第8話 見て見ぬふり

「……だからって、この選択が正解だったなんて、思うなよ……ッ」



 自分にそう言い聞かせて、一目散にドラゴンから逃げる。


 教室を出て、廊下をひたすら走る。

 曲がり角を曲がったところで、足がもつれて転んだ。


 すると目線の先に、足が落ちる。


「やっぱり、見捨てたな」

「……ユータ」


「まあ、慣れたもんだろ。

 見て見ぬふりはお前らの十八番じゃねえか」


「ユータァ……ッ!!」


 彼は肩をすくめ、


「俺に当たるなよ。はめたわけじゃねえし、お前が選んだことだ」


「ああそうだ、おれがっ、あの子を見捨てた! それは変わらねえよ! 

 ユータを責めるのはお門違いだ……だけど……、

 ユータの顔で、声で、クズみたいなセリフを吐くなッッ!」


「あー、ったくよお、これが俺だって何回言えば……いや、もういい。

 実は俺はクズ野郎だったんです、認めてください、なんて、お前に言っても仕方ねえよな。

 俺が優等生である非現実を見続けたまま死ねるなら、本望か――」


 ユータの手の平が、おれを見下ろしている。


「じゃあな、ヨート。


 今度こそこの手で」



 瞬間だった、


 ピィ――――――――――ッ、という、甲高く伸びた音が響き、


 やがて、


 校舎が揺れる。



 みしみし、と柱が悲鳴を上げ、壁に亀裂が走っていく。


「なんだ……?」


 窓の外を見ると、頭部がドラゴンの少女が校庭を走っていた。


 無事だったみたいだ……、じゃあ、あのドラゴンは?


「ドラゴンが……天井をぶち抜いて、外に出やがったな……ッ」


 校舎の揺れが収まったと思えば、今度は遠くの方から轟音が近づいてくる。


 崩落している……音……?


 ドラゴンの荒々しい行動に建物が耐えられなくなったのだろう。


 柱が折れれば、建物は状態を維持できない。


 重たい場所から崩れていく。


 そしてそれは、ドミノ倒しのように連鎖していくのだ。


 つまり、いずれはおれたちの場所も崩落する。


 一階だから床が抜けることはないが、

 しかし、上からの落石が集中してしまう……。


 ここにいたら、崩落に巻き込まれる!!


「ちッ」


 ユータの手の平から風の塊が吐き出され、おれの体を後方へ吹き飛ばした。


「――がっはっ、あがッッ」


 車との衝突事故にでも遭ったような衝撃に視界が霞む……、

 だが、もしも今の一撃を受けていなければ……後方へ吹き飛ばされていなければ。

 今頃は、目の前に落ちている鉄骨の下敷きになっていただろう。


「ユータ……」


 鉄骨が壁になり、彼の姿はもう見えない。


 ……助けてくれた?


 なんだかんだ言いながら、やっぱりあいつは……っ。


「昔のユータも、心のどこかにはいるってわけか……」


 誰だ。おれの親友を変えたのは、誰だ。


 ……四位。


 犯人は、そいつしかいない。



 壁が崩れ、剥き出しになった柱、鉄骨が崩れていく。


 校舎の崩落が止まらない。


「外、に――」


 しかし最短の進行方向に鉄骨が落下し、塞がれていく。


 まるで、上から誰かが意図的に落としているかのように。


「隙間だ……、じゃねえといつまで経っても抜けられない!」


 リスクはある。

 今は隙間でも、数秒先もそうだとは限らない。


 さらに上から鉄骨が重なれば、隙間が圧迫され、隙間に潜り込んでいたおれの体がぺしゃんこに潰される可能性だってある……、それでもだ。


 右往左往している間に退路が断たれ、崩落に巻き込まれるくらいなら、

 それくらいのリスクを背負わなければ逃げられない!


 落下した鉄骨同士が重さを預け合って、斜めに立っている。

 真下の三角形の隙間に潜り込み……、さらに先、

 いくつもの鉄骨同士が重なり合い、入り組んだ隙間を抜けていく。


 コルクを抜いたような音が鳴った、と錯覚するように、隙間から出た瞬間だった、


 拮抗していたバランスを崩した鉄骨が、一斉に倒れた。


「うお……ぎりぎりだったか」


 おれが通ったことでバランスを崩したのかもしれないが、ひとまずは。


「無事、抜け出せた――」




!!」




 前方からの声に、俯いていた顔を上げた瞬間、分かった。


 真上。

 おれを押し潰そうとしている圧があった。


 おれを飲み込む影。


 鉄骨が。


 おれに向かって落ちてきている。



 ……寸前で声をかけてくれたのは少女だった。


 バンダナで隠れていたが、金髪の少女――、

 彼女は必死な顔でおれに危険を知らせてくれている。


 でも、無理だ。

 彼女の声が遅かったわけじゃない。


 おれが、気づくのが、

 回避行動を取るのが遅かっただけだ。


 彼女は悪くない――おれのミスだ。


 ここでおれが潰されれば、彼女は『自分のせいだ』と思うのだろうか。

 だとしたら悪いことをしたな……、

 せめて、気にしないでいい、と一言だけでも言えたら。


 言えたら?


 ……悩むな、言えよ、すぐに!!


「気に」


 しかし、判断が遅く、そこで声は途切れた。


 落下してきた鉄骨がおれの体を押し潰して――――、




 あれ?




