一月九日

「失礼します」


 ここに来るのは、三回目だった。普通の教室の半分ほどの大きさしかなく、部屋の中央には黒くて大きなロッカー。このロッカーのおかげで、狭い部屋がさらにもう半分、ドアの手前と奥側に仕切られている。手前側には今までの学校行事の残骸のようなオブジェがあって乱雑だ。


「どうぞ」


 前回と前々回はレン先輩が一緒にいたけれど、今日は一人だ。心臓の音が耳に痛い。返事をくれた声には、なんの含みもなかった。それでも緊張している私の心臓は、スピードを緩めることはしなかった。


 向こう側とこちら側の境になっているロッカーを越えると、中央には机が置かれて広々とした作業スペース。その一辺に、メグミ先輩とルナ先輩が座って待っていた。


「こんにちは」


「相談事って何かしら」


 メグミ先輩とルナ先輩の視線が真っすぐに私に注がれる。


 文化祭の時の強かった記憶が蘇ってくるけれど、怖気付いている場合じゃない。昨日、シズカ先輩とレン先輩に教えて貰ったことをよく思い出す。大きく深呼吸をした。


「今日はお時間作っていただいて、ありがとうございます。相談というのは、文化祭の時に作った文集のことなんですか」


 一応持ってきた文集を先輩たちの前に差し出した。


「文芸部は毎年文化祭で百冊の文集を販売しています。今年は色々なトラブルがあって、半分しか売れませんでした。少ない部員で、時間がない中、一生懸命頑張って準備したのに、売れなかったからといって、五十冊も捨てるのはもったいないなって思ったんです」


「そんなこと言ったって、どこで売るっていうの?」


 文集をパラパラとめくりながら、つまらなそうにルナ先輩が言った。


「私は今、駅前の商店街にある小熊書店でバイトをしているんですが、そこの店長さんから許可はもらっているので、売る場所はもう確保してあります」


「ふうん。それで?」


 先を促された。


「売る品物と、売る場所は決まっているんですが、勝手に売るわけにもいかないな、ってなって……。でもどうすればいいのか、先生に許可を取るのはどうやったらいいのか、先輩たちに教えてもらいたくて、来ました」


 そう言って、私はよろしくお願いしますと頭を下げた。その向こう側で、先輩たちはどんな表情をしているのだろう。迷惑に思っているだろうか。鬱陶しく思っているだろうか。面倒に思っているだろうか。ネガティブなことばかりが頭をかすめていく。


「で、部長は?」


 顔を上げると、ルナ先輩が鋭く私を見て言った。


「部長は……」


「文芸部の部長はどうしたのよ」


 攻め立ててくるルナ先輩がとても怖い。震える足に気づかないふりをして、拳を強く握りしめた。


「文化祭まではユア先輩が部長だったんですけど、突然辞めてしまったので、今はいません。次の代の部長を決めていないので……」


「はぁ? なによ、それ」


 驚きと、呆れの混ざった声。ユア先輩が辞めた理由のことを言ってるのなら、私が聞きたい。


「華谷、あの子やめたの? 本当に?」


 どうしてルナ先輩は疑っているのだろう。


「文化祭の二日目の放課後、部室に来た先輩が『辞める』って宣言して、連絡も全然返してくれなくて、それで最近まで私達文芸部は活動停止状態でした。二年生はユア先輩だけで、三年生はあとは抜けてしまうし、一年だけではどうしていいかわからなくて」


 本当のことだったけど、どこか言い訳に聞こえてしまって苦しくなった。


「だけどやっぱりこのままじゃダメだって思って、そんな時にバイト先からやってみたらって背中を押してもらったんです。三年生の先輩たちに相談して、それで、どうしたらいいか生徒会に相談してみようってことになって」


「そう……」


 ずっと黙っていたメグミ先輩がそう呟いた。


「色んなことがあるものね」


 それきり、考え込むように黙ってしまった。メグミ先輩のことを気遣うように眺めながら、ルナ先輩も黙っている。突然の沈黙の中、私の耳に聞こえているのは自分の心臓の音だけになった。


 メグミ先輩とルナ先輩は、一体何を考えているのだろう。


「……わかったわ」


 たっぷりと時間をかけて、メグミ先輩はそう言った。


 きっとそんなに時間が経っていなかったけど、私にとっては救いのように感じた。


「え、でも……!」


 即座に反応するルナ先輩。その様子だと、ルナ先輩は否定的みたいだ。


「いいじゃない。私達だって、先輩達と同じことをしていたんじゃつまらないでしょ。私達には私達のやれることがある。挑戦してみましょう」


 それでもルナ先輩は、何かを言いたそうにもじもじとしている。ハッキリと思ったことを言うルナ先輩が、そんな態度でいるのが不思議に思えた。


「あの、何か、よくないことでもあるんですか?」


 聞いたところでどうしようもないのだけれど、なんとなく聞かずにはいられなかった。


「よくないことなんてないよ。ただ、……そうね。実は、私も去年は文芸部に入っていたの」


「え!?」


 初耳だった。まさかメグミ先輩も文芸部に入っていたなんて。でも、それならどうして辞めてしまったんだろう。


「文化祭のことで、ユアとケンカになってね。私、ユアのこと信用できなくなっちゃって、それで辞めたの」


 誰が辞めたとか、わざわざ共有する情報じゃないけれど、これでまた一つ文芸部のことがわかった気がした。穴あきのパズルが一つ、埋まった。


「ずっと気にはなっていたの。だけど、素直に仲直りをする方法なんてもうわからなくなっていて、そのまま疎遠になっちゃった」


 懐かしむように、それでいてとても寂しそうに、自嘲気味にメグミ先輩は笑った。


「小熊書店ね。確かうちの学校教科書や図書室の本なんかも、そこで取り扱いをしてたはず」


 話はこれで終わりとばかりに、話題が切り替わった。


「うん、そうみたい。それなら先生たちにも伝えやすいと思うよ」


「全く知らない場所より、知っている場所の方が先生たちも安心するでしょう。まずは明日、先生に聞いてみるね。学校外での販売ができるのかどうか」


 メグミ先輩がそう言って、私を見た。


「はい、ありがとうございます!」


 私は元気よく返事をした。


 これで、多分、どうにかなる。生徒会の先輩たちは、いつもなんとかしてくれたから、きっと大丈夫。私はホッと胸を撫でおろした。


 そうして、残るはあと一人。ユア先輩だけだ。どうにかして会わなくちゃ。会って、伝えなくちゃ。私にできるかな。こんなにちっぽけなのに。


 そこまで考えて、それ以上考えることは辞めることにした。考えても仕方ない。今はただ、生徒会の先輩たちが味方してくれたことを喜ぼう。きっと先輩たちがなんとかしてくれると信じよう。


「また明日、よろしくお願いします」


 勢いよく頭を下げて、私は意気揚々と生徒会室を後にした。

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