第19話 トライ&エラー

 空は闇色に染まりきり、幾つかの星が瞬いてる。

 病室にいる間、燐花りんかはじっとなぎさを待っていた。

 途中で彼女のお腹が鳴ったので、「先に食堂で食べていていい」と声をかけたが頑として立ち上がらず、結局二人で人の疎らな食堂へと向かう。

 まだ食事は遠慮したい気分だが、空腹の彼女をそのまま部屋に戻すわけにはいかない。

 それにこれ以上の心配をかけるのはよくない。無理にでも腹に何かを詰め込んで、明日の活力を蓄えるのと同時に健全ぶりをアピールしなければ。


「こんな時間に夕飯ですか?」


 よりによってこのタイミングで、浜野詩織はまの しおりと出くわすとはとことん運が悪い。

 彼女は広々とした四人掛け席の椅子に一人で腰かけ、テーブル一杯に大量の参考書を広げていた。

 宿題の資料かと何気なく覗き込んでみるが、違った。これは高等部で使う教科書だ。

「勉強熱心だね」

「魔法少女でいられる期間は長くないですよね。今のうちに基礎はすべて頭に入れておかないと、実践の時に失敗なんて許されないですから」


 暗に燐花の初陣への非難を込めて、詩織が澄ました態度で背筋を伸ばす。

 このまま聞き流すこともできたのだが、ついつい燐花のフォローを入れたくなった。


「知識が多いに越したことは無いけど、それが逆に状況判断の選択肢を狭める事だってある。敵も日々進化してるから、臨機応変に動けるよう――」

「ご忠告ありがとうございます。でも私、まだ実践に出させて頂ける年齢ではないので」

「だけど」

「なら、あなたが私を実践に出してくれるんですか?」

「……その権限は、私にはないよ」

「なら、口を出さないでほしいです。世界を救った有名人の親族か知りませんけど、凄いのは夢子ゆめこさんです。貴方じゃない」


 確かに、彼女からすれば渚はただの一般人に等しい。

 昨日今日でここに来た人間がいきなり先輩風を吹かせて上から目線の発言をすれば反発されるのは当然だった。


「詩織ちゃん、お姉ちゃんは凄いんだよ!」

「燐花、いいから。……あの件は秘密でしょ」

「何を隠しているのかは知りませんけど、燐花相手にその怪我。正直、私が選ばれなくてよかったと今は思ってます」

「なら結果オーライだね」


 一段と眼つきが厳しくなる詩織。

 その微妙な沈黙を破るように、ベストタイミングで燐花のお腹が鳴った。


「それじゃ、勉強頑張って。私達は邪魔にならないところで食べるから」

「そうしてくれると助かります」


 これ幸いと、急ぎ足で彼女から五つ離れた席を確保。

 心身ともにすり減った状態で椅子に腰かけると、自然と安堵のため息が洩れた。

 どうもあのタイプは苦手だ。彼女を見ていると昔の同僚の一人を思い出す。


「お姉ちゃん、痛いところがあるの?」

「違う、違う。少し昔のこと思い出してただけ。詩織ちゃんに似た子がいてね」

「その話、私聞きたい!」


 期待に目を輝かせる燐花。しかし、渚は乗り気ではなかった。

 何しろ、彼女はもう――。


「いいよ。少しだけなら。面白くないかもしれないけど」


 自身でも意外なことに、そんな言葉がさらりと口に出来た。

 ここを去ったあの日、思い出はすべて墓まで持って逝くと決めたのに。

 燐花には同じ轍を踏んでほしくないと考えているからだろうか。

 それとも、三年の月日が渚の心の傷を知らぬ間に塞いでしまったのか。

 ほんの少しのつもりで始めた昔語りは、二時間も続いた。



   ◆◆◆



「人目がないって言っても、流石に恥ずかしいなこれ」


 翌日の午後。渚と燐花は昨日と同じ練習場に立っていた。

 変わったことといえば、渚の衣装くらいのものだ。

 昨日の反省を踏まえて、まずは夢子の衣装を再現したのだが、この年齢で着るには見た目に少々無理がある気がする。

 流石の燐花も「だ、大丈夫だよ。ギリギリ」と頬を緩ませる。

