第7話 ずれていく

「俺たちの仲間にならないなら、

 お前も裏切ったあいつらと一緒だ――死ね、ヨート」



 ユータがおれの頬を挟むように、顔を鷲掴みにした。


 彼の手の平が、隙間がないほど、顔と密着する。


『残念だ』


 さっき、そう呟いていたユータの言葉は。


 おれを殺すことになるから……?


「……ッ!」


 口を塞がれ、吐き出せない叫び。


 ……ユータは本気だ。

 手に込める力に、一切の躊躇がなかった。


「反撃を考えてるなら無駄だぜ? 

 お前の手足が届く前に、俺の能力がお前の顔を吹き飛ばす方が早――」


 パリィン、と、

 甲高い破砕音におれたちは睨み合いを中断させて意識を音の方へ。


 窓ガラスが割れている。

 外から部屋の中を覗く、爬虫類の瞳があった。


 そう言えば忘れていた――おれを追っていた、ドラゴンだ。


「邪魔を……ッ!」


 窓枠に前足をかけて、ドラゴンが教室に入ろうとしてくる。


 しかし廊下よりも狭い窓枠に、翼どころか体が引っ掛かっているようだ。


 だが、窓枠が壊されるのも時間の問題だろう……、壁と違って窓枠は脆い。


「眠ってろ、化物が」


 ユータが、空いている片手を向け、能力を発動させた。


 見えないが、手の平から放たれただろう風の塊が空気を裂き、ドラゴンの額にぶつかる。


 教室が震えるような衝撃があったが、

 ドラゴンは首を左右に振るだけで、倒れる気配はない。


 しかも、今のでスイッチが入ってしまったとも言えた。


 警戒しながらゆっくりと入ってきていたのだが、

 今の一撃で、瞳がブチ切れた時のそれに変わる。


 窓枠を派手に破壊し、大きな口を開けておれたちを威嚇してくる。


「うっ、ぷはっ、おい!? なに怒らせてんだ!?」

「仕方ねえだろ! らなきゃこっちがられるんだ!!」


 ユータの拘束を振り解く。

 簡単に解けたのは、迫るドラゴンのおかげだろう。


「話し合いは無理でも、こっちに敵意がなければあいつも襲ってはこないだろ!」


「じゃあなんでお前はさっき襲われてたんだ!? じゃれ合っていたとでも!?」


「それは……っ、というか、あいつだって変化する前の人間なんじゃ……?」


 頭部だけがドラゴンになっていた少女のように。

 姿が完全にドラゴンになった、元人間なんじゃないか……?


「三日目の段階であそこまで変化するかよ! 

 一位が用意させた本物のドラゴンに決まってる! 

 だから殺したって良心なんか痛まねぇよ!!」


 おれを容赦なく殺そうとしたユータが言っても、説得力なんかない。

 今のお前に良心なんてものがあるとは思えなかった。


 その証拠に、


「とりあえず、都合良く倒れてるその女を足止めに使おう。

 頭以外は人間の体だ、

 ドラゴンの腹が減ってるなら、道端に落ちてる獲物に喰いつくはずだろ」


「おまえ……、あの子を見捨てるつもりか!?」


「脳がドラゴンなら、人の部分がいくら多くてもドラゴンと同じだ……。

 さっきまで殺されかけていた相手を気にかけるだけでなく、助けようとするのか? 

 余裕あるよな、お前」


 余裕なんかあるわけがない。

 一目散に逃げたいに決まっている。


 だけど、だからってじゃあ、眠ったままの――いくら頭部がドラゴンだとは言え――女の子を見殺しにすることを、仕方ないと言える理由にはならない。


「まあ、好きにすればいいんじゃないか? 俺は喰われたくないんでね、先に逃げるがよ……助けたければお前一人で助けろ。俺は手伝わねえからな」


「す、少しくらい手伝ってくれてもいいだろ……っ、友達だろ!?」


「命を懸けるほどじゃねえってことだ」


 ……確かに、強制するのは違うだろう。


 誰だって命が惜しい。

 見ず知らずの人を助ける行動力に見合う力が、おれたちにはない。


「友達だろ――ってのはさあ、脅しだろ」


 善意や正義への協力を、

 仕方ない理由だったとしても、断れば悪になるように。


「手伝わなければ友達をやめる――そう言いたいなら結構。

 どうぞ切ればいい。その程度の信頼なら、こっちはいらねえんだ」


「そんなつもりで言ったわけじゃねえよ!」


 つい、口を突いて出てしまった暴論だったかもしれないが。

 少なくとも脅すつもりで協力を頼んだわけじゃない。


 単純に、ユータがいてくれた方が助けられる可能性が上がると思ったから。


 というか、おれ一人では絶対に助けられないだろう。


「ユータのその能力が必要なんだよ……だから、頼むよ……っ」

「嫌だ」


 無理だ、ではなく、嫌だ、と言った。


 できるできないではなく、やりたくない、と。


「そいつは俺の誘いを蹴ったんだ。助けるなんてあり得ない。

 というか、元から殺すつもりだった。

 どさくさに紛れて上手く逃げられたみたいだが……はっ、断るからこうなる。

 怪物化した結果、頭から変化して理性を失った人間の末路だよ…………ざまあ」


「……ユータ、お前――、

 そう言えば、四位以外の十位圏内を支持する人がいれば殺す、って、言ってたよな……?」


 だから、おれを殺そうとしたのだろう。

 それは今はいい。とにかく、


 ここで浮かび上がってくるのは……、

 誘った全員が全員、四位を支持したわけではないだろう、ということだ。


 多数に流れやすいとは言え、

 一人や二人くらい、違う意見を持つ場合だってあるはずだ。


 ……どさくさに紛れて上手く逃げられた? 

 スルーしていたが、逃げ切れたと言うからには、追った誰かがいるはずだ。


 どさくさに紛れて逃げられるほど、ドラゴンは目には頼っていないだろう。


 であれば、それが、ユータ?



 ユータから逃げた少女が、


 ドラゴンの巣である校舎に引きこもり、怪物化した……、



 この子だけが、今のところ発見できた、生き残り。


「……クラスメイトの、どれだけが……」

「ん?」


「――クラスの全員が、四位を支持したのか!?」


「いいや? 小林、竹本、須藤、岡村……あとは誰だったか……、忘れたけど、もう少しくらいはいたはずだが……いちいち覚えてねえよ、時間をかけたわけじゃねんだから」


「まさか……っ、でもお前は、生死不明はあとマコトだけだって言って……ッ!!」


「ああ、だからはマコトだけだ。

 死亡したやつは、リストを見れば分かるぜ」


 死亡した、というか、俺が殺したんだけどな、とユータがあっさりと言った。


 白状したわけじゃない。

 自首するつもりもないだろう……、そもそも警察が機能するのか? 

 犯罪者でも能力が使える世界。


 さて、一体誰が、どんな方法で拘束するのだ?


 ――狂っていく。


 道徳が、倫理観が。


 中学生が同級生を殺しても、なんとも思わない世界。


 なまじ能力で簡単にできてしまうから、

 準備段階での葛藤や、殺した、という感触が、

 ユータの能力では実感できないためもあるだろう……、行動に躊躇いがない。


 まるで、機会があればいつでも殺せるとでも言わんばかりに、ユータは乗り気に見える。



「……ユータは、そんなやつじゃなかった……!」



「それ、イメージの押し付けじゃないか?」


「クラスの中心人物で、頼れる学級委員長で! 

 野球部のエースとして、人望もあって、活躍もしていた、

 おれたちの誇れる優等生だったはずなのに!!」


「その分、お前らには分からない苦労があるんだよ。

 はぁ、優等生ねえ……、そういうイメージから、俺が次にどう行動するべきか、お前らの頭の中には既に正解がある。俺がどれだけ苦悩してその正解を選んで、やり遂げていたのか、苦痛も知らないくせによ……、勝手なことばかり……好き勝手、言いやがってェ……よォ」


 今日、滅多に見れないユータの表情を見た気がする。


 いつものユータの表情は、大体が似通っている。


 思い返せば、笑顔が多かった。

 苛立ったり、怒ったり、しなかった。


 誰かを非難することもなかった。

 失敗した相手に、優しく丁寧に教えていた。


 根気強く、何度も何度も、理解してくれるまで。


 ……でも、それは彼がはめていた仮面だったとしたら……。


 人に見せることがなかった仮面の下で、鬱憤ストレスが溜まっていたなら。


 それがエネルギーとなり、

 能力を使って人殺しをすることへの抵抗を消しているのだとしたら――、


 躊躇うはずがない。


 がまんしていた分、ここで激しく弾けるだろう。


 罪に問われない、裁かれない。


 もしも警察が動いたとしても、能力でなんとかできる。


 その自信が、大胆な行動力に繋がってしまっている。


「俺は学級委員長だぞ。言うことを聞かないやつなんか、いらねえんだよ」


 どんっ、とユータがおれの肩を押す。


「ほら、さっさと助けないと、餌と勘違いしたドラゴンが喰っちまうぞ?」


 頭部がドラゴンの少女の隣に倒れる。


 生温かい風に振り向くと、至近距離に、既にドラゴンが迫っていた。


 彼の鼻息が背中に当たっていたのだ。


「待っ、ユータ!!」


「逃げ切れたらまた会おうぜヨート。ま、その時は俺がこの手で殺すけどな」



 ユータは教室から出て、廊下を走って逃げていった。


 おれたちを囮に使って……っ。


「っ、クソ! おれだけでも、とにかくこの子を連れて――」


 逃げる? どこへ? 

 教室から出て、ドラゴンの追跡を振り切れるか?


 無理だ。

 追いつかれて、喰われるだろう。

 彼女ごと、おれも……。


 彼女の腕を首に回し、持ち上げるが……、これで走れるわけがない。


 ドラゴンの頭部が重た過ぎて、

 走るどころか足を引きずるような歩き方しかできなかった。


 追いついてくださいと言わんばかりの速度だ――このままじゃ、共倒れだ。


 その結果に意味はあるのか?


 まだ、この子だけが捕食されて、

 おれが生き延びる方が、別の役に立つんじゃないか?


 他の、助けを求めている人を助けるためにも、

 おれはここでは、死ねないのでは……?


 成功例が見えない難題に無理に挑む必要なんて、理由なんて、ないのだ……。


 この子を助けたい……、


 だけど命を懸けるほどでは――、


 ない、のだ。



「…………ごめん」



 せめて、優しく、彼女の体を床に寝かせる。


「助けられなくて、力がなくて、勇気が、なくて――」


 気絶している彼女に聞こえているのか、聞こえていたとしても脳がドラゴンになってしまっていては、人間の言葉は分からないのか――、それでも、言わずにはいられない。


「ごめん。おれは、逃げる、から――」


 彼女に背を向けた時。


 微かに、聞こえた。


『いいよ』


「……え」


『ありがとう』


 振り向いても、彼女はまぶたを閉じたままだった。


 意識が戻った気配はない。

 罪悪感を緩和させるためにおれが自分で作り出した幻聴だったのかもしれない……。

 否定はできないが……それでも、心は軽くなった。



「……だからって、この選択が正解だったなんて、思うなよ……ッ」

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