第53話 合流・波の間
噴水のように溢れんばかりの勢いで分裂する青柳えるま。
分裂した数だけ肉体が幼くなる彼女は、既に年齢は幼稚園児である。
だが精神年齢は変わらずだ。
だから肉体が幼稚園児でも、知識や知恵が幼くなることはない。
狭い路地が彼女で埋まっていく。まるで波だった。
望遠鏡で覗いた場所へ向かっていたナン子は、記憶を頼りにすることなく、目視でその場所まで到達することができていた。
だけど問題はここからである。
この少女の波に飲まれて埋もれているヨートを、さてどう見つけ出す?
「熱っ!? 熱気が、凄い……」
人が集まれば当然、中にこもる熱は高くなるが……それにしても高温である。埋もれている人数が、想像よりも多いのかもしれない……。
もしもこの女児の波に飲まれたら、そのまま蒸し焼きにされるのではないか……?
まるでミツバチが獲物を殺す時に似ている。
それそのものではあるが……。
幼稚園児を足場にして歩くというのは人としての躊躇が働くものだが、ナン子は意外にもそんな感情は抱かなかった。
全員の顔が違うのであれば、もちろん、踏むことに嫌悪感を抱いたのかもしれないが、こうも瓜二つの顔が数百と並んでしまえば、これはもう人間としては見れなかった。
マネキンかなにかである。血も流れ、人格もあり、意識を持って話すとしても、同じ空間に数百といるだけで、人は物へ成り下がる。
だからナン子は、彼女を足場に歩くことができた。
「ヨートっ!!」
大声で叫ぶが、少女の声で埋もれてしまう。
同じようにヨートから返答があったとしても、ナン子はそれに気付けない。
「誰か探しているの?」
と、足下にいる女児が聞いてくる……、
この状況で、ナン子を気にかける余裕がある?
「私も一緒に探してあげる!」
そんなことを言うと、隣にいる女児が同じように「私も!」と手を挙げ、それが伝染するように周囲一帯がナン子の協力を申し出る。
……もちろん、その気持ちは嬉しいが、ナン子は素直に気持ち悪いと思ってしまった。
この子が悪いわけじゃない、良い子なのだろう、それでも――限度がある。
善意も行き過ぎれば攻撃になるのと同じように。
一人二人の協力なら喜んで受け入れるのに、一気に数百人も申し出れば裏があると思わざるを得ないし……だけど顔が同じだからこそ、この女児たちの気持ちも同じであると思ってしまうと――、損得勘定抜きでそう言ってくれることに、やはり気持ち悪さを感じてしまうのだ。
誰が悪いわけじゃない、と思う。
言うのであれば、受け入れられないナン子が悪い……でも。
こんな状況で素直に喜べる人がいたら、それこそ悪用する側じゃないか?
「でもここにいるのはみんな『私』だからなあ」
「……異物が混ざっていたりしないの?」
「いた?」「ううん、こっちはいない」「そっちは?」と聞いてくれるが、ざわざわとさらに会話が飛び交う。まるで本当のミツバチの羽音のように……やがてそれは不快音へ変わっていく。
「いた」と遠くの方で聞こえた。
ナン子が向くと、救助を求めるように空へ向かって伸びた手があった。
ナン子は女児を足場に跳んで――、
「ごめんっ」「いたっ!? いいよ!」
その受け入れる心が、怖い……。ヨートも相当だったが、この子はもっとだ。
ゾッとする器の大きさ……。
ともかく、ナン子は伸ばされた手を掴み、ぐっと引く。中で引っ掛かっているようで、逆にナン子が引きずり込まれそうになったが、なんとか踏ん張り、引き抜く――。
ずぼっ、と抜けて出てきたのはヨート……ではなく。
「あんたは……」
「うえ、服がびしょびしょです……」
赤座真緒だった。
熱気に包まれたせいで、汗で服が濡れている……。
「最悪です……って、あなた――」
真緒がナン子に気づく。一度、行動を共にしたことがある仲ではあるが、それはヨートを通して、である。ナン子とのいざこざの時、真緒は体調不良でまともに動けていなかったので、ナン子のあれこれを知っているわけではない。
ヨートの知り合い同士であり、真緒とナン子は別に、仲が良いわけではないのだ。
『…………』と沈黙する二人。
だが状況が、ここでゆったりと仲を深める時間をくれるわけではない。足場にもなっている女児の塊の中にヨートが埋まっていれば、早く見つけ、引っ張り出さないと、蒸し焼きになる……熱中症なら充分にあり得る症状だ。
そして、熱中症も悪化すれば死に至る。
同時に二人がその事実に辿り着き、
『早く見つけないと!』
相談することもなく、互いに反対方向へ散ってヨートを探す。
ナン子は無能力者であり、真緒も遮音を奪われている……頼りになるのは自身の両手だ。
「ロリコンせんぱーい!」
真緒が叫ぶ。「誰がロリコンだ!」というツッコミを期待してのものだったが、女児の波に動きはなかった。いや、もしも本当にロリコンなら、埋もれたこの状況は天国なのでは?
