第30話 起死回生

 ――約一分前。


『逃げ……』


 体が千切れてしまいそうなほど、圧倒的な自然の力に渚は飲まれた。

 なぎさだけではない。すぐそばにいた燐火りんか一紀いつきも同様だ。

 激流の中、はぐれないよう互いに手を伸ばす。

 まず引き寄せる事が出来たのは一紀。


『任せて』


 彼はしっかりと渚の腰にしがみ付きながら、持ち前の先読みで器用に水の流れに乗ってみせた。揉みくちゃだった視界が平衡感覚へいこうかんかくを取り戻す。


『燐火!』


 未だ濁流に翻弄ほんろうされ続けている燐火は水中でクレールを起動、剣を振るうことで剣先を伸ばし、周囲の障害物にぶつけることで、辛うじてかじを取っているようだった。


『手を』


 左右位大きくぶれる視界の中、必死に手を伸ばすが、なかなか距離が縮まらない。

 別の流れで分断されれば、燐火から力を供給されている渚の変身は解除され、一瞬で圧死、もしくは窒息死だ。

 その危機に加えて、恐らく天井側。うごめく巨大な何かが迫っているのが感覚で分かった。


『お姉ちゃんっ!』


 燐火との距離が徐々に詰まる。

 先に一紀を手繰り寄せられたのは幸運だった。おかげで自分の上半身だけに集中できる。


『よしっ、掴んだ!』

『ないすー、キャッチ』

『ありがとう。一紀のおかげだよ』

『それより、上のあれが超不味いかも』


 一紀の言う通り、悠長に構えている暇は無い。

 肉眼でも確認出来る距離まで極彩色の壁が迫っていたのだ。


『あれで潰されたら、痛いと思う前に死ねそうだね。……死ぬ気なんてないけど』


 一紀のおかげで流れの中でも多少は動けそうだ。

 合流した燐火はすぐさまサポートに回って剣を振るい、進行方向の細かな障害物を砕く。


『どうしよう、逃げる所ないよ!』

『私が、アレを砕く』

『おぉー、出来るの?』

『出来なくても恨まないでね。ちょっと泳ぎ辛くなるけど我慢して』

 新しいハンマーを生成し、強く両手で握り込む。

 水圧と敵の体重分のエネルギーを一撃で押し返さなければ、みんな仲良く魚の餌だ。

 上手くタイミングを合わせられるだろうか? ……いや、やるしかない。


 ――バンッ。


 海水全体を震わせる轟音と共に、迫る壁がさらに加速。

 圧縮される海水の凄まじい圧力が体を軋ませる。


『爆発で上乗せね。予想の範囲内』

『お姉ちゃん、大丈夫?』

『当然。誰だと思ってるの』


 意識を集中、全身全霊をこの一撃に集約させる。


『力を貸して。腕が砕けてもぶち割ってやる!』

『うんっ!』

『いつでもどーぞ』

『行くよ。てらぁああああああ!』


 全力で振りぬいたハンマーを迫りくる壁に向かって振りぬく。

 そして接触の瞬間に能力を全開放。眩い輝きがハンマーを中心に壁へと伝播する。

 一瞬、全ての物が制止したように感じた。

 水のうねりも、敵も、何もかも。

 後に残ったのは、確かな手応え。

 視界一杯の天井が僅かに持ち上がり、打撃点を中心にして白い粉へと変化、一部は海面へと吹き上がっていく。


『やっ……』


 言い終わるよりも先に、三人は大轟音と大量の白い砂に飲まれた。



   ◆◆◆



「今回はベッドが空いててよかったわ」


 病室で麻耶まやと対面する。彼女の表情には少し余裕が戻っていた。

 声が少し遠い。あの衝撃で少し鼓膜をやられただろうか。


「あんまり嬉しそうに聞こえないけど」

「そりゃね。診断の結果は右腕の骨折が三か所」 

「その程度で守れた命があるなら、安いよ」

「英雄ね。皆の命を救った。ありがとう」


 渚の左腕には仰々しいギプスが巻かれ、右腕は今も痺れが残っている。

 折れた部分は既に手術で固定用のボルトが入っている。もう少しすれば多少動かせるようになるだろう。

 アルカンシエル渾身こんしんのボディープレスに風穴を開けた後。

 内部で逃げ場を失った海水と莫大な銀粉は、くじらの潮吹きよろしく海面に押し出された。

 飲み込まれていた魔法師、魔法少女も巻き込んで。

 おかげで救助を待たずして全隊員が海上に帰還出来た訳だが……。


「燐火と一紀は?」

「まだ昏睡してる。あの至近距離でインパクトを受けたんでしょ? あの二人には負荷が大きすぎたのね」


 何キロの水圧がかかったのだろう。

 元々の防御力が高い渚と違い、二人は攻撃と速度特化型で防御面が弱い。

 一紀の防御の低さはあのコスチュームを見れば明らかだった。


「もっと他の方法で止められたら」

「渚の行動は最善だった。あの一撃で十六人を救ったのよ。想像の遥か上を行く戦果だわ」


 燐火と一紀は集中治療室に隔離かくりされている。渚はぼんやりとその方角を見た。


「あの二人が居なかったら、タイミングを合わせられなかった」

「そうでしょうね。モヤモヤが残るのは分かるけど、じきに目を覚ますわよ。それこそ、貴方の腕が完治するまでにはね」

 最悪の状況を考えても何も始まらない。今は振り返るよりも前に進まなくては。


「今回の戦果で、上を説き伏せてやるわ」

「私はお役御免やくごめんって事?」

「そう言いたいけど、まだ続けて頂戴」

「そんな事だろうと思った。けど、この腕だと当面動けないし、燐火が居ないと変身も――」

「緊急措置として別の魔法少女を付けるわ」


 麻耶はこういう時の準備と根回しが本当に上手い。

 彼女が「入って」と扉の方へ声をかけると、神妙な面持ちの詩織が病室に入って来た。

 前言撤回。最悪の人選だ。


「こればっかりは笑えない」

「君の正体を知っていて、尚且つ高い水準で力も供給出来る。他の適任は居ないわ」

「接近の私と相性が悪すぎる」

「戦闘に出るって決まったわけじゃない。燐火が目覚めるまでの限定。フリーの状態にはしておけないの。それに、腕の骨折も――」

「銀糸の効果で治癒のスピードを上げるって言いたいんでしょ」


 渚が詩織の顔を見ると、彼女は少しおくしたような表情で視線を逸らした。

 その所作を見れば分かる。詩織の完全同意の元に話が進んだ訳ではない事を。


「成果を出したら見返りをくれる約束だったよね?」

「ええ、そうね」

「なら、相手の変更をお願い。候補は三人いたんでしょ? 素性を知ってるとかどうでもいい。もう一人に変えて」

「それは出来ないわ」

「どうして。毎回、麻耶さんはそうやって――」

「無理なのよ。最後の候補は昏睡している矢所一紀やどころ いつきだから」

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