愛国ノスゝメ、売国ノ嗜ミ
秋嶋二六
プロローグ
大陸の最西端で政変が起こった。
宗教改革から端を発した自由民権運動は西方全土に及び、フォルミカ王国まで飲み込まれたのだ。
ただ、その運動は長くは続かなかった。フォルミカ王国を除いて。
当時のフォルミカ王サラサール二世、後に「愚直王」と追尊されることからわかるように、他国とは違い、上から民衆を抑えるような真似はしなかった。開明的で、民権運動にも理解のあったサラサールは対話の場を設けようとしていたのである。
彼は人間として篤実であったが、為政者としては愚劣だった。有無を言わさずに弾圧してしまえばよかったのだ。民衆の恨みは募るだろうが、その怨念を飼い慣らしてこその王なのだから。
対して、民権運動を主導していた「緋色の黎明党」を率いるラファエル・セルベトはより狡猾に振る舞った。ラファエルは党の規模が大きくなると一線を退き、より過激な思想を持つビクトル・バレンスエラが前面に出たことで、運動は加速、いや、暴走した。
党員のみならず扇動に乗せられた民衆は暴徒と化し、対話のために王宮から出てきた王と王妃を捕縛し、そのまま王宮へと雪崩れ込んだのである。もはや暴徒と呼ぶのもおこがましい賊徒たちにより、王宮に屍山血河が築かれ、格式と歴史を誇る財物はことごとく奪われた。
狂乱の最中、ビクトルら党員が血眼になった探したのが、王子ヴィヴァルの存在である。いかに王、王妃を捕らえたとはいえ、王子を逃がしたのでは革命後の反体制派の神輿と使われるだけで、元も子もないからだ。
当初、王子は簡単に見つかると思っていた。王族にはある身体的特徴があったからだ。それは瞳の色が金色だったことである。
しかし、彼らの努力は実らない。王子のものとおぼしき死体はあったが、顔が潰され、誰とも判明できなかったのだ。そもそも立太子の礼の前だったこともあり、あまり人前に出てこなかった王子の顔など誰が知るはずもなく、生き残った使用人からこの死体が王子であるとの証言を得たことで、彼らは強引に納得するしかなかったのである。
王と王妃が王宮前の広場で、断頭台の露と消えたとき、民の狂奔は最高潮に達した。王は首が落ちるその瞬間まで、対話を望んでいたが、ついにその声は誰の耳にも届くことはなかった。
歴史には「一月革命」、もしくは「鮮血の一月政変」とも呼ばれることになる事変の後、バルカ朝は絶え、立憲国家として再始動するはずだった。
ケチがついたのは割方最初のほうだ。酒場でこの革命は隣国、アイゼンレーヴェ帝国によって仕組まれたものだと吹聴するものがいるとの通報で、逮捕してみれば、それがなんと、革命初期において指導者的役割を果たしたラファエルではないか。
酔漢の戯言と一笑にふせればよかったのだが、あいにくラファエルの言は事実であり、彼自身が帝国から送られた工作員だったのだから救えない。おまけに彼は使い捨ての道具でしかなかったのだ。
発足したばかりの臨時政権は、当然のことながら、事態を隠蔽しようとした。こんな話が表に出れば、新国家の基が崩れるのは必定。それだけならまだしも、革命が道化たちの祭りだったことを知った民の信頼が地に落ちるのだけは避けたい。
しかし、人の口に戸は立てられぬもの。あるいはラファエルの他にも帝国の工作員が潜んでいたのだろう。その上、新政府の対策も遅きに失した。噂は燎原の火よりも早く、人口に膾炙していく。
革命の酔いから醒めた民衆に与えられたのは扇動に乗せられて、瑕疵なき王の弑逆に加担したという受け止めるにはあまりにも重い事実。我知らず背負うことになった大罪に戦慄を覚える間もなく、さらなる凶報がもたらされる。
帝国、フォルミカに宣戦布告す。
フォルミカの混乱に乗じて、治安の回復と王政復古という目的を掲げ、宣戦布告後間を置かずにアイゼンレーヴェ帝国が三十万もの軍勢で侵攻してきた。
王政復古というのはアイゼンレーヴェ帝国皇帝に王位継承権が存在したからである。かつてのフォルミカ王国のみならず、西方では各王室はほぼ縁戚関係にあると言ってもいい。血統が絶えた王国の支配権を巡り、相争うのも珍しいことではなく、帝国がそう主張するのも無理押しというわけでもないのである。
怒濤のごとき凶事の連続に、国民の心は根元から折れかけたが、そこで新たな化学変化を起こす。王を討ったのはあくまでも帝国であり、自分たちは被害者なのだ。帝国許すまじ。
正統性を否定され、窮地に立った新政府だったが、思わぬ「民意」に動揺しつつ、激しく背を押されたことで、開戦を決意。
フォルミカ戦役の始まりである。
そして、そこから十と二年が経過した。未だ戦火はやまず、戦況は泥沼の様相を呈してきている。
両国ともに疲弊して、厭戦気分が充満する中、どちらも拳の下ろしどころを探し出せずにいた。
混迷の時代、その最中、過去の亡霊が現世によみがえり、彷徨しながら、悪意の種をばらまいている。
種は芽吹きつつあった。誰もそれを知らぬままに。
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