第36話 秘めた思い
彼女との訓練はかなりハードだ。無理に敵の動きを真似るのに加えて、変幻自在な追尾弾に
今日の訓練の中で、彼女は正確に盾を避けて弾を着弾させる技術をモノにしかけている。まだまだ咄嗟の判断はワンテンポ遅いが、それを技術力でカバーしつつあった。
でも、実践訓練ばっかりもよくないかなぁ……。
「あの、
「わっ! びっくりした」
急に背中に声をかけられたので、数センチ飛び上がってしまった。
顔を擦って後ろを振り返ると、申し訳なさそうな表情の
「……どうしたの?」
「えっと、この後夕食を一緒にどうですか?」
「うん、いいよ」
「本当ですか!」
彼女から誘われるとは思いもしなかった。
「何か相談?」
「ええ、まぁ。そんな感じです」
訓練を通して、少しは心を開いてくれたという事だろうか。
もしそうなら嬉しいな、と
髪をしっかりと乾かしてから食堂へと向かった。
時間は七時半を過ぎた頃で一般職員の利用ピークを越えて、今はツナギ姿の技術員が食事をとっている。明朝から働いている技術員は緑のツナギ、これから夜間の作業に入るメンバーはオレンジのツナギを着用している。
皆、この施設を維持管理するのに欠かせない人員だ。
先日、燐火が緊急時だと取り出した銀糸入りのケースの設置や、安全隔壁の定期点検から空調システム、浄水設備に至るまで、あらゆる作業を分担で行っている。
そんな彼らの表情には、濃い疲労の色が滲んでいる。先日の一件による各所修復作業に追われている為だ。
そんな人達の束の間の休息を邪魔しないように、端の方の席に着いた。
非常時の為、献立は焼き魚の和食Aセットと、ミートスパゲッティーのどちらか。二人は共に、ミートスパゲッティーを注文した。
少し茹ですぎて膨らんだパスタをソースと絡めてフォークで弄びながら、詩織の方を窺う。
彼女は上品な所作でスパゲッティーを口に運ぶばかりで、中々話をするそぶりが無い。
食べ終わってから、って事かな。
そう思い直して、彼女にペースを合わせようと口いっぱいにパスタを頬張った所で、
「それで、お話なんですけど」
「にゃ……げほっ」
答えようとして盛大にむせた。このタイミングは反則だ。吐き出さないように何とか口を押えて涙目で
「大丈夫ですか?」
「うん、もう平気。ちょっとむせただけ」
詩織はほっとした様子で、渚の目を真っすぐに見据えて来た。
「いままで、ずっと言えなかったんですけど」
いつになく真剣な表情に、渚も姿勢を正す。
「さ……」
「さ?」
「サイン、頂けませんか!」
「…………はい?」
「一緒に訓練してるだけでも凄い事なのは分かってるんです。普通あり得ないし、幸運だし、幸せ、なんですけど。でも形に残るモノも欲しいなって思って。ごめんなさい、勝手なお願いだって分かってるんですけど」
渚は天を仰ぐ。深刻なお願いかと思って身構えたのに、とんだ拍子抜けだ。逆に良かった、と言うべきだかもしれない。
「あの、呆れてます?」
「ううん。それぐらい夢子の事が好きだったって事でしょ。私もうれし……」
言葉の途中で詩織が差し出してきたものに、セリフも表情も固まる。
テーブルに差し出されたのは、夢子として現役だった頃に広報用で撮ったピンナップだった。
写真の中の夢子は、寒気がするほどの満面の笑みで右手に持ったハンマーをホームラン予告よろしく前に突き出し、左手は顔の傍で横ピースを作っている。
渚の黒歴史最盛期の遺物であり、これが
今、渚の顔は熱湯に漬けたのではないかと言うほど茹だっていた。
しかし、それに気付かない詩織はトドメの一言を加える。
「サインして頂けませんか。家宝にします」
やぁぁぁぁぁぁぁめぇぇぇぇぇてぇぇぇぇぇぇぇぇ。
心の中で絶叫して、地面をのたうち回る想像をしながら、表情は冷静沈着を装って薄っすらと笑みを張り付ける。恐らく、出来ていないが。
「えっと、これに?」
「はい。普段は勉強机の前に飾ってて、辛くなった時は『夢子さんみたいに頑張ろう』って」
うれしいやら、恥ずかしいやら。
これを出してきたのが麻耶だったなら、百パーセント冷やかしだが、詩織は大真面目に言っている。燐火同様、彼女も渚の背中を見て魔法少女を
その事実に、胸が熱くなる。
「分かった。なんて書けばいい?」
「メッセージまで? なら、『頑張ってね』って入れて貰ってもいいですか」
「うん」
「とっても嬉しいです!」
詩織の用意した極太の黒マジックで、『頑張ってね☆ 朝宮夢子より』とサインを滑らせる。昔少し練習しただけのサインだったけれど、思いの外上手く書けた。
そう自画自賛していると、
「あら、サイン偽造でお金儲け? 感心しないなぁ」
抑揚の無い声が背後の近距離で響き、ぎょっとして後ろを振り返る。
迂闊。ここが食堂だという事を失念していた。
果たして、背後には長い黒髪の女性が立っていた。手入れが行き届いていないのだろう、髪はくしゃくしゃで至る所で跳ねていて、匂いこそしないが少し不潔な印象を覚える。服も指定の制服ではなく、くすんだ青色の古いジャージだ。
彼女は左手で髪をかき分けて出来た隙間から、淀んだ瞳で渚がサインした写真を見つめている。
明るくない場所で遭遇すれば、悲鳴を上げていたに違いない。それほど彼女の
「えっと……これは」
「ふふ、上手く書けてる。それに、原紙の保存状態もいい。私も昔持ってたなぁ。捨てちゃったけど」
全てどうでもいいというような、投げやりな口調。
「どっ、どなたですか。見たことない、気がしますけど」
詩織が声を振り絞る。
取られると思ったのか、夢子の写真をさっと手元に引き寄せながらだ。
「当然。私は今日、編入してきたんだよね。この前の爆発で家が吹き飛んじゃったし、呼ばれたから丁度いいかなって。で、貴方の名前は? 見た感じ候補生なんでしょ?」
「私は小等部六年、浜野詩織です」
「実践は?」
「……二回」
「ふぅん」
圧迫面接の様な嫌な空気に、流石に渚が割って入る。そろそろ、詩織が泣きそうだ。
「其方も名乗ったらどうですか。随分偉そうですけど」
「ん? んん。一応、私も先輩なんだけど。そういうあんたも十分偉そう……ぇ?」
彼女は目を細め、ぐっと顔を寄せて来る。それこそ、拳二つを明けた程度の距離まで。
なんとなく、目を逸らしたら負けだと思った。睨みあう事、十秒ちょっと。
彼女の瞳から、一筋の涙が伝った。
予想外の状況に頭がついていかない。
さらに一拍置いて、彼女は更に数センチ距離を縮めた、そう思った瞬間には体をぎゅっと強く抱きしめられる。
詩織が慌てて席から立ち上がるのが分かる。
「よかった。本当に良かった。夢じゃないよね、これ」
私は咄嗟に振り解けなかった。彼女の懐かしい香りを覚えている。
渚の思い違いでは無ければ、彼女は――、
「
「そうだよ。もう二度と会えないと思ってたのに。夢みたい」
かつての姿とは大きく異なっているものの、彼女はかつて共に戦った魔法少女、『気分屋の猛獣』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます