第6話 燐火の初陣

「ウソでしょ、よりによって今日!?」

「敵さんにとっても、今日は重要拠点を二つも破壊された敗戦記念日だからね?」


 警報と同時に街の至る所で避難場所を示す赤色灯が回り始める。

 襲撃に慣れた人々の動きは早かった。

 人々は慣れた様子で、地下設けられた避難所を目指して走り出す。

 未だ車に留まっているのは渚達なぎさたちだけだ。


「チッ、このままじゃ動けないわね」


 麻耶まやは素早く携帯で何処かに連絡を入れながら、車のナビを特殊番号へと切り替える。

 二回のコールの後、電話が繋がった。


「出るのが遅い!」

『すみません。それより相模局長、今どちらに?』

「車の中。位置情報は送ってる」

『……どうしてそんな所に。今の時間は午後の式典の準備では?』


 電話越しの女性オペレーターは坦々とした口調を心がけているが、言葉の端々には焦りと苛立ちが滲んでいた。


「そんな事はいいから。敵の情報は?」


 電話の相手の溜息と、車の液晶に敵の位置情報が表示されるのはほぼ同時だった。

 その地点を確認した渚は、思わず「近い」と口走る。

 自分達の車の場所を示す中心の赤点から、敵と思しき大きな青い点までの距離は二百メートル強。

 目視出来るかと窓を開けて身を乗り出すが、建物が邪魔で敵の姿は見えない。


『不味い状況です。出現予測から出現までのラグが一分を切っています』

「という事は小型かしら?」

『いえ、並の中型規模です。出現と同時に覚醒、南南東に進路を取っています。県を跨いで他二体の出現も確認。日本以外でも世界数十か所で特異点を確認』

「日本は全部で三体。大盤振る舞いね。県外の対応は各拠点に一任。いずれも住民の避難誘導を最優先。何が何でも敵の意識を他に引きつけて!」

『全避難経路とシェルターは解放済み。抜かりありません。既に空自が独自権限でスクランブル発進。二十二秒後に減衰ミサイルが目標に着弾予定です』

「上手く囮になる事を期待しましょう。で、こっちで迎撃に向かってるチームは?」

『巡回警備中の織部姉妹おりべしまいが最短十二分で到着できます』

「そんなに待てないわね」

『残念ながら、それが最速です』

「オッケー。丁度、燐花りんかが横に居るから彼女を出すわ」

『燐花?』


 そんなやり取りの最中、航空自衛隊の最新鋭ミサイルが車の頭上を通過し、アルカンシエルの出現方向へと向かう。 

 それを目で追おうとした渚の頭を、麻耶が鷲掴みにして下を向かせた。

 瞬間、眩い閃光と轟音が周囲一体に広がる。


「減衰ミサイルを目視しようとするバカがいる?」

「ッ、つい」


 減衰ミサイルとは、アルカンシエルの動きを僅かに鈍らせる効果を持つ、人類の数少ない対抗兵器の一つだ。


『着弾報告を確認。効果、およそ十二パーセント』

「順調に効かなくなってきてるわね。了解。さっき言った通り特例で燐花を出すわ。燐花、やれる?」

「うん、頑張る!」

『まさか箍道燐花たがみち りんかですか!? 彼女はまだ小等部で実戦訓練も――』

「最悪、足止めでも構わない。ケースは車の後ろ。存分に見せつけてあげなさい!」


 燐花は自信満々の表情で敬礼し、ドアに手をかける。

 しかし、渚も黙ってはいられない。


「出来っこない!」

「部外者の貴方にとやかく言われる筋合いはない。ほら燐花、早く」

「うん。お姉ちゃん、私行って来るね?」


 燐花が飛び出し、後部トランクを開いて彼女の身の丈ほどもある大きなトランクケースを引き摺り出した。

 ファンシーな薄ピンク色のケースには養成所のマークがでかでかと刻印されている。

 彼女はケースの上に上半身を預けると、地面を蹴り、絶妙な足さばきで建物の谷間へと消えて行く。

 渚は呆ける間もなく、麻耶に肩を強く叩かれた。


「ほらっ、追わなくていいの?」

「追う、って……」


 液晶モニターにはいつの間にか青い点が刻まれていた。

 それが燐花の所在を示すものだと即座に理解する。


「早く行かないと、あの子が一人で戦う事になるわ」

「私は無能な一般人で部外者。そっちで指示を出すのが筋でしょ」

「それは無理よ。私は車から離れられないし」


 車のスピーカーには、現在の被害状況や避難完了の知らせ等、様々な情報が垂れ流されている。

 その中に、燐花が指示を求める声も聞き取れる。


「こんなお粗末なマップを頼りに、命がけで戦う彼女に曖昧な指示を飛ばせって言いたいの?」


 彼女は本部への指示を的確にこなし、その合間を縫う様に鋭い問いを投げかける。

 迷っている間にも、青い点は刻一刻と赤い点に接近し邂逅しようとしていた。


「私に出来る事なんて無い!」

「傍にいてくれるだけで心強い、って事もある。それと、これ」


 麻耶は助手席に倒れ込むようにしてダッシュボードを開き、小さなケースを取り出した。

表面にはしっかりと特防のマークが刻印されている。


「持って行きなさい。きっと役に立つから」

「……っ、最低」


 ――結局。けれど、迷っている暇はない。

 麻耶の差し出したケースを引っ手繰り、車から飛び出して燐花の後を追う。

