第26話 視界ゼロの中で

「がっ……」


 息が詰まるが、意識と思考、そしてハンマーだけは手放さない。

 遅れて爆風に乗って来た第二波、三波の瓦礫群がれきぐんせまっていたからだ。

 そこからはなぎさ燐花りんか無我夢中むがむちゅうだった。


 避け、砕き、潜り、避け、避け――、


 考えていては間に合わない。感覚だけで、降り注ぐ瓦礫を砕き続ける。

 当然、すべてはさばききれない。

 細かな瓦礫が幾つも体を直撃し、それが数十と積み重なって徐々に戦闘衣装を削っていく。

 やがて捌いた瓦礫の数が六十を超え、身に降り注いだ小径の瓦礫が二百を超えた頃。

 ようやく、嵐は収まった。

 収まりはしたが、巻き上がった粉塵が視界を閉ざす。


詩織しおりさん、生きてる?」

「はい。おかげさまで」

「よかった。それにしてもすごい威力だね。もっと早く撃ってくれればよかったのに」

「敵を倒せる確信がなかったし」

「そっか。おーい、燐花の方は無事?」

「何とか。口の中がジャリジャリしゅる」


 ホッと一息。


「元気そうで何より。けど、この視界じゃ下手に動けないね。収まるまでどれだけ時間が掛かるか……」

「今そっちに行くね?」

「気を付けて。足場が悪いから崩れるかも――」


 微かな気配。咄嗟にハンマーで真正面の空間を薙ぎ払う。


 ――ギィン。


 飛び込んできた敵と、振りぬいたハンマーが激しい火花を散らした。


「ッ、あれでも死なないの!?」


 力を込めて殻を打ち抜く。

 敵は大きく吹き飛んだが、手ごたえは浅い。

 悪いことに、吹き飛ばした影響で敵を見失ってしまった。


仕留しとそこねた。燐花! その場から動かないで! まだ敵が残ってる。ストックは?」

「残り一本。身を守るだけなら多分、大丈夫!」

「わかった。こっちもまだ大丈夫。自分の身を守る事だけに集中して! 無理に敵を倒そうとしなくていい。援軍が来るまで耐えれば私達の勝ちだから」

「了解」

「……本当は、そんな余裕もないけどさ」


 手にしたハンマーの先が大きく欠けていた。

 そろそろ限界が来る。残った敵はさほど多くない筈。

 気配は感じ取れる範囲で四体。


「燐花なら倒せると思います、けど」

「意外に燐花を評価してるのね。でもダメ」

「どうして? この状況なら、燐花に頼るのがベストだと思います」

「こんな視界と足場じゃ、本来の力は出せない」


 そう断言するのには訳がある。昨日、今日の訓練で気付いてしまったのだ。

 燐花のスピードは人間の反応処理限界を超えている。


「正直、この状況で燐花を戦わせたくない。逆に加勢かせいに行きたいぐらい」


 しかし、彼女はそのスピードをもて余すことなく振るっている。

 普通ならば、銀糸の力で思考を強化していると考える。

 事実、渚も最初はそう思った。だが違った。

 彼女を支えているのは類稀たぐいまれなる洞察力どうさつりょく空間把握力くうかんはあくりょくだ。

 一手行動する度に思考するのではなく、『次に相手はこう動くだろう』と数手先までを瞬時に予測し、『なら私はこう動く』と行動を先置きしている。それも無自覚に。

 訓練の際、圧倒的なスピード差があるにも関わらず渚が彼女の攻撃をさばけたのは、その癖を逆手に取ったからだ。

 簡単なミスリード。燐花に『次に私はこう動く』とにせの挙動を見せつけることで、彼女の次の一手をコントロールする。

 次に来る攻撃が分かっていれば、対応できるという寸法だった。

 勿論、燐花のやり方が悪いと言っている訳ではない。

 そんな芸当、息を吸うように実践出来る人間は一握りもいないだろう。

