第29話 闇に潜む罠
敵から二キロ離れた地点でヘリから海に入水したのが一時間。
『そろそろ、到達するよー』
真っ暗な海水の中、四人は着実に敵の巨体に近づいていた。
四人の服装は普段と違う。
纏う衣装は潜水と隠密に特化した艶消しの黒に塗り固められ、普段露出している顔等の部分は薄黒い半透明のベールで覆われている。
水中用の専用追加装備として、背中に酸素ボンベを二つ。
まるで喪服のようだ。
この衣装替えの影響で、武器のストックが一つ減っている。
『百五十メートル地点』
『作戦行動まで十七分。
こんな海底で長距離の通信が出来る筈もないので、他のチームの状況は分からない。
仮に出来たとしても、アルカンシエルに勘付かれる可能性がある。
意思疎通に使用しているのは、六メートル範囲限定の超微弱通信だ。
『予定通り、
『お願い』
『よろしくぅ』
『わかりました』
詩織は一人、泳ぐのを止めて静かに海底に降り立つ。
この距離から援護射撃が可能なポイントを吟味した後、作戦中初となる武器生成を行い、狙撃の態勢に入る。
僅かに舞い上がる砂塵が、きらきらと星のように瞬いた。
『
『わかった。私達は作戦五分前に前進。……予測より大きい。注意していこう』
『少しずつ、風船みたいに膨張してるらしいね』
不気味な静寂の中、時計を確認して合図を送る。
『ここからは接触振動による通信に切り替えるよ。詩織、後は自己判断で動いて』
『わかりました。お気をつけて』
気配を殺しながら腕二つ分の距離まで近づき、予定の時間を待つ。
攻撃開始まであと三分。
『大きいね。こんなに大きいのは初めて見たよ』
一紀の声にも、少し緊張が混じっている。
『大きさの割に大人しい。このまま待つよ』
敵はまだ此方の存在に気づいていない。
本来は色鮮やかな虹色の外皮も、漆黒の中ではその色合いを鈍らせている。
司令部の読み通り、海面に近い上部に比べて下部は外敵を察知する機能が劣っているようだ。
流石に触れれば気付かれるだろうが。
酸素残量にも余裕がある。
『予定通り、一発目は自分が。効果が薄い場合は一紀が追撃して交互に連撃。但し、一撃目で全くダメージが確認できない場合と、即時の反撃をしてきた場合は――』
『自分の安全を最優先して離脱、でいいんだよね?』
手のジェスチャーで肯定を現す。
これだけ接近して、そもそも逃げられるのか疑問ではあるが。
――それにしても、拍子抜け。
徐々に膨張しているとは聞いているが、目の前の巨大な塊に特筆した変化はない。
表面の形状も変わらず、虹色の光もゆったりと流れている。まるで貝柄の内側のようだ。
思えば、こんなにまじまじとアルカンシエルの表面を見たことは無かった。
これが脅威でさえなければ、幻想的な光景に心奪われていたかもしれない。
『攻撃開始まで十秒。やるよ』
一歩前に出つつ、武器のグリップを握るように右手を引き、左手は腰に構える。
武器生成は敵の察知を警戒し、攻撃直前に展開する算段だ。
『七、六……』
呼吸を合わせようとして、しかし妙な胸騒ぎが集中を乱す。
実体のない違和感。
『五、四、三……』
『なんだかぁ、嫌な感じ』
一紀も何かを感じ取ったのだろう。だが、もう止められない。
仮に渚達が攻撃しなくとも、他の地点では予定通り攻撃が実行される。
『二』
右手を黒いカフスに軽くタップ。瞬時にハンマーを形成しつつ振りぬく。
『一ッ!』
水中故に本来のスピードの二分の一も出ていないが、到達速度は問題ではない。
敵に届きさえすれば、後はそれを起点に高出力のダメージを叩き込――、
『なっ!?』
力を籠めると同時に、敵の表皮があっさりと陥没した。
中身が空っぽの卵の殻が潰れるように。
『罠! 全員、逃げ……』
敵の表面が砕けた瞬間、三人は海水ごと猛烈な勢いで内部に引きずり込まれた。
