第36話 第十位、登場

 突き出た足が、徐々に沈んでいく――豹の口の中へ、落ちて……。


「っ!」


 大丈夫だ、まだ血は出ていない……、

 丸飲みにされている途中なのだ、だからまだナン子は無事だ――、


 まだ、助けられるっっ!!


 喉に詰まった餅を吐き出させるのと同じだ――、腹に強い衝撃を与えれば……っ。


 駆け出したおれの足音に気づいたのか、顔を上げていた豹が視線だけをおれに向け、片足の爪を小さく振った――、たったそれだけだが、あの豹が持つ能力は、絶空である。


 ひうん、と風を切る音と共におれの足下へ落ちた斬撃が、地面を裂いた。


 ずずず、と建物が一段、沈んだ感覚だ――。


「う、お……っ」


 傾く。坂道を下るように、切り離された建物の一部が滑り、


 だが幸い、どこかで引っ掛かったのか、落下することはなかったようだ。


 だけどこの維持された状態も、長く続くとは思えない。


 おれだけならばまだしも、

 あの豹の巨体で動けば、建物を支える引っ掛かりも取れてしまうだろう……。


「あ――」


 ごくん、と豹が喉を鳴らした。

 突き出ていた足が、見えなくなっていて……。


 ナン子が、完全に飲み込まれた。


 そして、豹がおれに向かって、歩き出す。


『――gaるuuuuuu』


 低い唸り声。


 爪が、牙が、瞳が――、おれを狙っていた。



「っ、ざけ、んな……ッ」


 どうして――、どうしてナン子を狙った!?

 抵抗できない小さな子から、どうして――、おれを狙えばいいじゃないかッ。


 弱い者から狙うほど、お前は弱い方じゃないはずだろうがッッ!!



「ナン子を返せよッ、あいつに、助けてって、頼まれたんだ……っ、お兄ちゃんとはぐれたんだって……っ、まだそのお願いを叶えられてないんだよ……っ。

 こんなところで奪われてたまるか、奪わせてたまるか――あいつはこれから先の世界を担う若者だぞ、お前なんかが摘み取っていい命じゃ、ねえんだぞッッ!!」


 こんな叫びをぶつけたところで、こいつはなんとも思わないだろう、そもそも言語を理解しているかどうかも怪しいのだ。それでも、言わずにはいられなかった。

 お前なんかが飲み込んでいい人材じゃない。奪っていい命じゃない――、


 違うか、支配者。


 お前が作り出した怪獣だろ、そのせいで未来ある若者を、殺すだって?



 バカだな。

 お前は失敗したぞ。ナン子を、奪うべきじゃなかったのにな。


 あいつはきっとこのゲームを、面白くしてくれたのに――。



『いいや』


 その声は、目の前の豹からこぼれた声だった。


『面白くしてくれると期待しているのは、「おまえ」だよ』



 瞬間、だった。

 豹の巨体がまるで風船に針を刺したように、破裂した。


 血の雨が、周囲を赤色に染める。その全てが怪獣のものだ――、

 だからいずれは消えるはずだが――、手の中にある生温かい感触はしばらくは残るだろう。


 嫌な温かさだった――、そして、鉄であり、獣の匂い……。


 破裂した巨体の中から、ずるり、と落ちてきた少女は、傷一つ――、その血の赤にも染まっていなかった。防水? いや、そんなレベルじゃないだろう、全てを弾いているように――。


 ……ともあれ、落ちてきたのはナン子だ。

 怪我がなければ、気を失っているわけでもない。


 立ち上がった彼女はおれを見て、「……ただいま」と言った。


 なにかを取り繕うような意図が表情から読み取れたが、今はそんなことよりも無事だったことに安堵した……良かった、生きていて、本当に……。


「大丈夫、だよな……? 見た目は怪我一つなさそうだけど、

 でも内側で取返しがつかないダメージになっていないよな?」


 掠り傷がなくとも、内臓系にダメージがあれば、医者じゃないと気付けないだろう。

 気が付いたらぽっくりと死んでいた、なんて充分にあり得るのだ。


 医者でもないおれが分かるわけもないが、

 それでも咄嗟にナン子の体に触れて確かめようとしていた――、すると、


「ダメだっ!」


 ナン子の拒否は一瞬、遅かった。

 バチッッ、と、手の平に電流が走ったように、おれの手が、弾かれた。


 振り払われたのではなく、バットで、フルスイングで打たれたような衝撃――、

 びりり、と腕が麻痺してしまっている……。


 ぴし、と亀裂が入ったような激痛が、一瞬、走った。


 ――う、なんだ、今の……。



「だから、言ったのに……」

「ナン、子……?」


 不意にちらりと見えた。

 大きめのサイズの服は、彼女が言うお兄ちゃんのものなのだろうか――ナン子の服は胸元がだらんと大きくよれていて、鎖骨のあたりが大胆に見えてしまっていた。


 そこに。


 そこに、刻まれていたのだ――【10】と。


 …………十位、圏内……?


