十月二十七日 朝
『夜の中で可愛がって
暗い方へ、暗い方へと足を運んだ
月の明かりも 星の煌めきも
ひとかけらの声も届かないように浸っていた
ずっとこのままでいいんだよ
ずっと可愛がってあげるし
ずっとそのままでいればいいんだよ
東の空から光が漏れ出て
朝が我が物顔で全てを照らす
無情に 正義感で そういうものだから
夜は逃げて逃げて
私は捕まった』
今日は文化祭の日だ。高校生になって、初めての文化祭。今日と明日の、このために部活もクラスも準備をしてきた。一体どんな一日になるのだろう。
私は軽い足取りで部室を目指していた。学校中のあちこちで早く来た人たちが準備をしている。看板を取り付けている人、ブースの飾り付けをしている人、椅子や机を並べている人……。誰の顔も、笑顔で、今日を楽しみにしていたことがよくわかる。
二日間あるうちの一日目は校内開催で、二日目が一般公開となる。「だから今日は練習みたいなもの」ってシズカ先輩が言っていた。一日目で感覚を掴んで、二日目の本番に備えるのだそうだ。
そうは言っても、私にとっては初めての文化祭。目に映る景色の全て、感じる空気の全てが初めてで、新鮮で、心がワクワクと跳ねる。どれもこれもが楽しくて、これから始まる一日に、期待に胸を膨らませていた。
「おはようございます!」
勢いよくガラリと部室のドアを開けると、そこには先に来ていたレン先輩の姿があった。私の声に気がついたレン先輩が軽く手を上げた。どうやら誰かと電話をしているらしい。大きな声で挨拶してしまったことを少し恥ずかしく思った。
「そう言ったって。みんなになんて言えばいいか……」
レン先輩のクラスで、トラブルでもあったんだろうか。当日のトラブルは対処が大変そうだ。心配になりながらも、私の気持ちは浮ついて、今朝もらった文化祭のパンフレットを取り出した。
校舎マップには、各クラスの出し物の説明、管理棟で開催される各部活動の出し物の説明、中庭に作られた特別ステージのプログラムに、体育館で催される特別プログラムのスケジュール、そして屋外に出店する様々なブースの説明が細かく書かれていた。
私とタケルのクラスはメイドカフェ、ユア先輩のクラスはファッションショー、シズカ先輩のクラスはお化け屋敷、レン先輩のクラスは世界遺産探検と書かれている。空いた時間があれば先輩たちのクラスにも行ってみたい。ケイとユカリと回るのも楽しいかもしれない。
「カレン、あのさ」
マップを眺めてあれこれ想像しているうちに、レン先輩は電話を終えたようだ。
「あ、電話終わったんですね。準備、何からやればいいですか?」
椅子から立ち上がってレン先輩に問うが、先輩は反対に椅子に座ってぐったりとしてしまった。
「だ、大丈夫ですか? なにかあったんですか?」
尋常じゃない様子に慌ててしまう。さっきの電話が原因だろうか。どうしたのだろう。
「マップに、文芸部の文字を探してくれないか?」
「え……? あ、はい」
例年同じ場所に出しているとシズカ先輩が言っていた、出店の角の場所。そこには文芸部の文字はない。部活動ごとに催し物の説明がされている一覧ページでも文芸部を探したが、そちらでも見つけることはできなかった。
「ない、ですね……。印刷漏れ、ですか? でも私たち、準備してきましたし、きっと大丈夫ですよ」
「いや……」
大きく、深く、長く、ため息をついて、レン先輩が話し始めた。
「中条に確認したんだ。印刷ミスかと思って。そしたら、出店申請や場所の借用書が出ていないって言うんだ」
「え……?」
「ユアにも確認した。『出したはずだ』ってユアは言ってる。だけど、中条や生徒会役員はそんなことで公平さを欠くような人たちじゃないんだよ」
「い、今から、申請して、とかは」
「どっちにしろ、今日一日は無理だと言われた。生徒会だって文化祭実行委員会だって、各ステージのプログラムの司会や責任者になっていて離れられないし、それ以外に自分のクラスの出し物がある。だから、申請に行くなら今日が終わってからじゃないと……」
「じゃ、じゃあ、今日は何もできないんですか?」
「……そうだ」
「で、でも、放課後に申請すれば明日は、できるんですよね?」
「……わからない。中条にもわからないと言われた。こんなことは初めてだしな」
目の前が真っ暗になった。あんなに頑張って準備してきたのに、誰の目に触れることもできないなんて。机の上にキッチリ並んだ、私たちの物語たちを見つめる。黄緑色の表紙に包まれて、まだ見ぬ誰かの元へ私たちの世界を届けるはずだった。
「ごめんな。カレンには、すごく準備してもらったのに」