◆◆◆
「全隊員の反応消失!」
モニターには、不気味な沈黙を守る東京湾が映し出されていた。
海上に変化はないが、その直下ではただならぬ事態が進行している。
全員が固まる中、
「全地域に津波警報発令。地上にいる全隊員に連絡、警戒レベルをデルタに移行!」
「りょっ、了解!」
皆の顔が青ざめているのが分かる。デルタは最悪の状況を指す。
きつく唇を噛む。
取り
少なくとも、作戦開始地点に到着するまでは予定通りに進んでいた。
しかし攻撃開始と同時にほぼ全員の信号が敵の中心へと移動。それから一秒足らずで全ての信号が途絶えた。
「状況は!?」
「いまだ不明です。応答、回復せず!」
「電波の出力を最大まで戻して、呼びかけを続けて。誰か一人でも――」
更に八秒後、海上に巨大な水柱が上がった。
「……なに、今の」
「すぐに解析します」
爆発の直前には大量の気泡の浮上が確認されているが、因果関係は不明。
今、手元にある情報はそれだけだ。
「生体反応一件復旧。浜野詩織です。位置は作戦地点から後方一キロ、水深三百メートル地点」
「随分流されてるわね。すぐに救助を向かわせて。状態は?」
「意識はあるようです。現在浮上中。あと五秒で繋げます」
麻耶はインカムを力任せに手繰り寄せ、頬に押し当てる。
「詩織、大丈夫!?」
「はい、局長。私だけが……、みんな引っ張られて」
「引っ張られた? 敵に?」
「違う、と思います。攻撃した瞬間、海水が凄い勢いで敵の中に流れ込んで。敵の中が多分、空っぽで」
「空っぽ?」
納得すると同時に、麻耶は握り拳を力いっぱいテーブルに叩きつけた。
「やられた……ッ」
敵の膨張は爆発の予兆ではなく、内部に空気を溜める動作だったのだ。
一体、何の為に?
決まっている。攻撃を仕掛けてくる敵を引き摺り込む為に。
「アレの狙いは、最初から私達だった」
思えば、近々のアルカンシエルは民間人よりも魔法師、魔法少女を優先して狙っていた。
基地襲撃では詩織に攻撃を集中し、救助に入った渚と燐火を
より多くの人間を殺すのなら、渚達を無視した方が沢山の人を殺せた筈だ。
他の箇所も同様。攻撃を加えた民間の魔法師、魔法少女が主な重軽傷者だ。
まだ状況を飲み込めない者達の顔には不安と疑問が張り付き、麻耶の説明を求めていた。
「敵上部の触手は私達が直上から攻撃しないようにする為のけん制。敵は体の中を空洞にして風船のように空気を溜めてたのよ」
「……でも、どうやって?」
「海面から出した触手からよ。外殻をわざと薄くして、攻撃を受けて割れれば後は水圧が勝手に敵を懐に流し込んでくれる。獲物を引き摺り込んだらタイミングを見て、内部に衝撃が向かうように自爆するだけ」
普通なら、海面はドーム型に膨れるように爆発した筈だ。
しかし今回は一点で巨大な水柱が上がった。
爆発のエネルギーが内側へ最大の威力を発揮するように調整されていたに違いない。
「十七人」
足が崩れそうになるのを、麻耶は辛うじて堪える。
この国を守る貴重な戦力、それも今回は全国から優秀な人材を招集した。
大打撃、なんて生易しいものではない。
今後の防衛を考えれば人的資産の半分を失ったに等しい。
「直ちに救助隊を編成。待機部隊を総動員して。津波は?」
「あと二秒で到達。予想の三十%の規模です」
「了解。災害予想図を更新、各種警報を切り替え。小型の敵が着岸する可能性が高い。気を付けて」
「
「何?」
オペレーターの呼びかけにモニターを見直した彼女の目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。
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