「あーあ、ばれちゃった」

「ナン、子――」


「どうせヨートも、うちの言うことなんて信用しないでしょ」


 ガッッ!? となにかが、おれにぶつかってきた。


 なにかは分からないが、ユータのような、弾幕の能力ではない気がする……、たぶん、攻撃用の能力ではないだろう……、驚きはしたが、痛みは少ない。

 そう、鉄板の平らな部分で突撃されたような――、


 ごろごろ、と後ろに転がる。――冷静になれ、考えろ。


 ナン子は言った、『信用しないでしょ』と。

 それは、信用されたいからこそ出る言葉だ。


 ナン子は敵意があっておれを攻撃したわけではない――、仕方なく。


 身を守るために無理やり手を出した、そんな印象だった。



「うちは、十位圏内の、十位だ。言わなかったことは、謝らないぞっ。言えばヨートはどうしてた!? うちを狙っていただろ――、あんな風に優しく接してくれなかったはずだ!」


「…………」


 果たして、そんなことない! という否定が、意味を持ってくれるのか。


 誰かに裏切られた経験があって、

 疑念が強固になっているなら、おれの言葉だって信用されないだろう。


 ――迷宮内でお兄ちゃんとはぐれたとナン子は言った――、助けて、とも。


 それは嘘なのか、どうなのか。

 信用されたいならまず、お前が人を信用しなくちゃ、始まらないぞ?



「……目的は?」

「やっぱり、ヨートも……っ」


「ナン子がおれを信用していないなら、おれだってお前を信用できないよ。

 当たり前だ。疑ってくるやつを、親切丁寧に助けると思うのか?」


 ナン子が下唇を噛む。

 まあ、言い返せないくらいには、響いているらしい。


「……とりあえず、これだけ教えてくれ――、ナン子は、迷子なのか?」


「――――、」


 ナン子は、分かりやすく目を逸らし、顔を俯かせて、


「……違、う――、探しているって言ったお兄ちゃんとは、いつでも連絡が――」


「そうか」


 びくっと肩を震わせたナン子が、ぎゅっと目を瞑った。

 もしかしておれが責め立てる、とでも思っているのだろうか……、心外だな、まったく。


 たった一つの可愛い嘘だ、許せないほど器が小さいおれじゃない。


「なら、良かったよ」

「は……? 良かったって、なにが――」


「お前が迷子じゃなくて」


 嘘だと疑っていなかったのだ、ナン子は本当に、この広い迷宮の中で知り合いとはぐれたのだと思っていた。この広さ、そして凶暴な怪獣がいるのだ、ナン子が言うお兄ちゃんが、既に殺されている可能性だってあった。


 だけど、いつでも連絡が取れると言っていた――じゃあ無事なのだろう。


 ナン子の仲間も。


 ふう、と安堵の息を吐く。すると腰が抜けたように、思わず座ってしまった。


「じゃあお前の『助けて』は、達成……かは分からないけど、解決ってことだよな?」

「――どうして」


「迷子じゃないならいつでも仲間のところへ帰れるんだろ? じゃあ解決だろ」


「違う! 嘘をついていたうちを、お前はどうしてッッ」


 許してくれるんだッ、とナン子が叫んだ。

 彼女からすれば不思議で仕方ないのかもしれないが、別に珍しくもないだろ。


「嘘をつかれたからって、事情も聞かずに突き放すほど、おれは人でなしじゃないよ」


 優しい嘘がある。つかなくちゃいけなかった理由があったのかもしれない。

 それを度外視して、ナン子の人格を否定する? できるわけないだろ、そんなこと。


 人を陥れようとする子じゃないと、これまで接して、分かっているのだ。

 ナン子、お前は――、人を殺せるほど、歪んじゃいないよ。


 ―― ――


「……見る目ないよ、おまえ」

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