第27話 一難去ってまた一難

 目が覚めると、そこはなぎさ自身の部屋だった。

 あれは悪い夢だったのかと思いたかったが、腕に繋がれた点滴がそれを端から否定する。

 体が鉛のように重い。血を流し過ぎたせいだ、と考えられる程度には冷静だった。


「はぁ……」


 ため息。

 こうして無事という事は、矢所一紀やどころ いつきは本当にあの窮地きゅうちを乗り切った訳だ。

 また命の恩人が増えてしまったな、と思う。

 今、外はどんな状況なのか。

 壁の時計は六時四十一分を示しているが、カーテンが引かれているので午前か午後かもわからない。

 周囲は異様な静けさに包まれていた。

 時間をかけて体を起こす。

 体にかけられていた毛布がずり落ち、手術着のような薄手の緑の服を着せられていることに気付いた。


「病室は、って事かな」


 あるいは、先のアルカンシエルの攻撃で主要設備に大きなダメージを受けたか。

 ゆっくりと全身の状態を確認する。

 右足が動かすたびに鋭く傷むが、動かせない部位は無かった。

 安堵すると同時に腹が鳴る。

 空腹感はあるのに、同時に吐き気にも似た不快感が鳩尾のあたりに居座っていた。

 右足を庇いながらベッドから降りてベランダへ。

 窓を開けると、薄っすらとした闇が空をっていた。淡い朱色の光は東の方角。

 どうやら朝のようだ。

 ベランダから施設を見下ろすと、大まかな被害の状況が知れた。


「随分と酷い」


 被害は施設の五分の二の範囲に及んでいた。

 何台ものクレーン車やダンプ等の作業車が其々の施設に寄り添うように停車し、職員や作業員らが復旧の準備に走り回っている。

 崩壊した施設は見受けられないが、広範囲で大規模な補修が必要なのは間違いない。


燐花りんかは……」


 自分がこうして助かったからと言って、燐花や詩織しおりが無事だったとは限らない。

 部屋同士を繋ぐ扉へ向かいノックする。

 一度目は無反応。二度目のノックでようやく、何かが動くような微かな音が聞こえた。

 そして、カチリと扉の鍵が解除される。

 渚も自分側のカギを外して扉を開く。


「よかった」「よかったよぉ!」


 同時に安堵の言葉が漏れた。

 燐花は健康そのもので、渚の姿を見るや目に大粒の涙を浮かべて泣き始めてしまった。

 その頭を優しく撫でながら「ありがとう。心配かけてごめん」と語りかける。


「本当? 痛いところは?」

「右足が少し。燐花は?」

「私は全然ッ大丈夫。あっ、詩織ちゃんも!」

「私はどのくらい眠ってたかわかる?」

「うん。昨日の夕方からずっとだよ」

「という事は、半日ぐらいか」

「あの後、みんな大変で、敵がまだ沢山で、一生懸命みんな戦って、建物もいろいろ壊れちゃったり、水がバーッてなったり、電気が繋がらなくて、それで」

「落ち着いて。大丈夫、詳しい話は麻耶さんに聞くから」


 燐花も何から話していいのかわからないのだろう。当然だ。

 昨日は本当にたくさんの事があり過ぎた。

 燐花の言う通りなら、本部がある程度の機能を取り戻すのには早くても半日。

 それまで麻耶と話す時間は取れそうもない。

 今はただ、次の指示に備えて待つことしか出来ないという事だ。


「起こしてごめんね。私ももう少し眠るから、燐花もゆっくり休んで」


 彼女は肉体的にも精神的にもかなり疲弊している筈だ。

 それこそ、こんな襲撃に慣れ過ぎている渚よりもずっと。

 きっと不安や恐怖でなかなか寝付けなかったのだろう。

 彼女の目の下にはうっすらと隈が出来ていた。


「いっ、一緒に寝ちゃダメかな?」

「それは……だけどベッド、狭いよ?」

「いいの。そうしないと、お姉ちゃんがどこか行っちゃいそうだし」


 遠まわしに昨日の行動を非難されていると感じた。

 燐花にしてみれば、すぐ傍で戦っている筈のパートナーが離れた場所で血塗れで意識を失って倒れたのだ。

 裏切られた、嘘をつかれた、と感じて当然だ。


「わかった。一緒にいる」


 燐花は涙を拭って笑顔を作り、パタパタと足音を立てて自分の部屋から枕を抱えて戻ってくると、我先にとベッドの壁側へと潜り込んだ。


「あったかい。お姉ちゃんの匂いがする」

「ベッドから落とさないでね」

「うん。絶対落とさないよ」


 燐花に背を向ける形でベッドに潜り込むと、燐花がギュッと両手で私の服を掴んだ。


「そういう意味じゃ――」


 振り向いた時には既に、天使のような寝顔がそこにあった。


「よっぽど疲れてたんだね。ごめんね、心配かけて」


 ようやく緊張から解放され、心から安心できたのだろう。

 燐火の頭を一度撫で、その表情を壊さないように渚も出来る限りベッドの端で体を丸め、ゆっくりと目を閉じた。



 ◆◆◆



「貴方たちが無事でよかったわ」


 夕方になってようやく、渚達は局長室にお呼びがかかった。

 二人の無事を喜ぶ麻耶まやの表情は、メイクが所々崩れてひどく老け込んでしまったように見える。

 普段は羽織っているだけのコートだが、今日はしっかりと着込んでいた。

 正装を必要とする相手と会わなくてはならないほどの事態が起こったのだと再確認する。


「単刀直入に言うわ。ここ三年以内で最大の被害が出た」

「そう……でしょうね」

「民間の負傷者は現時点で八十七人。魔法師、魔法少女の被害は七人」

「私達を含めて?」

「ええ。そういう意味では、少ないと感じるかもしれないわね」


 実際にその通りだったので、渚は静かに頷く。

 傍に立つ燐花に至っては、安堵ため息を零したほどだ。


「安心している所で悪いけど、民間で五十人以上の被害は二年五か月ぶり。その時は五十一名だったから『最悪』の被害。構造物の破損、崩壊に至っては確認だけで数週間。被害さえ把握できて復旧さえ始まれば後は早いんだけど」