「そんな……」
悔しくて悔しくて、涙がこぼれそうだ。だけど私以上に、レン先輩はつらいに違いない。高校生活最後の一大イベント。そのために毎日毎日準備をしてきた。アクシデントも乗り越えて、この日のために一生懸命に。それなのに、こんな結果はあんまりだ。
「きっと、放課後、申請通しましょう。明日は、だって、OBの先輩とか、白木さんとか来るんですよね? 楽しみにしてくれてる人がいるんですよね?」
「……そうだな」
「だ、大丈夫ですよ、きっと。みんなで、がんばれば」
自分で言っていて、その言葉の薄っぺらさに嫌気が差してしまった。それこそお話の世界のような言葉が、自分の口から出て来るとは思わなかった。
「今日のことはもうどうしようもならないから、みんなクラスの方で楽しんでもらうしかない。放課後までに、何か、考えないと……」
「おはよう~」
「おはようございます!」
レン先輩が頭を抱えたと同時に、シズカ先輩とタケルが部室へ入ってきた。二人から楽しそうな空気が漂ってきて、これから話さなきゃいけないことを考えるととても苦しくなった。
「準備はどこまで進んでる?」
「持って行くものはどれですか?」
「あの、ですね」
さっきまでの私みたいに、二人は文芸部のブースがあることを信じて疑わない。というか、ないなんて夢にも思わないだろう。残酷な現実だけど、それを伝えなくちゃと口を開くものの、言葉が上手く出てこない。
「二人とも聞いて欲しい。カレンには今言ったんだけど、どうやら文芸部の申請書が受理されていないみたいで、今日はできそうにないんだ」
「えっ!?」
説明を聞き終えた二人の顔には来た時の輝きは消え失せ、どんよりと嫌な空気に包まれていた。
「本当にすまない。今日の放課後、生徒会に改めて申請するつもりだから、今日は待って欲しい」
「いや、これ、レン先輩が謝ることじゃないですよね? ユア先輩は、どこにいるんすか?」
今にも不満が爆発しそうな様子でタケルがレン先輩に聞いた。
「もうクラスの方に行っていて、抜けて来れないらしい」
「部長なのにっすか? 申請だってユア先輩の仕事ですよね? なんでここにいないんですか、おかしいじゃないっすか!」
机を叩く勢いで、レン先輩に怒りをぶつけるタケル。
「みんな今日のために準備をしてきたのに、本当にすまない」
「だからレン先輩が謝ることじゃないんすよね。ユア先輩はもっと部活のことも考えるべきです。おかしいっす」
「……まぁまぁ。今日のことは仕方ない、じゃない。……申請書って、毎年のもので通るかな? 明日、できることをさ、みんなで考えよ?」
タケルの怒りをなだめながらシズカ先輩が言った。
タケルの怒りにつられて、私もユア先輩に怒りが湧いていた。どうして、ユア先輩はここに居ないのだろう。申請できたか、確認しなかったのだろうか。悔しくないのかな。みんなで、一生懸命準備してきたのに。
「そうだな。明日、そのブースを使う団体がなければ借りられるはずだ。ただ、申請期間を過ぎての書類提出だから、ブースの貸し出しは認めてもらえないかもしれない」
「別の、空いてる場所とかはないんですか?」
「他の場所は厳しいと思うな~。ステージ周りの出店ブースは、申請があった分だけ文化祭実行委員が区画を作ってくれるシステムなんだよね。毎年、だいたいどの部活も同じ場所を取って出店するんだけど。他に空いてる教室とかってなると、賑わってるところから遠いし、そんなところに普通の人たちは来てくれないよね」
あれもダメ、これも厳しい。この部室の中だけ、時間が止まってしまったみたいに、重苦しい空気が立ち込めていく。
「とにかく、今日の放課後、去年と同じ申請をする。その他に、何か、なんでもいい、良いアイディアがあったらそれも合わせて申請するから、連絡してくれ」
「誰が行くんですか? まさかユア先輩には頼みませんよね?」
「みんな忙しいだろうから、俺が行く」
「……さあさぁ、今日は文化祭だよ? 二人には明日、うんと頑張ってもらうから、今日はクラスの方しっかりね!」
そうしてみんなで部室を後にした。
「ずっと待ってた文化祭だよ。楽しも!」
シズカ先輩は明るくそう言ったけれど、とてもそうは思えなかった。
どうしよう。どうなってしまうのだろう。夏休み、白木さんに約束したことは守れないのだろうか。なんのために、あんなに準備してきたんだろう。
学校中を包む陽気な空気が、肌に刺さって痛かった。
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