十月二十八日 日中

「こんにちはー、文芸部です」


 看板を見えるように掲げながら、ゆっくりと歩いて行く。前を歩くレン先輩を見失わないようにしながら、昨日とは比べ物にならない活気に包まれた通路を進んでいた。断片的な会話の端々に、訪れた人々の文化祭を楽しんでいる様子が伝わって来て、私の心もわけもなくウキウキとしてくる。


 朝、部室で今日の確認を終えた後、一度解散してクラスに戻った。


「ケイ、ユカリ、ごめん。今日は部活の方に一日行きたいんだけど、大丈夫かな」


「大丈夫大丈夫! こっちのことは気にしないで部活、頑張って!」


「休憩になったら、ケイと買いに行くからね」


 ケイとユカリはそう言って、私を快く送り出してくれた。クラスの方でも昨日より大変だと言われていたのに、二人に任せてしまって申し訳ない気持ちになった。と同時に、応援して背中を押してくれたことがとても嬉しい。


 短い会話を交わした後、そそくさと部室に戻った。まだ誰も来ていなくて、会場からも遠いこの部室の中だけ別世界のように、しぃんとしていた。時々風に吹かれて聞こえてくるざわざわとした音が、なぜだか寂しさを刺激する。


 今日が終わったら、もう先輩たちと関わることも少なくなっていく。文芸部の活動はどうなるのだろう。放課後の部活にまた、みんな集まってくるのだろうか。


 静かな時間の中で考える。そうして今日の終わりに考えが巡って来て、慌てて頭から締め出した。ぶんぶんと頭を振って、考えないように―――。


「すみません、何を売っているんですか?」


 声をかけられて我に返った。中学生くらいの子が目の前に立って、看板を見つめていた。


 レン先輩に声をかけて、こちらに来てもらう。


「私たち文芸部が書いた物語を売っているんですよ。本、読むの好きですか?」


「はい、あの、いくらですか?」


「あ、一冊二百円です」


 その子はポケットから小銭を取り出して、私に差し出した。レン先輩が、一冊、その子に渡した。


「楽しみに読みます」


 そう言って、その子は私たちの前から去っていった。


「レン先輩! 一冊売れましたね! あの子、本読むの好きって言ってました」


「カレンが看板を見やすいように持ってくれたからだよ」


「や、そんなことない、と思いますけど。……お話、楽しんで読んでくれたらいいなぁ」


 初めて、一冊売れて、それも知らない人に売れて、心があったかくなった。自分が作ったお話が誰かの手に取られていくのを目の当たりにして、すごく嬉しくなった。気に入ってもらえるといいな。


 他校の人も、大人も子供も、学校中が人で溢れて、ワイワイガヤガヤと喧騒に包まれている。どのブースも人だかりができていて、店員の生徒が忙しそうにしている。通路にも、目当ての場所に行きたい人、ただなんとなくブラブラと楽しんでいる人、あちこち見ながら歩いている人、色んな人が集まって人混みを作っていた。


「『わたし』というテーマで作ったお話が収録されてます。いかがですか」


 レン先輩とまた歩きながら、私は声を上げたけれど、その声はたくさんの音にかき消されてしまった。


「この騒がしさだと、声は届かなそうだね」


「はい。でも、嬉しくて」


 私の小さな声はすぐにかき消えてしまうのだけれど、買ってくれた人がいる喜びで、体中からエネルギーが湧いてくるみたいだった。両手を伸ばして頭の上に看板を持ち上げる。段ボールに貼られた「文芸部」の文字がよく見えるように、時々向きを変えながら歩いた。


