第7話 苦戦と代償

 堂々とした名乗りの後、彼女は怪物に向かって正面から突進を仕掛けた。

 ――速い!

 赤色の軌跡を残し、燐花りんかは物凄い勢いで怪物の首下まで潜り込んでいた。

少し離れているなぎさですら、目で追うのがやっとの人の限界を越えた速さ。

反応が遅れたのは怪物も同じで、視線を落とした以外に身動き一つ出来ていない。


『クレール展開っ!』


 鋭い叫びと共に、燐花が服のリボンの一つに手を添える。

 するとリボンはするりと解けて銀糸へと戻り、瞬時に武器として再構成された。

 現れたのはピンクのを有する刃渡り二十センチ強の短剣『クレール』。


 ――接近戦タイプね。


 夢子ゆめこと同じ赤の衣装から予測はしていたものの、実際に見て確信すると口元が緩む。

 悠長に考察している間に、ケルマタイト特有の七色に輝く刃先が、綺麗な半円の軌跡を描いて怪物の右前脚を切り裂いていた。

 金属同士が擦れる甲高い音と、怪物の絶叫が重なった。切断された怪物の脚から、白い砂が血のように大量に吹き出す。

 怪物の慟哭に周囲の建物の強化ガラスが一斉に震え、うち数枚には大きな罅が走った。

 しかし、致命傷には到底至らない。

 切断された脚は粘土細工をねるように修復され、間髪入れず燐花を押し潰さんと振り下ろされる。


『まだまだっ!』


 燐花は冷静に攻撃を避け、地響きにも、振りおろされた脚に向かって跳躍ちょうやく

 重力を感じさせない力強い加速で怪物の足をほぼ垂直に駆け昇り、みにく咆哮ほうこうを響かせる頭部へとクレールを叩き込んだ。

 けれど、浅い。

今度は武器の方が耐えきれず悲鳴を上げ、ガラスの割れる様な音と共に刀身が半ばで折れて砕け散った。


『固い。でもっ!』


 燐花は体をひねりながら、別のリボンへと左手を滑らせる。

 たちまちリボンは新たな刃へと変わり、敵の首筋へと叩き込まれた。


「力押しすぎる。けど、凄い……」


 これが初陣? 指示が必要なんて、とんでもない。

 燐花の圧倒的な連続攻撃に渚は呼吸も忘れてしまいそうだった。

 切断された怪物の首が大量の砂を撒き散らしながら、どうっと地面に落ちる。

 凄まじい爆音が大地を揺らし、アスファルトの破片と怪物の残骸が周囲に四散する。

 相手の首を取った燐花は一旦距離を取るべく怪物の胴体を蹴り、美しいアーチを描いて渚の数メートル前方に着地した。

 インカムが無くとも肉声が届く距離。

 彼女はピースをして見せるが、表情はかんばしくない。

「あれ、すっごく固い。それに、なんだか手ごたえが変」


 圧倒的に優勢。しかし、声には些細な焦りが感じられた。


「分かってる。体躯の割に鈍感すぎる」


 三年以上前線から離れていたとはいえ、目の前の敵は記憶の中にあるどれよりも弱い。何かを自分達は見逃している。

 その読みが確信に変わる前に、切り落とされた頭部が土粘土のように形を歪ませ、のっぺりとした人型ひとがたに変化。ふらりと立ち上がったそれが深呼吸するように体を後方に逸らすと、巨大すぎる目玉が腹と頭部に一つずつゴポリとせり出した。