 彼女にとっては憧れの魔法少女がようやく、自分の知る姿で目の前に立ったのだ。

 気分が高揚しない筈がない。

 羞恥心を一旦頭の隅に追いやり、改めて自分の限界値を測定し直す事にした。

 二十分後――。


「悪くない、かな」


 昨日よりかは幾分かマシな数値を叩き出す事が出来た。

 何より大きな違いは、ストック出来る武器の数が一つ増えた事だ。


「及第点、とは行かないけど」

「すごいよ!」

「ありがとう。後は、この手ごたえを失わないように服を改変しないと」


 それも、できる限り早急に。

 遅ければ遅いほど、燐火の成長の足を引っ張る事になる。


「私よりも燐火と上手くやれそうな子もいるんだけどなぁ」


 夢子として戦っていた頃には、沢山の魔法師や魔法少女と共闘した。

 その中で、燐花と気が合いそうな、そしてうまく連携を取れそうな人物の目星もある。

 記憶が正しければ、彼女は今も存命の筈だが――。


「それじゃ、今日も一対一での訓練。昨日は一方的にやられたけど、今日は負けない。手加減しないように」

「はい!」


 良い返事だが、言葉の端に迷いが見えた。

 昨日、医務室送りにしてしまった相手を前に、今日は武器を使っての戦闘。

 正直に言えば、渚も内心では気後れする部分があった。

 しかし、自分たちには時間がない。飛ばせるステップはできる限り飛ばす。

 相手が本気を出せないでいるなら、此方は全力を出させるよう立ち回るだけ。

 そういった一切合財の思考を吹き飛ばし、目の前の相手にだけ意識を集中させてやる。


「用意、スタートっ!」


 号令と同時に一直線に飛び出す。

 昨日よりも遠い、二十五メートル離れての合図だったが、一秒後にはその距離を詰めつつハンマーを生成。

 燐花の右側面を打ち抜くつもりで振り被り、射程に入ると同時に振りぬく。


 ――ギィン。


「くっ」


 甲高い金属音と燐花の短い悲鳴が重なり、彼女の体は大きく斜め後方へと宙を回転しながら吹き飛ぶ。

 しかし、有効打ではない。

 彼女はインパクトの直前、咄嗟に後方へ飛びながらクレールを生成、力の半分以上を受け流していた。


流石さすがッ!」


 渚は滞空中の彼女を追って、地面を蹴る。昨日とは圧倒的に感覚が違った。

 昨日の練習でもまだ眠っていた感覚が次第に目を覚ましていく。

 全身が、覚醒に狂喜する。

 互いの距離が二メートルと近づいた所で、燐花と目が合う。

 彼女の目は驚愕に見開かれていた。当然だ。

 動き、覚悟、何もかもが昨日とは別物。

 そして、自分より遅い相手に先手を取られたという事実。

 それは彼女に恐怖をもたらし、無策にクレールを振るという暴挙を誘発する。


「それは悪手だよ」


 渚は繰り出される斬撃を、ハンマーの柄で難なく叩き交わし、ハンマーに気を取られている燐花の無防備な背中へ回し蹴りを叩き込む。

 更に吹き飛ぶ燐花。

 だが、今度は追わなかった。

 彼女が地面にクレールを突き立てて減速し、此方を見据えるまで待った。


「どう、これで手加減しなくていいって分かった?」


 悪習、というべきか。喋り方まで昔に戻っていたが、この感覚を途切れさせないようにあえてそのまま語りかける。


「すごい……凄いよ。これが本当の力なんだね!」

「感動してる暇はないからね。燐花には、もっと強くなって貰わないと困るし」

「うんっ!」


 燐花はひざを曲げて体勢を低く保ちつつ、両手にクレールを生成して構える。


「本気で、いいんだよね?」

「くどいよ。もう一度、吹き飛ばされたい?」


 互いに笑みを湛え合い、今度は合図無しに同時に加速。

 初手で狙うは共に最短最速での一撃。


「もう攻撃を受けたりしない。だって、次は私の番だもん!」


 それから二時間以上、激しい衝突の爆音が訓練所に響き渡った。

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