第21話 遮音―シャオン―
ピィィィィッッ、という甲高い指笛の音に、おれたちを囲う竜たちが視線を上へ向けた。
――今だ、今しか抜け出すチャンスはない!!
「走れ、真緒!!」
小さな彼女の手を掴み、一体の竜の股下に滑り込んで通り抜ける。一歩間違えれば踏み潰されていたが、逆に言えば踏み潰されなければ逃げることができる。
ハイリスク、ハイリターンだ。
その賭けに勝ったおれたちは絶体絶命のピンチから切り抜けることができた。
とは言え、喉元に突きつけられた刃から距離を取っただけであり、相手の手から刃を払ったわけではない。しっかりと握られた刃が振り下ろされれば、おれたちの背中に届くはず……。
だからその前に――。
「お、追いかけてきてるけど!?」
「分かってる!!」
だから走り続けてるんだろうがッ。
おれたちは近くの駐車場へ向かった。五階建ての立体駐車場である。
ここへ逃げ込んでも、きっと竜たちにとっては
竜を巻き込むのではなく、おれたちの姿を隠すための崩落であれば、竜に傷がつくかどうかは条件には入らない。
等間隔で建てられた柱があちこちにある。その一つの柱を、おれは手で触れ――、
「柱ってのはさ、一ミリの狂いなく建てられるものだろ。ここが狂えば全て狂うと言ってもいいくらいに、重要な部分だ。
たとえ同じ柱の形や重量だったとしても、僅かな誤差でビルは傾くんじゃねえかな」
「……あなた、なにをしようとして――」
「おれの能力は、反転だ。同程度の物体の位置を入れ替える。それだけの能力だけど――、
ようは使いようなんだよな。駐車場を片側へ傾くように崩落させてしまえば、逆側へ進むおれたちには当たらない。シーソーみたいに、開いた空間へ走ればいい!!」
それで逃げられるとは限らないが、大きな障害物とその崩落によって、竜の視線からおれたち二人の姿を一瞬だけでもいいから消す。
倒せない、逃げられないなら、身を隠す。
相手の死角に入ってしまえばあとはこっちのものなのだ。
「おれの手を離すなよ、今だけは絶対に」
ぎゅっ、と握り返される感覚があった――よし、あとはこの駐車場を崩落させれば、
「伏せて!!」
ぐいっ、と真下に引っ張られ、駐車場よりも先におれの体勢が崩れる。
そして一瞬のことだった、おれの頭部を狙っていた火球が、真上を通過していく。
一台の車へ直撃し、爆発を引き起こした――。
失念していた、距離を取れば当然、竜は遠距離攻撃をしてくるのだ――。
ガソリンに引火し爆発することを考えると、駐車場へ逃げ込んだのは失敗だった……、
ここは巨大な火薬庫である。
がるるrrr、と竜からしてみれば低い天井である立体駐車場の中へ、侵入してくる。
「早く、柱を入れ替えねえと……っ」
爆発によって吹き飛ばされたおれの手は、伸ばしても柱には届かない。移動しなくてはならない距離だ……、当然、動けば見つかるだろう、竜は敏感に察知するはずだ。
車の後ろに隠れ、息を殺す……。だが竜は目や耳だけでなく、鼻でも得物を探しているはずだ。いずれ、おれたちの匂いで居場所がばれる――ッ。
その時、冷水、ではなかったが、頭の上から得体の知れない液体が被せられた。
ポリバケツを持つのは、真緒である――、
業者用のトラックの荷台から見つけてきたのだろう……これは、ガソリン、だった。
「うえ、ちょっと飲んじまったじゃねえか……っ」
「これで匂いは消せると思います。あとは目だけを誤魔化せれば――」
「まだ音があるだろ」
「それなら大丈夫です」
なにが大丈夫なのか、視線で聞くと、
鬱陶しいですねえ、とでも言いたげな視線を向けられた。いや、なんでだよ……。
「察してくださいよ、わたしの能力で、音は消せるんです」
「え、どういう能力なんだ……?」
「それを言いたくないから、ごねてるって分からないのかなあ?」
腹が立つような肩のすくめ方だが、確かに今のはおれが悪いか。
言いたくないことを無理やり聞き出すべきではない。
条件はどうあれ、音を消せると彼女が言ったのだから、消せるのだろう。
ここで嘘をつけば、真緒だって危険に晒される。ここは信じてみよう。
ガソリンを被り、匂いを消した。車の後ろに隠れ、目を誤魔化す。
音は、真緒の能力で消すとして。あとは竜の目をかいくぐり、近くの柱へ触れて、おれが反転の能力を使い、駐車場を傾けさせる――、
傾く方向が決まっているのだから、柱の位置にも気を付けなくてはならない。
一番近くの柱を壊したら傾き方に誤差が生まれる。それでは意味がないのだ。
ハヤテたちがいる方向へ、傾けさせなければ。
おれたちが逃げ込めるスペースは、作れない。
「なあ、竜は、今はどこに――」
「こっちに回ってくださいっっ」
袖をぐいっと引っ張られ、膝が地面を削る。本当なら今の音で気づかれていただろうが、真緒の能力のおかげだろう、徘徊する竜は気づかなかったようだ。
竜との間に必ず車があるように、位置を調整する。
「まだ、一体だけ、だよな……? これ、二体も三体も入ってきたら隠れられないぞ!?」
「だから動くなら素早く、ですよ」
こういう会話をしている間にも、時間は着実に過ぎていっている――。
会話は重要だが、動きながらでもできることだ。
「今、竜は違う方向を向いてる……よし、あっちの車まで走るぞ」
「はい。音は消しているので足音を消そうとか意識しないで大丈夫ですから」
こくん、と頷く。あ、返事もしていいのか。
音が消えているとは言われても、実感がないので声を出すのも怖い……。
だが、意識したら素早くなんて動けない。ここは覚悟を決めて走り抜ける。
きょろきょろと首を回す竜の隙を突き、車の影から先の車の影へ向かい、飛び出す。
「……っっ!? なんだ、足が、重く……!?」
まるで水中を移動しているような、動きがスローモーションになって……。
「これ――、向かい風、ですか?」
「風? これが?」
待て――風だと?
