映ったのだろう。

 もしかしたら明人のやり方じゃあ、空は満足できないかもしれない。


「空はおれがやることには反対?」

「できるなら、任せるよ」


 言われた明人の、ないはずのしっぽが激しく左右に揺れている幻覚が見えた。

 んー、こりゃあ好意はあっても恋じゃあ、ねえな。



「……空、その首の――ネックレス、院長から貰ったのか?」

「ううん、疾風から誕生日プレゼント」


「は? お前、誕生日だったの? え、最近?」

「いつか分からないから毎月くれるの。疾風が渡したいって言うから受け取ってあげてるわけ」


 ふうん……、天才も女には貢ぐわけか。お得意の手練手管じゃあ、好きな子は射止められないわけで……、天才にも弱点はあるってことか。


「明人は渡したのか?」


「今月はまだ。先月は、天井に貼る星のシールをあげた。ほらこの部屋、暗くするとね……夜空みたいになるんだよ――たぶんこれがプラネタリウムなんでしょ?」


 部屋の電気のスイッチを消すと、言った通りに天井で星が輝いている。

 二人で寝転んで天井を見ると、それだけで天体観測気分を味わえる、と言う。


 ……こっちの方がロマンチックというか、ガチじゃないか?


 疾風が見映えの良い装飾品をプレゼントしていることに比べて、明人は一緒に記憶に残せる体験を提供している……、しかも毎月。

 高価なものばかりが積み重なっても、そのありがたみは多くなればなるほどなくなっていく。だけど体験は、記憶に残り続けるし、別に一度きりで終わらせなければいけないわけじゃない。

 明人は『星を見よう』を理由に、空の部屋へいくことができるのだから――。


 計算なのか素なのかで、今後の形勢が逆転しそうだな……、明人にその気がないってところが、大幅なリードを許してしまっている感じがするけど――。


 明人はきっと、空を独占したいなんて欲求はなくてさ、

 単純に、彼女を楽しませたいって気持ちからきているんだろうな。


 そこが違い。

 天才の計算と、凡人の天然の違いだ。


「ねえ明人、本物の星が見たくなった」

「じゃあ今月は――望遠鏡でもプレゼントするよ」

「本当!? 大好き明人!」


 ぎゅっと明人に抱き着く空。イチャイチャしやがって……っ、って空気感ではないな。

 姉弟きょうだいのじゃれ合いだ。明人はくすぶっているようだけど、空には一切、そういう気がないように見える。女の子は早熟って言われているが、こいつは遅いのかもしれない。

 まだまだ子供だ。九歳なんて、どいつもこいつも子供だが。


 疾風が大人過ぎるだけ……桁違いに。


 さすが、あたしが見つけた人材だぜ。



 勉強時間も終わり、夕食の時間が迫ってきていた。

 空が院長の元へ、料理の手伝いをするため出ていくと(ちなみにあたしは料理は作らない。人の手で作られたからこそ美味いんだよ)、あたしを呼び止めたのは、明人だった。


「リッキー。相談、してもいい?」

「勉強は分からねえぞ」


「違うよ。でも、リッキーにしか分からない分野もあるかもしれないから、それが見つかったら頼ると思う――」


 おーおー、可愛いことを言ってくれる。三人の中で一番、明人が素直で真面目で、応援したくなるなあ。まあ、良い子ちゃん過ぎて、あたしとしては張り合いがないけど。


 額を突き合わせて、ガチンコで言い合いができるのは、やはり疾風と空か。


「相談って?」

「空へのプレゼントのこと」


「望遠鏡にしたんじゃないのか?」


「それはそうだけど……、来月、再来月のプレゼントの相談をしたくて……。

 どんなものをあげたら、どんなことをしてあげたら、空は喜んでくれるのかな……」


 ……こいつ。

 とんだ伏兵がいたもんだ。素、かと思っていたが、ある程度の計算はあったわけだ。


 自身の印象を、空に強く残すために――。

 疾風を喰って、空を手に入れるつもりか?


「空の意識をおれに向けるんだ。

 そうすれば、自然と疾風も、おれを見てくれるでしょ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る