 鉄骨は、まるでおれを避けるように、分断されていた。


 硬く長いそれが、真っ二つに、真ん中からきれいに割れている。


 割れているというか……、斬れている。


 段差のない断面が、倒れた鉄骨から窺がえた。


 恐らく、一ミクロンの乱れもない、一刀両断だ。


 ……能力。


 そして、木刀型の小太刀を持つ少女が近づいてくる。


 彼女のその刀で(木刀だけど……)鉄骨を斬ったのだろう。


「ねえ、大丈夫!? 怪我は……」


 ぺたぺたと触って、おれの怪我の有無を確かめてくる。


 乱暴ではないが、焦りのせいか雑な感じもするし、くすぐったい。


「だ、大丈夫だ、怪我なんかしてないからッ! 

 ……わ、悪い、大きな声出して……。

 あんたのおかげで、かすり傷一つもないよ、ありがとう、助かった」


「そう、それなら……良かったわ」


 少女は見ず知らずの赤の他人であるおれの安否を確認して、

 本当に安堵したようで、ふうと息を深く吐き、肩の荷を下ろしていた。


 ……どうして。


 なんでこの子は、おれを助けた?


「それにしても、どうして急に学校が崩れたのかしら。

 ……中で能力者と戦ってたとか?」


「いや……、能力者じゃなくて、ドラゴンだな」


 崩落の原因であるドラゴンは、

 音と共にどこかへ飛び立ってしまったようだが。


「なら、もう危機は脱したのよね?」


「たぶんな。ここを一時的な巣にしていたみたいだから……別のドラゴンが帰ってこなければ、だけど。ほとんど崩落して、校舎の形をしていない今のこれを見て、構わず棲もうとは思わないだろうし……いや、ドラゴンなら気にしないのかな」


「まあ、枝をかき集めて作った鳥の巣みたいにはなってるけどね」


 人は住めないがドラゴンなら棲めるだろう。

 さっきよりも尚更、巣に近くなった、とも言えた。


「もしかしたら、集まってくるかもしれないな……、

 この場にいたらいつまで経っても安全とは言い切れないと思う」


「それを言い出したらどこにいようが安全地帯なんてないけど」


 少女の言葉はその通りだった。


「それもそうか」


 ちらりと少女を横目で見ると、偶然ではないだろうが、目が合った。


「……どうして、助けてくれた?」


「鉄骨の下敷きになりそうなあなたを見つけたから。

 見捨てるかどうかよりも先に、手が動いてただけ。

 別に、これを借りにするだとか、見返りを求めるとか、無理難題を頼んだりもしないから安心して。ただのきまぐれ。人助けを趣味にはしていないけど、それに、大層な信条もないわ。

 目の前で人が圧死されるところなんて見たくなかったから……」


 少女が手に持つ小太刀をにぎにぎと触りながら、


「……助けられる手段があったしね、見捨てる理由がなかったのもある」


 それでも、見て見ぬふりはできるだろう。

 精神的に、それができなかったから助けたのだろうが、

 だけど、その罪悪感を見て見ぬふりをすることもできたはずなのだ。


 助けない自分を見ない。

 目を瞑って、なかったことにする。


 たとえ助けられる能力があったとしても、一歩踏み出すかどうかは当人次第だ。


「そんな風に……」



 なれたら。


 そんな風に、なりたかった――。



「ん?」


「いいや、なんでも。あらためて、ありがとう……、

 あんたがいなかったら、間違いなくおれは死んでた。

 能力も持ってないしな。

 あんた、能力者ってことは、誰かの支持者……なんだよな?」


「……え、あ、そうそう、支持者よ、支持者」


「なんで動揺してんだよ……」


 能力は十位圏内を支持したことで得られるものだ……、

 正確には、奥底に眠る才能を支持したことで引っ張り上げているらしいのだが――。


 能力者であれば、彼女も、支持している誰かがいるはずなのだ。


「……別に、誰か、とは聞かないけどさ」


 判明している十位圏内以外にも、十位圏内はいるわけで、少女が支持している相手が世間に名前と顔を知られたくないと言うのであれば、無理に聞き出すこともない。


 聞いたところでおれがその人を支持する保証もないのだから。


「そういうわけでもないけど……(案外、気づかれないものなのね……)」


 金髪少女は頬を控えめに掻きながら、


「あなたは無能力者みたいだけど、誰も支持しないの? どうして?」


「単純に出遅れたってだけなんだけどな……、

 右も左も分からない中で、信頼するべきは最も支持者が多い四位なんだろうけど、おれはちょっと……。悪口ってわけじゃないんだが、信用できないんだよ……。

 信頼できない胡散臭さを感じちまってさ。だから、三位と五位しか残っていないんだが、その二人は積極的にアピールしているわけじゃないから、どうにも決めかねていると言うかな――」


 四位ではないからと言って、じゃあ三位か五位のどちらか、とも言えない。


 三位と五位のどちらかに寄るにしても、判断材料が少ないのだから。


「分かる! 胡散臭いよね、あのおっさん!」


 少女が身を乗り出して同意してくる。

 うんうん、と頷き、自分の考えは少数派ではなかった、と確認しているようだ。


 同志を見つけても少数派には変わらない気がしたが……、


「……じゃあ、誰を――」


 と、聞きかけて、少し前の自分の発言を思い出す。


『別に、誰か、とは聞かないけどさ』


 数秒でそれを覆すのは格好悪い。


 途中で言葉を遮ったおれに、少女が小首を傾げた。



「じゃなくて、だな。いいや、なんでもないよ――」

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