 地図は既に頭の中に入っている。


『そのまま、真っすぐ行ってね』


 突然の声の発信源を辿ってみると、ケースの側面にはテープで小型インカムが張りつけられていた。

 テープを毟り、剥がれ切らなかった粘着剤でべたつくのも構わず装着する。


「用意周到ね。まるで最初から狙ってたみたい」

『あらゆる事態に備えてるだけ。雑談の余裕はないわ。敵を目視する前にケースの中身を装着して』


 言われるままにケースを開くと、中には銀色の腕輪が二つ、専用の緩衝材の間に収められていた。


『両腕の手首に嵌めて』 


 見るからに怪しい代物だが、言われるままに両手に装着する。

 サイズは考慮されていないようで、走っていると手首をベチベチと打ち据えて痛い。


「着けましたよ、局長様。最高の着け心地だから商品化する事をお勧めします」

『ケースは捨てないでね。二段目に必要なものが入ってるから』


 ケースの内蓋を開くと、そこには固形化された銀色の塊が収められていた。

 その正体を、渚は知っている。

 五年前、嫌というほど身近にあったものだ。


「まさか」

『燐花がもう到着してる。急いで』

「ッ、言われなくても急いで……」


 先の言葉は喉の途中で閊えてしまった。

 進行方向の先、建物の上部から覗く怪物の背が目に入ったからだ。


「このサイズで中型?」


 周囲の建物の高さから見積もって、体高二十メートル強。

 かつて倍以上ある大型と対峙した事もあるが、数年ぶりの対面に恐怖が全身に伝播し、足の動きを鈍らせる。

 力を持たない一般人なら当然の反応だろう。

 それでも勇気を振り絞り、最短ルートで建物の間の狭い路地を走り抜ける。

 そして四つ目の角を曲がった所で遂に、敵の全容を視界に収める。


「目標を確認」


 前方、およそ八十メートルの距離に異形の怪物が屹立していた。

 トカゲの様なずんぐりとした体からは、マラカスを逆さまにしたような太く巨大な四本の手足が道路を陥没かんぼつさせ、コンクリートに無数のひびを刻んでいる。

 マーブル模様で極彩色のボディーは一見するとメルヘンチックな印象を受けるが、車も飲み込めそうな大きなあごのある頭部と、爬虫類はちゅうるいの様な切れ長の瞳が可愛らしさを根こそぎ打ち消していた。

 無理に地球上の生物で例えるなら、甲羅こうらの無い亀と言ったところか。

 全長六十メートル。怪物がたった一歩動くたびに、地面がずしんと振動する。

 その見た目の通り早く動けないのか、目立った被害は車が数台潰されている程度だ。

 幸いにして、車内に人の姿は見当たらない。周囲の人々は上手く非難出来ているようだ。

 

 とはいえ安心するのは早い。

 建物の中の避難状態までは分からない事に加え、あの重量タイプの脚が曲者だ。

 場合によっては地下の避難通路やシェルターを潰しかねない。


「あっ……!」


 怪物の正面。四十メートルほどの距離を置いて燐花の姿があった。

 トランクケースを体の前へ置き、己の体格の数十倍はあろうかという怪物にもおくさず、堂々と睨みつけている。

 その彼女が一瞬、渚の方を振り返った。

 たった一秒にも満たない視線の交錯――。

 しかし、互いの心の内を理解するには十分だった。

 燐花は渚が後を追って来る事を疑わず、到着を待っていたのだ。


『燐花、後の指示は渚から貰って。被害が出ない程度になら派手にやっちゃって構わないから! 渚も、宜しくね?』

「ちょっと、これの説明受けてないのに!?」

『察しの良い貴方ならもう解かってるでしょ。後は感覚で』


 インカム越しに、麻耶の適当な指示が叩き付けられた。

 指示は燐花にも届いていたようで、彼女は大きく頷きながら怪物に指を突き付ける。


「この街は、私達が守るんだからっ!」


 燐花は堂々と宣言し、流れる様な手さばきでトランクケースのハッチを開く。

 瞬間、ケースの内側から虹色の光がほとばしった。

 光の正体はケルマタイトメタルと呼ばれる超極細の銀の糸だ。

 ケースに収められていた数千の銀糸ぎんしが燐花の体へと吸い寄せられるように絡みつき、戦闘用の服を形成する。


『変身、完了っ!』


 時間にして一秒足らずで、彼女の姿は激変していた。

 真紅のブーツに真紅の手袋。大きなふわふわリボンがいくつもあしらわれた戦闘衣装は、正に魔法少女と呼ぶに相応しい。

 頭頂部とうちょうぶには、七色に輝くティアラ。

 髪の色も、銀糸をふんわりとはらんで幾分いくぶんか赤色に染まっていた。


『渚お姉ちゃん、見てくれてる?』


 インカムを通して、燐花の自信にあふれる声が耳を打つ。


「ちゃんと見てるよ。凄く……かっこいい」

『やった!』


 怪物への恐れは微塵みじんも感じない。戦えることへの興奮が勝っているように見えた。


特殊防衛学校とくしゅぼうえいがっこう魔法少女候補生まほうしょうじょこうほせい小等部しょうとうぶ六年、箍道燐火たがみち りんか。行きますっ!』

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