「あぁ、ここにいたのか。今年はブースを出していないんだな」


 そう言って声をかけてくれたのは、夏合宿でお世話になった白木さんだった。


「どうだい、順調かな?」


「まだ文化祭は始まったばかりですよ」


 レン先輩が笑いながら答えた。


「一冊もらおうか」


「ありがとうございます」


 文集を手渡すと、白木さんは表紙を愛しそうに撫でた。


「私も高校生の頃があったんだなぁと、懐かしく思うよ。ありがとう」


 そう言って白木さんは元気なお孫さんと人混みに消えていった。


「どうする? 午後はカレン一人で回ってみる?」


「はい。やってみたいです」


 すんなりと自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。


「売る人の人数が多い方が、お客さんに見つけてもらいやすいかなって思って」


 もごもごと言うと、レン先輩はにっこり笑った。


「カレンなら大丈夫だよ」


「あ、いたいた! カレンー!」


 ぱっと呼ばれた方を振り向くと、ケイとユカリがこちらに向かって手を振っていた。


「カレン、買いに来たよ」


「本当に来てくれたんだ」


「来るって言ったじゃない」


 二人は一冊ずつ買ってくれた。


「カレン、お昼にいっておいで。部室にまだ箱と看板と文集があるから、やってみて。自分のペースで良いし、休憩しながら、文化祭を楽しみながらでいいから」


 レン先輩に送り出されて、ケイとユカリとご飯を食べることにした。と言っても、どこも混み合っていて、手分けして買って来たたこ焼きと焼きそばとチュロスを三人で分けた。


「ねぇ、なんでチュロスなの?」


「ん? だって二人ともおかず系かなって思って、デザートもあった方がいいじゃない」


 ユカリの質問にケイがすんなりと答える。


「なんだか文化祭よりお祭りみたい」


「どっちも似たようなもんじゃない?」


「来年は夏祭りも一緒に行こうよ!」


 他愛のない話で時間が過ぎる。面白い話をしてるわけじゃないのに、楽しい気持ちが溢れて来る。文化祭という非日常感と、一緒に過ごす友達がいることの嬉しさ。


「じゃあ、そろそろ戻るね」


「うん、ありがとう」


「帰り、待ってるから。部活頑張って」


 二人は手を振って教室の方へと戻っていった。


 部室へ入ると、シズカ先輩とタケルがいた。


「お疲れ様です」


「あ、カレンちゃん。販売はどう? 順調?」


「はい。……あ、白木さんに会いましたか? お昼ご飯を食べる前に来てくれて、文集買ってくれましたよ」


「そっか~。会いたいな」


 それから、シズカ先輩の一つ上の先輩たちが来てくれたことや、文房具屋さんのおばさんが買ってくれたと教えてくれた。


「あの、これって使っても大丈夫ですか?」


 私は看板と箱を指差してシズカ先輩に言った。


「うん。午後はカレンちゃんも売り歩くの?」


「はい。手分けした方がいいかなって思って」


「え、カレン一人で歩くの?」


 びっくりしたようにタケルが私を見た。さっきまで一言も話さなかったのに。


「うん」


 返事をしてタケルを見た。真正面からタケルを見つめたのがとても久しぶりに感じた。


「そっか。……カレンはすごいな」


 ぼそりと呟いたタケルの声は、静かな部室の中では簡単に聞こえた。


「そんなことないよ。せっかく書いた物語だし、みんなで頑張って作ったし、色んな人に読んでもらいたいだけだよ」


 そうして看板と箱を身に着けて、文集を持って部室を後にした。


 ほんの十数メートルなのに、こんなに違う場所に感じる。喧騒の方へと、徐々に近づいていく。賑やかな声に、美味しそうな匂い、絶えず聞こえてくる足音やスマホのシャッター音。普段の学校からは程遠い陽気な空気が充満している。


 看板を背中に背負い、適当にゆっくりとブラブラ歩いてみる。


 なんとなく、ステージ前に出店しているブースを覗きながら歩く。さっきお昼で食べた、先輩たちが作っている焼きそばやたこ焼き、チュロス。メグミ先輩のクラスのベビーカステラも同じ並びにあった。