 唯一無二の才能だが弱点もある。それが、今のような視界不良の状態だ。


「……わかりました」


 詩織は年齢不相応としふそうおうの悟ったような表情で静かに頷いた。


「ごめんね。守れないかもしれない」

「覚悟はしてます」

「小学六年生とは思えない覚悟だね」

「私、早生まれですから」

「なにそれ。でも、頼もしい」


 詩織は自分の命を犠牲にしても守る。

 気配が動くが、渚はその場から一歩も動かない。

 闇雲にハンマーを振るって逃げ回ろうものなら、即ゲームセットだ。

 渚達は視覚情報に依存しているが、敵は空気の振動もしくは音も検知している。

 燐花の無事を確認する声を捕捉して攻撃を仕掛けてきたのが証拠だ。

 気配が徐々に迫ってくるが、まだ動かない。

 煙の向こうに影が見えたと思った瞬間には、敵の右腕の殻が目の前に迫っていた。

 一歩左足を引き、身を屈めながら腰に捻りを効かせて回避。

 風切り音が、右頬と肩を掠める

 その回転を生かして右足を大きく空に振り上げ、敵の突き出された右腕を蹴り上げる。


「がら空きッ」


 殻に覆われていない虹色の光沢がまぶしい胴体に、ハンマーを叩き込む。

 殻の内側へ的確に攻撃を入れる。

 確かな手ごたえと共に、敵の胴体は真っ二つに千切れて吹き飛んだ。

 まずは一匹。

 次の敵は――、と視線を流した瞬間、急に体が鉛のように重くなり無様に膝をつく。


「魔法が解けた……」


 見れば纏っていた衣装が解除されていた。

 膝をついたのは詩織を抱えきれなくなったせいだ。


「どうしましょう、朝宮さん」

「静かに。私が囮になって敵を引き付ける。効果があるかはわからないけど」

「でもっ」

「こう見えても、フットワークは軽いほうなの。あと、死んだふりが上手い」


 場を和ませるためのジョークのつもりだったが、少しブラックユーモアが過ぎたかもしれない。

 彼女の表情は緩むどころか逆に固まってしまった。

 だがそれはチャンスでもあった。

 彼女が正常な思考を取り戻す前に、置き去りにして煙の中へと走り出す。

 案の定、詩織は追い縋る事に失敗した。

 これでいい。詩織が狙われる確率は低くなる。

 劣悪な足場を、視界ほぼゼロで走るのは非常に勇気が必要だった。

 敵に襲われるより、瓦礫に足を取られてむき出しの鉄骨で串刺しになる方が先かもしれない。

 ゴトリ、と右方向およそ三十、四十メートル付近に物音。


「こっちだよ!」


 声を張り上げると同時に、同じ時点から再び瓦礫が崩れる音が響く。

 敵は完全に自分を目標にした、という確かな手ごたえがあった。

 走るのをやめ、体を隠せる大きさの瓦礫の影に飛び込む。

 影に入った瞬間、意識が一瞬途切れた。

 ――何が起こったんだろう? と意識が戻った時には、額が血でべったりと濡れ、体は瓦礫から大きく離れた位置まで吹き飛んでいた。

 正確には、瓦礫があった場所からだ。

 砂埃が濃さを増し、血糊を灰色に塗り替える。


「ぅ……」


 息が上手くできない。

 身を隠していた瓦礫を粉砕されたのだと、遅まきに思考が追い付いてくる。

 指は……動く。腕も大丈夫だ。

 足は……右足がひどく傷むがまだ動く。

 出来る限り詩織達から離れないと。

 その一心だけで体を起こすが、敵はもう眼前に回り込んでいた。

 歪んだ視野の中に飛び込んで来る巨大な影。


「はっ」


 特に意味がないと分かっていても右手で固く拳を作り、化け物へ突き出す。

 互いの拳が――敵のそれが拳と言っていいのかは不明だが――衝突する、そのコンマ二秒前。

 二つの拳の間、正確には敵の攻撃に割り込んだ一陣の風があった。