「引っかかる言い方」

「複数に分裂したアルカンシエル、それを全部排除できたかどうかの確認ができないのよ」


 大型や中型なら、その形状が崩壊するのを複数の人間が目視で判断できる。

 しかし今回は基地周辺だけでも、あれだけの量の小型個体がばら撒かれた。

 輪をかけて悪いことに敵の出現ポイントは四か所。


「他の所でもやっぱり……」

「幸い、ここが最初の爆発例だったから墨田区は爆発を最小限に抑えられた。でも、大田区の方はダメだった。海に沈んだ奴は下手に手が出せないから処理方法を絶賛模索中」

「同時に四体だと、そうなる、よね」

「自分で言うのも変な話だけど、指示は完璧だったし隊員達もベストの仕事をしてくれた。本当なら、もっと被害を抑えられた筈なのよ」

「下手を打ったのは、民間?」

「共有回線で情報は流したんだけど、馬の耳に念仏」


 奴らにとって、アルカンシエルは金のなる木だ。

 特大の獲物を前に『待て』と言われて素直に待つ奴はそう居ない。


「民間の負傷者数、その殆どが銀糸狙いのハイエナよ」


 欲を出した者ほど、至近距離で敵の散弾を受けたというわけだ。


「いい気味、なんて言うつもりはないけど。アルカンシエルと戦える人間でも組織に属していない彼らが死傷すれば、それは民間の被害者にカウントされる」

「また例のお偉いさんが煩い?」

「その通り。馬鹿さえ居なければ被害は五分の一以下に出来たのに」


 いよいよ我慢の限界が来たか、麻耶は握り拳をデスクに振り下ろす。

 ダンッ、と大きな音が響き、燐花が驚いて肩を跳ね上げた。


「ごめんなさい。それで、少し……随分と状況はよくない」

「態度で分かる」


 麻耶は収まらない憤りを紛らわすように、薬煙草に火をつける。


「陸の敵は粗方掃討が完了したけど、問題は東京湾の海底に落ちたデカブツ。あれがいる限り、海に面する地区の避難勧告が解けない」

「上陸の可能性が?」

「それもあるけど。万が一、海の中でここと同じ規模の爆発をしたらどうなると思う?」


 不味いに決まっている。

 巨大な高波が湾岸部を直撃し、波に乗って大量の小型が湾岸全域に上陸するだろう。


「早急に排除しなきゃならないのに、今のところ相手は出現地点から動こうとしない」

「こっちみたいに自由に動けない可能性は?」

「他の出現地点の報告を総合すると可能性は高い。でも今は動けない理由なんてどうでもいい」

「まさか、水中に居る状態で倒すつもりじゃ」

「その、まさかよ」


 今までのアルカンシエルは建物を破壊する為に陸地に転送され、仮に海に出現した場合も本土への上陸を果たしてきた。

 だが今回の敵は違う。


「攻撃されなければ爆発しないって確証が得られるなら、放置でもいいんでしょうけど」


 一定時間攻撃を受けずとも、爆発を起こす可能性は高い。


「海の中……」

「水深三百から四百メートルの地点。と言っても、本体が馬鹿みたいに大きいから、水面に最も近い場所なら六十メートル」

「どっちにしても、普通の装備じゃ戦えないか」

「敵は少しずつ膨張していて、海面から無数の触手に似た物を伸ばしてる」

「何のために?」

「海上の状況を探る為、と言うのが識者の見解」

「爆発されないように触手の索敵を避けて接近して、倒さなきゃならない?」

「最高の難題でしょ?」


 水中での戦いを経験した魔法師、魔法少女は多くない。

 普段はどれだけ時間が掛かろうと、街を壊す為に勝手に上陸してくれるからだ。


「私達に話すって事は、そういう事なんでしょ?」

「ええ。地上の小型を殲滅せんめつ出来たかどうかも不確定な今――」

「討伐に出したメンバーを戻す訳にもいかないって事ね」

「出来る限り、水中でも有効な能力を持った多く集めるようにするけど」

「私は他の人に姿見られると不味いって言ってなかった?」

「水中用の特殊装備を全員に支給する。複数のチームで多面的に攻撃を仕掛けるから、他のチームと接触する可能性も低いし海中なら視界も悪い。何とか誤魔化せるって上の判断ね」


 希望的観測だな、と思うが文句を言っているような状況でもない。


「私達を地上の討伐に回すのは?」

「それこそ、あの戦闘服で街を練り歩く事になるのよ。リスクが段違い」

「小型の相手なら燐花が適任なんだけどなぁ」


 逆に、水中戦となれば燐火の最大の強みであるスピードは殆ど効果を失う。

 そんな心配に気付いた彼女が、渚の服の袖を引いた。


「大丈夫。私、泳ぐのは得意だから」

「決行は明後日。場合によっては前倒しになる可能性もある」

「病み上がりなのに人使い荒いなぁ」

「ごめんなさい」

「いいよ、分かった。準備する」

「本当にごめんなさい」

「昔から麻耶さんの無理難題には慣れてる。ただ……」

「ただ?」

「成功報酬はたっぷり貰うから覚悟してね」


 麻耶は目をまたたかせ、次には満面の笑みで「勿論」と頷いた。

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