体に風が当たっている感覚はしないが、だが無風というわけではない。速度こそなくとも、ゆったりと吹いていても、向かい風だ。逆らう体の動きは普通よりは鈍くなる。
しかもその風が、【能力】によって強化されているとしたら?
風使いの能力。
そんなやつ、一人しか思い当たらない。
――ハヤテかッ!!
―― ――
「突風でこそなく、吹き飛ばすほどの力はないが、それでも動きを鈍くさせるほどの力はあるぞ、ヨート。僕は言ったはずだぞ、疑ったのはそっちだろう?
僕から遠ざかるほどに、風は弱体化する。
だけどそのパワーがゼロになるわけじゃあない」
「早く
―― ――
首を回していた竜が、視界の端に捉えたおれたちの姿に気づく。
匂いでも音でもない、視覚によって見つかった。
鈍くなったおれたちの動きは、五メートルもない幅を駆け抜けることもできなかった。
「がrrrrr」
竜のうなり声。駐車場を揺らしながら、近づいてくる。
まずい、進むにせよ戻るにせよ、もうどうしようもない。しかも、おれたちはガソリンを体に浴びてしまっている。もしも火球を喰らえば、そのまま火だるまだ。
匂いを消すための盾が、火球の威力を上げる矛に変わってしまうなんて――。
……どうするっ。
――どうするッッ!!
「え?」
声を漏らしたのは、真緒だ。
彼女は両手で耳を塞ぎ――その姿はまるで頭痛で苦しんでいるようだった。
「聞こえる……あなたは、誰……?」
「真緒!?」
「呼びかけてくる、ええ、聞こえています――あなたは!?」
突撃してくる竜が、おれたちを飲み込むために大口を開け――しかし、
まるでおれたちを包むように、その両翼で囲んだ。
「え、は?」
「……ユータせんぱいが言っていた通りですね。
これも、あなたの力――いえ、人間性ですか」
真緒が呆れたように。
「こんなわたしを、どうして信頼するのか、理解に苦しみますが――、
ですけどそのおかげで、わたしの能力が強化されたみたいです……」
真緒は言う、つまり、
「音を消す能力が、聞こえないはずの音――声を、拾うようになったみたいです」
「……じゃあ、真緒は、なにを聞いたんだ?」
「竜の声、言葉です」
「彼女、第五位の――浅間オセの、親友みたいですよ?」
―― ――
十体以上の竜が大空から、大地から、迫ってくる。
それを絶空で対処するけど、さすがに全部を捌けるわけじゃない。
取りこぼしがある。その取りこぼしのせいで、あたしは地面を転がされてばかりだ。
竜との激戦により、地面は抉れ、亀裂や歪みが生まれ、そこを転がるということはやすりの上を転がっているのと変わらない。避けるためにも身を低くして転がる必要もあるし、なにをするにしても体が削れていく――、嫁入り前の女の子の体なんですけど……。
「嫁入り前に、生き残れるかどうかを考えるんだな」
五位の女は、飛び交う竜の背中を器用に渡っている。そのせいで主を倒せば周りの竜も止まるだろう、という企みも通用しない。放った絶空が女に当たらないのだ。
「ちょこまか、とっ、じっとしてなさいよ!」
「こういうバトルスタイルなもんでな。オマエは逆に、じっとし過ぎだろ。動いているわりに決まった直径から出ていねえじゃねえか。自分ルールか? いや、能力の条件かもな」
別に、気づいたら一定の位置から出ていなかっただけで、特に条件ではなかったけど、そう思わせておいてもあたしの不利になるわけじゃない。
ここは存分に勘違いしておいてもらおうかしら。
気が付けばあたしを囲うようにたくさんの竜が飛び交っている――、
まるで建っているビル群が竜の巣みたいね。あたしは鳥かごに迷い込んだ虫なのかしら。
「悪いな、オマエのことを害虫と認識している上からの命令だからさ」
害虫、か。
害虫だとしたら毒持ちね。
あいつからすれば、あたしのことはそう見えているわけだ。
「……詳しいこと、聞かせてよ」
あたしはヨートにも伝えていなかった奥の手を、ここで出すことに決めた。
小太刀サイズの木刀を――、腰からもう一本、引き抜く。
右手に持っていた木刀と合わせ、二本目――そう、二刀流だ。
「一振りほど、命中率は良くないの。というか悪いわね。狙っていないし。
ただあたしがぐるぐると回るだけで、周囲ものを無差別に斬っていく――、
ヨートが傍にいたら絶対にできない戦法よ」
竜に囲まれ、野次馬がいない今だからこそできる、必中必殺の奥の手。
「不甲斐ないところばかり見せたけど、あたしの『八位』らしさ、見せてあげるわ」
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