「燐……花?」

「およ?」


 なぜ、燐花と見間違ったのか。

 恐らく、この状況で介入できるのは彼女だけだと思ったから。

 そしてもう一つの理由は、背丈が似ていた為だ。


「お姉さん、すごい無茶するね?」


 気だるげな表情のまま、敵の攻撃を体格の二倍はある両手を肘まで覆う巨大な籠手で受け止めていた。

 セミロングの髪は淡くオレンジ色に染まり、耳にはシンプルなデザインのヘッドフォン。

 オレンジ色を基調とした衣装だが、渚の知るどの衣装よりも挑発的なデザインで肌の露出が多い。

 防御力がありそうなのは薄手のコートとインナーに似た黒シャツ、そして膝丈のカーゴパンツのみ。

 コートには左右に三つ、計六つの大きな缶バッチが規則正しく並び、それが武器の予備カートリッジだと推測できた。

 数歩譲って遠距離型ならば納得できる軽装だが、敵を完全に抑え込んでいる状況を見る限り生粋きっすいの近距離型らしい。

 自分が助かったことの安堵より、その戦闘スタイルの危うさに対する驚きが先に来た。


「よっ……」


 受け止めていた敵を、軽い握手のような動作で地面へと叩きつける。

 見た目の軽い動きにそぐわない、『ズン』と重い地響きが起こった。

 この一撃で敵は沈黙。殻以外の部分が砂へと変わる。


 ――なに、今の。


 再び驚愕きょうがく。掴んでいたのは殻に守られた腕だった筈。

 渚のハンマーですら苦戦した相手を瓦礫に叩きつけるだけで倒した。

 否、ただの一撃の筈がない。

 叩きつける瞬間、あるいは叩きつけるまでの間に籠手で何かを行ったのだ。


「面白いものが見られるって聞いてきたんだけどぉー、本当に凄いことになってるね?」

「まさか、君が援軍?」

「私? うん、そう。小等部六年の矢所一紀やどころ いつきだよ。凄いよねぇ~、これ浜野ッチがやったんでしょ?」

「詩織の事?」

「やっぱりすごいなぁ。僕も遠距離系がよかったのに」


 そう言いつつ、新たに土煙の中から飛び込んできた敵を同じように宙で掴み、床に叩きつけて粉砕し完封する。

 まるで最初から敵が来る事が分かっていたかのように一連の動作は滑らかだった。

 小等部六年という事は燐花達の同級生。

 麻耶はよりにもよって、実戦経験が無い人間を救助に回した訳だ。


「敵もちんまいね。これなら戦いやすくていいよー」

「戦いやすい?」


 一紀は答えず、ヘッドフォン型の通信機に耳を傾ける。


「あれれ、通信が切れてる。どうしてだろ?」

「この砂埃すなぼこりには敵の死骸が大量に混じってる。不活性銀糸が撒かれてるのと同じ状態だから」

「なるほどぉ。お姉さん物知りだ。そうとわかれば燐ちゃん達を連れて、こんなところ早く出よう?」

「ちょっ、ちょっと待て!」


 無防備に歩き出そうとする一紀を、慌てて引き止める。


「敵は音に反応して襲ってくるの。下手に動くと危険だから」

「でも、静かに待ってるわけにもいかないよね?」

「それは――」

「結構辛そうに見えるよ?」


 図星だった。

 そして指摘されたことで、意識の外に押しやっていた自分の怪我の状況を再度認識してしまい、体がふらつく。

 そのまま一紀に支えられ、「ほらやっぱり」と呆れられる始末だった。


「心配しなくて大丈夫。もうそんなに残ってないし、外は上級生が頑張ってるしー。だから安心して?」

「でも私は……」


 尚も引き止めようとしたが、視線と意識が急速に下へと沈んでいく。

 一紀の「この人、面倒くさいー」という小言を最後に、渚の意識は完全に途切れた。

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