第38話 罪と罰

 バウンドをする球体型の衝撃波。鎧の内側の閉鎖空間で発射されたそれが、守られているはずのナン子の全身を容赦なく叩いた。


 十位圏内と認定された防御特化の能力だが、その内側はやはり、なんの壁もなかったようだ。


 パリィン、とガラスが砕けたような甲高い音と共に、

 力を抜いたナン子が前のめりに倒れ――、



「おっと」


 おれは彼女の小さく軽い体を支えた。


「……う、うぅ」

「よし、まだ気絶してないよな」


 これでもしナン子が気絶していたら、おれの勝ちと認識されるだろう……、それはごめんだ。

 ナン子は能力を永久剥奪され、サバイバルゲームの脱落を意味し、抜けた十位圏内の穴に、おれが収まることになってしまう――それは避けたい結末だった。


 おれは、十位圏内に収まる器ではないと自覚している。

 人の上に立つには役不足だ。それに、向いていない――。


 だからこそ、おれはソラを支持しているわけだ。


「どの体勢が楽だ? 確か、しばらくすれば攻撃判定も消えるはずだよな……?」


 五分以内。

 それまで、気絶しなければ、ナン子は意識を失っても敗北にはならない。


「……ころ、せ」

 と、おれの腕の中で、ナン子が呟いた。


 内臓系にダメージがあるのか、こふっ、と咳き込みながら、しかし言葉は強く――、



「うちを殺せっ、ヨート!!」



「……できるかよ。どれだけ頼まれても、するつもりねえよ」

「なんでだよっ、殺せよ、もう、いや、なんだよぉ……」


 ナン子が下唇を強く噛む――、切れた唇から、血が垂れていた。


「嫌、なんだ――、もう、誰かを殺すのは」

「……あるのか、殺したこと」


「ああ、仕方なかった、なんて、言えないけど……あるよ、一回」


 一回。なんだ、たったそれだけじゃないか、と言えてしまったら、おれも歪んでいるのだろう。一回とは言え、人殺しであることに変わりはない。

 どんな理由があろうと、殺してしまえば自分は殺人者の仲間入りだ。


 いくら世界が変わり、法律が機能しなくなったとは言え。

 殺されかけたから殺した、という言い分が通用する世界であるとは言え、だ。



 正当な理由がある。

 だからと言って、元の世界で培った罪悪感が消えることはないだろう。


 それを失ったやつこそ、歪んだ末路なのだ。

 罪悪感を抱かなくなったらもう、自身の能力に喰われていると言える。


 人格はおまけであり、体を突き動かすのは、能力であり、欲望だ――。


 だから罪の意識で苦しんでいるナン子は、まだ正常だ。

 正常だからこそ殺してくれと懇願するほどに脆くなっているのは、皮肉なものだが。



「一回だけで、二回目はないんだろ? じゃあいいじゃないか。いや、良い、とは言えないな。

 でも、死ぬことが罰だと思っていても、それだと償えないぞ? 

 死ぬことは償いにはならないんだ――、お前のそれは、逃げでしかない」


「……一度、殺してしまったら、頭の中から消えてくれないんだ――、選択肢の中に必ず、殺す、殺さないの二択が出てくる……殺さないのが当たり前なのに。

 なのに――、うちの中には常に『殺す』って、選択肢が出続けてる!! 

 いつまた、それを選んでしまうか分からないし、すごく、怖い――」


 また誰かを殺してしまうことが。

 殺してしまった誰かを、大切に想っている人を苦しめてしまうことが。


 ――ああ、優しくて、だからこそ生きにくい子だな、と思った。



「ナン子、お前は間違ってないよ」

「間違ったっ、うちは、逃げるあいつの背中を、撃――」


「間違ってるのは世界の方だ」


 ナン子に人殺しをすることを選択させてしまったのは、世界が歪んでいるから。

 歪んでいる世界を歩いても、真っ直ぐには進めない。


 それは、ナン子のせいではないのだ。



「罪の意識が消えないなら、消さないでいいんだよ。お前だけで処理できないなら、おれがいる――ナン子が信じる、お兄ちゃんがいるだろ? 

 頼れ。

 十位圏内だからって、クランのリーダーだからって、なんでもかんでも背負うわけじゃないんだ。荷を下ろせ、人に預けろ。お前は船頭だ、船員を顎で使え。お前の罪も、連帯責任だ」