 ぼんやりと眺めながら歩いていたら、ステージ横まで来ていた。ステージではちょうど出し物が終わったところみたいで、煌びやかな衣装を身に纏った生徒たちがゾロゾロと下りてくる。邪魔にならないように避けて見ていたら、その中に見たことのある先輩がいた。


 ルナ先輩だった。どうやらダンス部の時間だったらしい。他の部員と楽しそうに笑って何かを話している。キラキラとした奇抜なファッションからは、どんなダンスをしていたのか想像もつかない。

ふと、ルナ先輩と目が合った。一瞬びっくりしたように私を見て、その後困ったように笑って見せた。


「由良さーん!」


 突然名前を呼ばれてキョロキョロと辺りを見渡す。


「ようやく見つけた! 探しちゃったよ~」


 そこには小熊店長、中川さん、宇留野さんが立っていた。


「え! 本当に来てくれたんですか!」


「当たり前じゃないの! 本当はもっと早く来るつもりだったんだけど、店長が店閉めるの遅くてねぇ」


「着いたらあれこれ食べたいって言って、いなくなっちゃうし。羽鳥さんのお子さんの方がおりこうさんでしたね」


「そんなふうに言わなくてもいいじゃんか……」


 うなだれる店長と、それをからかう中川さんと宇留野さん。学校なのに、バイト先の空気がここにだけあって、なんだか不思議。ミスマッチなのに、ホッとして嬉しくなる。


 文化祭の準備が本格的に始まってからはバイトを休んでいた。それに書店にお客さんとしても行っていない。それでも、こうして居場所があることになんだか泣きそうになった。


「それで、カレン一人で売ってるの?」


 尚もあれこれ話している中川さんと店長をよそに、宇留野さんが話しかけてきた。


「あっ、いや、他にも部員が歩いてます。私たちのブースは、今年はなくて、会場を歩いて売ってるんです」


「へえ、面白いこと、するんだね」


 宇留野さんが感心したように笑った。


「歩きっぱなしじゃ、疲れちゃうじゃない! ちょっと、店長それ貸してください」


 話を聞いていた中川さんが店長の手に握られていた数個のビニール袋を奪った。


「ちょ、ちょっと~」


 抗議の声を上げる店長を無視して、中川さんはガサゴソと中身を入れ替えて、ビニール袋を一つ、私に手渡した。


「はい、これ。疲れちゃうからよかったら食べて」


 袋を覗き込むと、ベビーカステラ、チュロス、キャラメルポップコーン、ワッフルなど甘い物がたくさん詰まっていた。


「え、そんな、大丈夫ですよ」


「いいからいいから!」


「あの、でも」


「せっかくだからもらっておきなよ。ね、由良さんとその部活の子たちに差し入れってことで、いいですよね、店長!」


「う、うん……」


 店長は甘味をとられて、うなだれてしまった。なんだか申し訳ない気持ちになってくるけれど、中川さんと宇留野さんに押し切られて受け取った。


「ありがとうございます」


「いいっていいって。あ、そうだそうだ、文集四冊ね!」


 思い出したかのように言う中川さん。


「ありがとうございます!」


 お金を受け取り、四冊を中川さんに手渡した。


「たくさん売れるといいね!」


「あんまり無理しないで、楽しんでね」


「来週後半くらいから戻ってきてくれると助かるよ」


 ガヤガヤと話しながら、三人は人混みに紛れていった。


 色んな人が、文化祭に来てくれて、文集を買ってくれる。準備には嫌なことも、面倒くさいことも、投げ出したいこともあった。できないかもしれない恐怖も、台無しになるやるせなさも、報われない努力を呪いたくもなった。


 でも、私は今日ここにいる。知っている人も、知らない人も、私達の物語を読んでつながっていく。その始まりが自分が手渡した文集かもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなる。


 中川さんに手渡された差し入れが勲章のように見える。文化祭が終わって部室に戻ったら、みんなで食べよう。


 自然とこぼれる笑顔のままに、私はまた、歩き始めた。

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