第20話 才能の使い方

「やっと調子出てきたみたいじゃない?」


 燐花りんかが訓練後のメディカルチェックで席を空けた合間を縫うように、麻耶まやがひょっこりと待合の廊下に姿を見せた。

 毎度、絶妙なタイミングで現れるので心臓に悪い。

 差し入れの紅茶ボトルを受け取って口に含むと、甘い香りが口いっぱいに広がった。


「おかげさまで。自分でも驚いてる。服を戻しただけでここまで変わると思わなかった」

「普通、自分の才能を意図的に捻じ曲げたりしないからね。こっちもいいサンプルが取れたわ」

「本音がダダ漏れ。……で、燐花は?」

「大丈夫。訓練で疲れただけよ。私が見に行ったら、もう大興奮だったわよ。お姉ちゃんは凄いって何度も何度も」

「それが鬱陶しいから、面会を切り上げて私のところに来たと?」

「失礼ね。最初から両方見に来るつもりだったわよ。でも本当に凄いわね。訓練の音、少し外にまで漏れてたって」

「本当に?」

「何事だって、事情を知らない職員から緊急連絡が来たから」

「うわっ、不味ったかな」

「気にしないで。この調子でどんどんやらかしていいから。その手の処理は私に任せなさい」

「そういう事なら、遠慮なくやらせてもらうけど」

「でっ、腕輪の調子の方はどう?」

「今のところ不具合はゼロ。魔法も安定してるし。……燐花の状態に関わらず」

「説明した通りだったでしょ? この調子なら次の出撃には――」

「正直、もう少し時間が欲しい。ダメ?」


 なぎさの真剣な表情に、麻耶も一瞬無言になる。


「ダメ」

「だよねぇ」


 予想通りの答えに、両手を空に向けてお手上げの姿勢になる。


「私の目的はこのシステムを一刻も早く、実用ラインに乗せる事。有益な結果が得られたからと言って、翌日には『はい、許可します』とはならないからね」

「その件だけど、本当に結果を急ぐなら燐花と組むのは浮田國子うきた くにこが適任だと思う」

「あら懐かしい名前。どうして彼女?」


 聞き覚えのある名前を出した為か、麻耶の声のトーンが一段階下がる。

 浮田國子とは、渚と同年齢で共に何度も戦った戦友だ。

 渚が北極攻略参加で日本を空けている間、関東圏を守った影の英雄の一人でもある。


「まずスピードなら間違いなく私よりも上。燐花には負けるだろうけど。戦闘スタイルも近い。私はどちらかといえば一撃離脱の中距離型で、燐花は手数重視の超近接型だし」

「数体の大型を一人でタコ殴りにした英雄の言葉とは思えないわね」

「茶化さないで。戦いのスタイルは國子から学んだ方が有益だし、連携も取りやすい筈よ」

「あなたの意見は御もっとも。私も同じ意見で、初期段階では彼女と組ませる案もあった。実際は大人の事情で絶賛とん挫中」

「つまり、私が結果を出せば?」

「晴れて燐花は貴方一押しのパートナーと巡り合える……かもね」


 何をするにも、まずは渚が結果を出してこのシステムの地盤を作らないといけない訳だ。


「わかった。当面は頑張らせていただきます」

「当然。でも、老婆心から一つ忠告。実践面の相性は大切だけど、同じぐらい信頼関係も大切。燐花は渚をパートナーに指名した。キミになら力を分けてもいいって決断したの。彼女の気持ちだけは忘れないであげて」