「汗に興奮する変態だったら、助けない方がいいですよね……」
まあ、助けるけれど。
ナン子は闇雲に手を突っ込むことをやめた。指針もなく手探りを続けるのは効率が悪いし、範囲が広いためにいつまで経っても終わらないことに気づいたからだ。
……ヨートだけをサルベージできればそれが一番良いが、それができれば既にやっている。
ヨートの性格を考え、いそうなところに目をつける。埋もれているとは言え、身動きが取れないままなにもしないヨートではない。なにか、探すはずなのだ。自力で動けないのであれば、すぐ傍にいるこの子たちを使って、どうにか地上へ出ようとするはず。
「きゃあ!?」
すると、ぽんっ、と飛び出してきた少女がいた。
この女児たちと同じ顔だが、だけど比べると少し成長している少女だった。
「え、気付いたらあれよあれよという間に押し出されてる!?」
もぞもぞと女児たちが動いている。まるで不規則に動く歯車のように……、その上に偶然でもいいから乗ってしまえば、あとは勝手に流れて、別の場所へ誘導されるのだ。
落ちることがあれば浮くこともある。噛み合わないまでも近づいている歯車があれば、乗っていれば自動的に渡っていくのだから。
少女が周囲を見回し、この現状よりもまず、気になることを口にした。
「ヨート様!? どこにいるのー!?」
「……たぶん、近くにいる」
あの少女が偶然、浮上してきたと言うのであれば打つ手はないが、だが、そう促すように彼女を優先させたとすれば、そんなお人好し、ヨートしかいないだろう。
埋もれた最中、自分よりも別の子を優先させ、脱出させる……、
こんなバカ、ヨートしかいない。
だから近くにいるはずだ。
こうして迷っている間にも、どんどん、離されていっているかもしれないのだから――。
「おいおまえっ、手伝え! ヨートが近くに埋まっているはず!!」
ナン子の声に女児と瓜二つの少女が答え、「どこを掘るの!?」と聞いてくる。
「どこでもいいっ、いいから手を突っ込んで――」
その時、不意にがしっ、と、ナン子の足首が握られた。
そのまま、ずぼっ、と太ももまで一気に引きずり込まれる……。
「う、」
片足が突っ込んでしまった……身動きが取れないまま――まずい、持っていかれるっっ。
上半身と下半身が千切れてしまうほどの力が、人の波に加わっている……まさかブチッ、とはいかないだろうけど、回らない方向へ足首が回る可能性は充分にあって……、
ナン子の小さい体では、とてもじゃないが対抗できなかった。
「た、助けて……っ」
さっきの少女は一心不乱に女児の波を掘っている……、臨機応変に周囲を見回すことができないらしい――、言われたことを黙々とやるタイプなのだろう。
使い勝手は良いだろうが、頼るにしては心許ない少女だった。
だからナン子の声も、聞こえていない。
「マルコ……っ、ヨート……ぉっっ」
そして、全身が引きずり込まれた先で、ナン子が見たものは、
「あれ? ナン子まで巻き込まれてたのか?」
鼻先が触れ合うくらいの至近距離に、ヨートがいた。
やっと会えた喜びと、助けての声に反応してくれた嬉しさで、自然と涙が溢れ出てくるナン子……、そんな顔を見られたくなくて顔を逸らすが、どこへ逸らしても女児の尻、パンツが見えている――。よくよく考えてみれば、ヨートもこんな場所にいるわけで……。
「…………」
「え!? 泣き止んだと思ったら軽蔑の目!?」
「おまえ、なかなか出てこなかったのは、この環境を楽しんでいたからか……?」
「んなわけあるかっ! 熱くて今にも死にそうだっつの! 一秒でも早くこの場から出たいに決まってるだろ! だからこうして身を捻って、ここまで這い上がってきたんだからな!?」
「ふうん、この子たちの体におまえの体を押し付けて、ねえ……」
「言い方! 変態性が増してるじゃねえか!」
すると、真上にいる女児が声をかけてきた。
「探してる人、いたの!?」
「え、うん……見つけたけど、出られなくて……」
「じゃあ今から引き上げるから、ほらっ、掴まって!」
伸ばされた手を、ナン子が掴み、ナン子が差し出した手を、ヨートが掴む。
「悪いな、えるま」
「いいよー、これくらい」
そして、引き上げられたナン子とヨートが、ぽんっ、と女児の波から出る。
汗だくの二人が、女児を足場にしてやっと地上に顔を出した。
「……はぁ、少しは涼しいな……」
夏なので波の上も熱いのだけど……、
それでも体感的にはだいぶ涼しい。
「ヨート様ーっ!!」
「うわっ、熱いくっつくな鬱陶しいぞえるま!!」
大きな方の青柳えるまが、出てきたヨートに抱き着いていた。
そして、それを見て、真緒とナン子がぼそっと呟くのだった。
『また女かよ』
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