 目玉は数刻すうこく、居心地を確かめるように出鱈目でたらめに回転した後、ぎょろりと二人を見定める。


「気持ち悪い」

「小型に変質出来る奴か。面倒ね。まるで、目玉の化け――」

『巨大なエネルギー反応を感知!』 


 切迫した声の通信に、渚はハッと怪物の巨体を見上げる。

 人型の異形に気を取られていたが、首なしの胴体にも変化が起こっていた。

 表面を覆う極彩色マーブル模様が激しく流動し、胴体の中心に向かって引き絞られるように移動している。

 その流動の先、黒い空洞となった首の奥には虹色の輝きが収束し始めていた。


「なっ、なにアレ!?」

「不味い……」


 動きが遅かった理由を理解する。


「残ったエネルギーありったけで、一帯を吹っ飛ばす気だ」


 あの巨体は多大なエネルギーを蓄えた器で、迎撃された場合などにおいて、貯蔵している内部のエネルギーをすべて吐き出す仕組みになっていたに違いない。

 巨体は今や、莫大なエネルギーの残骸を放出する巨大な砲座と化していた。


「もしかして、かなりピンチ?」

「ピンチどころじゃない。あの巨体の質量なら地下のシェルターまで壊滅する」


 遅まきに状況を理解した燐花は顔を青ざめさせ、おろおろと取り乱す。


「どっ、どうしよう。私のせいだ」

「落ち着いて! 何とかして阻止しないと」

「でっ、でも、どうやって?」


 あの巨体から放たれる一撃の威力は計り知れない。

 受け止める事も防御する事も不可能だ。

 攻撃を阻止しようにも、下手に仕掛ければ大爆発を起こし、より大きな被害が出る可能性もある。

 阻止するのは至難しなんわざ。ならば、らす以外に手は無い。


「怪物の足。後ろ脚を潰せば、自然と軌跡きせきは上を向く筈」

「空に向かって撃たせるって事?」

「その通り。簡単には邪魔させてくれなさそうだけど」


 人型ひとがたの目玉野郎が、猛然もうぜんと突進してくる所だった。

 燐花は二つの敵を前に、未だ目標を定めあぐねている。


「砲座を潰すのが先。人型は絶対に砲座の破壊を阻止してくる」

「はっ、はい!」

「燐花の速さなら間に合う筈だから! 壊す足はどっちでもいい。出来る?」

「出来る、と思う。ううん、やる! まだ武器は三つあるし!」


 燐花は残ったリボンを手で軽く叩いて揺らし、砲座に向かって駆け出す。

 やはり小型の怪物は燐花の進路上に割って入り、拳を大きく振りかぶる。

 そして、怪物と交錯する瞬間――。


「相手にしないで、すれ違って!」

『了解っ!』


 怪物の繰り出した拳を、燐花は流れる様な半身はんみ跳躍ちょうやくで回避してみせた。

 空振りした拳は目標を見失ったまま空を切り、地面に深く突き刺さる。

 外見が縮んだとはいえ、規格外の破壊力には背筋をひやりとさせられる。

 案の定、目玉の怪物は無防備な渚に狙いを定めるでもなく、燐花だけを見据えていた。

 目が体の内に沈みこみ、背中側へと移動する。瞬時に正面と背中が入れ替わった怪物は地面から腕を引き抜いて燐花を追撃する。

 人型のスピードも、燐花に劣らず素早い。

 目玉野郎は腕をへびの様にグニャリと伸ばし、燐花の右足を絡め取る。

『うわっ……』

「切断。時間稼ぎで良い、剣を目玉に投げて!」

『……はっ、はい!』


 燐花は絡みついた怪物の手を素早く切断、ほぼノールックで剣を投擲とうてきする。

 至近距離での直撃コース。

 人型はそれが回避できないと見るや瞬時に体を膨らませ、目を背中に移動させる。

 膨張した体に突き刺さった剣は怪物の腹を削っただけだったが、動きを止めるという当初の目的は果たされた。

 怪物が短剣を引き抜いている間に、燐花は砲座の後ろ脚に狙いを定める。

 彼女を中心として、閃光の爆発が起こった。

 今度こそ彼女の姿がえ、次の瞬間には砲座の右後ろ脚にクレールを一閃する姿を捉える。莫大な量の砂が吹き出すが、未だ巨体はかしがない。

 砲座に収束している光は、充填をほぼ完了させている。


 ――お願い、間に合って!


 砲座の直線状に居る渚も、このままでは巻き込まれる。

 しかし失敗すればどのみち逃げ場はないと、燐花の挙動に全視線を集中させた。


『このおおおおおおおおおおお!』


 燐花の鋭い叫びと共に、刃が三度、宙に光の軌跡を描く。

 支柱となる足が滑らかにスライスされ、砲座が斜め後ろに傾いだ。

 それとほぼ同時に砲座の首から七色に輝くレーザーが発射される。

 ぽっかりと空いた穴を直径とするレーザー砲は、斜め後ろに聳える旧高層ビル群の一角を削り飛ばし、虚空へとその軌跡を伸ばした。

 衝撃波が激しく空気を揺らす。

 巻き起こった爆風によって渚の体は数メートル吹き飛ばされ無様に地面を転がった。

 吹き飛ばされながらも、最悪の事態は阻止できたという確信があった。

 ガードレールに背中を強打してようやく止まり、鈍痛に頬を歪めながら砲台を見上げる。

 砲座から延びる七色の光が徐々に収束。

 エネルギーを吐き尽くしたそれは、大量の白い砂となって崩れ落ちた。

 ホッとするのも束の間、燐花の姿が見えない事に気付いて慌てて周囲を見回す。


「燐花、応答して。無事?」

『う、うん平気。間一髪だったね』


 果たして敵が崩れ去った直下の地点。

 燐花が全身粉塗ぜんしんこなまみれの状態で、砂山の中から這い出して来る。軌道を変える事に必死で、降りかかる残骸を避けられなかったのだろう。


『うぅ、最悪』


 軽口を装っているが、マイク越しには疲労による深い呼吸の音が混じっていた。

 見た目以上に、高速移動は過度に疲労を蓄積するようだ。


「お疲れ様。これで――」

『お姉ちゃん、上っ!』


 そう叫んだ燐花が見上げていたのは渚の遥か頭上。

 声につられて顔を上に向け、頬を引き攣らせる。


「……嘘」


 頭上およそ十メートル、高速で落下してくる目玉の怪物と目が合う。

 よりにもよって、敵は燐火ではなく渚を狙ってきた。

 距離的に近かったので順当と言えば順当。

 回避は間に合わない。そもそも、生身の人間の反応速度で対処出来る相手では無い。

 怪物の大きな目が、獲物をき殺す喜びに輝いている、そう思った。


 ――私、死ぬんだ。……うらむからね、麻耶さん。


 怪物との距離が三メートルを切る。鮮明に、死を覚悟する。

 手に嵌めた不細工な腕輪が、じんわりと熱を持ったように感じた。

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