「……わかった」

「よろしい!」


 面倒な話はお終いだといわんばかりに、麻耶は手を打ち鳴らす。


「まったく、どっちも口の減らない手のかかる子達だわ」

「手が掛かる子ほど可愛い、って言うでしょ?」

「そうね。独身でその結論に至るのは釈然としないけど」

「結婚すればいいじゃない。引く手数多の癖に」

「運命の相手が見つかったらね?」

「そう言ってる間に婚期逃すよ」

「お生憎様。あと十年は余裕」

「その自信はどこから出て来るんだか……」


 この人なら本当に十年後も大丈夫そうだ、と思えるのが恐ろしい。

 しかし同時に、一生独身で終えそうな気もする。

 現状、彼女と釣り合う、お眼鏡に適う人物が存在するとは思えない。


「人生経験で私に口出しなんて百年早い。くぐった修羅場の数が違うのよ」

「自慢は結構」


 麻耶は誇らしげに腕組みをした後、思い出したように、肩で羽織ったコートからくしゃくしゃになった封筒を取り出した。


「……差し入れが多いね」

「お礼はいいわよ」

「で、何ですかこれ」

「あなたの経歴書。必要だって言ってたでしょ」


 封筒の中にはA4サイズの用紙が三枚。

 その中にはびっしりと、身に覚えのない経歴が書き連ねられていた。


「しっかりと頭に叩き込みなさい。記録の改ざんまでしてでっち上げた力作よ」

「例の作戦当時は大怪我で戦線を外れていた……なるほど。ありきたり」

「矛盾は生じないし、ありきたりな方が効くのよ。細部はうまく作文して誤魔化してね。得意でしょ?」

「おかげさまで」


 本当にこの人は抜かりがない。放任主義に見えて気配りの天才だ。

 なんだかんだと理由をつけては毎日様子も見に来てくれている。

 作戦の進捗を心配して、という部分もあるだろうが。


「捏造して早々に素性を調べてくれた、やんちゃな生徒も何人かいるし」

「その一人は浜野詩織はまの しおりだったりする?」

「あらよく分かったわね。彼女も中々の曲者よ? 隙あらば矛盾なんてすぐ突き崩してくるから。将来が楽しみ」

「そんなに評価してるなら、次期局長として育てたらどう?」

「勿論そのつもりよ?」


 うわっ、本気ですか……。


「本当は渚も候補の一人だったんだけど」

「断固拒否」

「勿体ないわね。訓練所での指導姿勢は昔の夢子そのままだったのに。口調もね」

「なっ!? 盗聴してたの?」

「高解像度の映像と音声でバッチリ。書面の報告書だけじゃ幾らでも捏造出来るからって、疑り深い爺さん達に信じて貰えないし」

「毎度毎度、捏造してるから信用されないんじゃないの?」

「うーん、否定はしないわ」


 一片も恥じることなく堂々と言い切る麻耶である。


「私の事なんてどうでもいいのよ。明日もこの調子で頑張ってね」

「褒められると逆に気持ち悪いな」


 喜ぶより先に警戒してしまうが、麻耶は飄々ひょうひょうと続ける。


「本心よ。正直、燐花を相手に一対一の組手とか馬鹿だと思ったもの」

「酷い」

「燐花の速さは、私の知る限りでも三本の指に入る。現役ならぶっちぎりのトップ。あんなの普通は避けられない」

「実際、避けれてない。受け流してただけだし」

「どうしてあの速さで突っ込んでこられて捌けるの? 反応できる速さじゃないし、彼女の攻撃がワンパターンってわけでもないのに」

「それ、私も知りたいっ!」


 メディカルチェックが終わったのだろう。

 部屋から出てきた燐花が、パタパタと駆け寄って来た。

 今日の訓練では渚の一方的な猛攻を受けて気を落としているかと思いきや、まったくの真逆の反応だ。


「麻耶さんなら気付いてると思うけど」

「私だって万能じゃないわよ。勿体もったいぶらないで教えてくれる?」

「タネさえわかれば簡単な事だよ」


 特別、隠しておくような事でもない。

 燐花にはすぐ話をするつもりだった。


「私が現役の時、恥ずかしい話だけど自分の速さに頭と体が追い付かないことがあった。上手く言葉に出来ないけど――」

「自分に振り回される感じ?」

「そう、それ。でも燐花はその倍近いスピードで動いているのに正確かつ冷静に目標を攻撃できる。燐花ちゃん、自分で何故かわかる?」

「んー? これが普通、じゃないの?」


 思い当たる節がないと首を捻る燐花。当然だ。

 彼女は最初からそのスピードに適応していた。

 努力によってではなく才能によって。

 確かにそれは素晴らしい事なのだが、裏を返せば自分の実力を正確に理解していないという事だ。

 いずれそれが無自覚の弱点となって彼女を苦しめるかもしれない。


「燐花は――」


 本題に入ろうとしたその時、施設内の警報が鳴り始めた。

 聞き慣れた音に反射的に身構える。

 しかし、麻耶は気にしなくていいと手を横に振った。


「昨日の晩から、大型出現の予兆は感知してたから大丈夫。予測地点の旧墨田区には一級の戦力を配置してるから安心して」

『アルカンシエル出現まで三十秒』

「日数が足りなかったのがネックよね。結果を出すいい機会だったんだけど」

「これ、もう少し前もってアナウンスした方がいいんじゃない? 心臓に悪い」

「一応、非常時の対応訓練も兼ねてるから」

『予測地点、墨田区上空二百メートル地点に力場を観測。転移まで――』


 カウントダウンが始まろうというまさにその時、地面が大きく揺れた。

 一度限りの大きな縦揺れ。地震ではない。


「これ、近いよ!?」


 この衝撃を渚は知っている。

 揺れが起こった瞬間には麻耶と目が合っていた。

 彼女はすぐさま通信機を起動し、声を張り上げる。そこにいつもの余裕はなく、焦りの色が濃く滲んでいた。


「状況を――」


 それから一秒遅れて、緊急事態を知らせる別のサイレンが施設全体に上書きされた。

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