 だから。


「お前の罪、おれも背負っていいか?」


「……ヨート……っ」


 お前は勘違いしているんだ、ナン子。



「罪を犯した人間が、これから先、幸せになったらだめ? そんなわけないだろ」


「罪であることは変わらない。でも、抱えることこそが、罰だ。

 だからお前は、人並みに幸せになっていいんだよ――」


「わざわざ悪役になりきって、誰かに殺されたいなんて、思うんじゃねえッ!」



「ヨートッッ!」


 ナン子の手が、おれの袖をぎゅっと掴む。


「……おまえについていっても、いいのか……?」

「いいって言ったろ」


「背負わせて、いいのか……っ?」

「それも言った」


「うちは、幸せになっても――」

「何度も言わせるな」



「――お前は世界で一番、幸せになるべき女の子だ」



 ―― ――


 五分が経ち、ナン子が意識を失っても、おれの勝利で終わることはなくなった。

 ナン子は泣き疲れたようで、うとうととしている――、

 寝かせてあげてもいいが、まだ念のため、起こしておこうと思ったのだ。


「……ソラ、無事だよな……?」


 ナン子を気にかけておいて今更だが、彼女が心配だ。

 すぐにでも駆け付けたいが、ナン子を置いたままにしておくわけにもいかない――。


 まだショックで寝込んでいる真緒もいるし……。


 まあ、ソラは十位圏内だ、一人で危機を脱出できる、とは思うが――。



「…………」


 能力が攻撃特化であるだけに、正面からのパワープレイには強いが、変化球を混ぜたトリッキーな戦法には相性が悪い。

 それも含めてソラの絶空でごり押しできないこともないが、彼女の能力は隙が大き過ぎる。

 おれがいないと――、おれでなくともソラをサポートする二人目がいないと、なかなか無敵とは言い難い。


 そこを突かれていなければいいが。


 心配すればするほど、焦る心が生まれてくる。くそ、ナン子と真緒が悪いわけではないのだが、二人がいることで行動が制限されてしまっている。


 人が増えると戦力強化になるが、同時に動きづらくもなる――、難しいところだ。

 人材を切り捨てる、非情になれるリーダーであれば、悩まないんだろうけどな。



「――ナンちゃん?」


 すると、背後から声が聞こえた。

 振り向くと、男のおれでも見惚れてしまうような、美少年が立っていた。



「だ、誰だ……?」


「僕は城島マルコ。その子……ナンちゃん――、

 紅ナン子ちゃんの、兄貴と言えば伝わるかな?」


 お兄ちゃん……、ナン子が言っていた兄貴は、こいつ――。

 でも、え?


 ナン子も、そりゃ可愛いけど、この妹がいるようには思えない容姿だ。


 爽やかなイメージを抱かせる柔和な笑み。輝く金髪は、ソラのような染めた色ではなく、地毛だろう……、確証はないけど、なんとなくそう思ったのだ。


 金髪が似合い過ぎているのもあるが――、それに、青い瞳。


 日本人じゃ、ない……? ハーフなのかもしれないな。

 だとすると、ますますナン子とは兄妹ではないと思ってしまう。


「色々と考えているみたいだけど、血は繋がってないよ。でも僕たちは兄妹だ」

「あ、そっか」


 義妹、か。経緯はどうあれ、事情があるのだろう。

 そこを掘るには、さすがに初対面では進められない。

 聞くとしたらナン子だが、まあそれも簡単に、とはいかないだろう。


「……マル、コ……?」

「やあナンちゃん、もう用事は済んだよ」


 うとうとしていたナン子の肩を揺さぶり、意識を浮上させる。

 危なっかしい足取りだったが、兄貴――城島マルコの元へ向かっていく。


「大丈夫っ!? 怪我、してない?」

「うん……唇が、ちょっと――」

「うわ、切れてるじゃないか。痛くない?」


 過保護な兄貴だ。なのにナン子に単独行動をさせるなんて――、

 いくら目的のためとは言え、ちょっと不用心じゃないのか……って、そうだ。


 彼がナン子が言うお兄ちゃんなら、彼の目的はソラと話をすることだったはず――。


 こいつがここにいるってことは、ソラは――。



「話は済んだよ」

 と、おれの心を読んだかのように、マルコが答えた。


「喧嘩をしにいったわけじゃない。旧知の仲、と言うと、少し違うけど――同郷の都合でね、本当にただ話があっただけなんだ。やり方はもっと他にもあったかもしれないけど――、

 不器用なものでね、誤解させてしまって申し訳なかった」


「いや、ソラが無事ならいいんだけど――、じゃあ、ソラは?」


「別れた後のことは、僕も……。君の居場所を探している様子だったけどね」


 そう言えば、闘技場にいるとは伝えていなかったんだっけ?

 あ、森のフリーマーケットの店主に伝言を――聞いていなければ結果は同じか。


 おれたちの居場所が分からなければ、森の中で迷っている、と。


 ……探しにいかなくちゃな。


「マルコ、うち……」

「うん、分かってるよ、ナンちゃん――苦しいんだよね?」


 罪の意識で。

 だから楽にさせてあげる。そんな会話が薄っすらと聞こえ、


「ごめんね、ナンちゃん」


『え』


 と重なった戸惑いの声は、おれと、ナン子のものだった――。



 どさっ、と倒れたのは、ナン子だった。

 そして、分かる、消えていくのが、分かる……。


 ナン子の中にある、力が――、失われていく――。



 それは、能力の永久剥奪を意味していた。


 そして。


 

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