十月九日

『これだけは絶対言える きっと上手くいく

絶対になり得ないことに 絶対と名付けてしまうきみの弱さ


それでも信じてみたかった 疑うことを諦めたわたしの弱さ

振りほどいたのは 持っていなくちゃいけなかったもの


美しいとは なんて便利な言葉なのだろう

儚いとは どれだけ無責任な言葉なのだろう


それでも続いていく時間の中で

囚われ続ける時間の中で


あなたはわたしの代わりではないし

あなたはわたしに何もすることができない


わたしはあなたに押し付けられないし

わたしはあなたと別の道を行くんだ』



『ごめん! 今日ちょっと用事ができちゃって……。私の代わりに会議に出てくれないかな』


 ユア先輩から届いたメッセージに、私の心臓は一気に早くなる。ひゅっと変な息も出るくらい驚いて、頭が真っ白になった。


 文芸部の部室に来ているのは、私一人だった。文化祭のための文集作りがあるのだけど、タケルは多分クラスの方を優先している……と思う。私から連絡するのは気まずくて聞くこともできないから、実際はわからない。シズカ先輩も連絡がないけれど、多分課外があるはず。三年生だから、仕方がない。


 急にこの部室が、ひどくがらんとして広く、寒々として見えた。みんなが居ない。ここに来れば、ホッと安心して、訳もなく嬉しくなったのが随分昔のことみたい。ほんのちょっと前までは、放課後が待ち遠しかったのに、今ではバラバラだ。


 こんな状態なのに、頼みの綱はユア先輩だけなのに、その本人からとんでもないお願いをされてしまった。私しか居ないなら行かなきゃいけないけど、私なんかで務まるとは到底思えない。


 どうしようもなく心臓が痛いし、変な汗も流れてきてるし、何より怖い。


「お疲れさま」


「……レン先輩っ」


 珍しくレン先輩が部室へ顔を出した。なんだかとても久しぶりに見たような気がする。それだけで泣きそうになる。


「あれ、カレンしか居ないの? 華谷は?」


「あの、ユア先輩が来ないんですけど、頼まれて、会議に行ってくれって、どうしたらいいですか」


「ちょっと落ち着いて」


 しどろもどろになっている私の肩をポンポンと撫でながら、レン先輩は私の隣に座る。何度か息を吸って、吐いて、もう一度説明をした。


「そうか。俺も行くよ。何時から?」


「あ、ありがとうございます。えっと、……あと十分くらいで開始時間っぽいです」


「じゃあもう行かなきゃな」


「何か、持って行った方がいいものとか、あるんでしょうか」


「ん、メモ取れるものだけあればいいんじゃない?」


「わかりました」


 私は自分のノートとボールペンを持って、レン先輩と会議へ向かった。


「あの、会議って何をするんですか」


「文化祭前の簡単な連絡事項だと思うよ。生徒会と文化祭実行委員が仕切って、各教室の使用だとか出し物の申請の期間とか、そういうのの説明がほとんどじゃないかな。例年だと今回のは各部活の部長が集められるものだと思うけど」


「そう、なんですね」


 こうして一緒にレン先輩がいてくれるだけで、とても心強い。さっきまでは恐怖で心臓が張り裂けそうなくらい速かったけれど、今はレン先輩の隣にいることが心臓を速くさせる。


「失礼します」


 教室へ入るとたくさんの人がもうきちんと机に座っている。


「文芸部ですね?」


 不意に左手から話しかけられた。ボブカットから覗く、猫のような大きな目がぎょろりと私とレン先輩を捉えている。


「二分遅刻です。次回は時間厳守で集まってください」


「あ、は、はい。す、すみません」


「こちらが今日の資料です。席に着いてください」


 入室早々怒られてしまった。その先輩の手元には、部活動名簿が置かれていて、そのほとんどにチェックがついていた。どうやら私たちが最後だったみたいだ。受付に並んでいる数人の先輩たちの視線が刺さる。


 プリントを一枚手渡されて、席に座るよう促された。教室内の視線を感じてとても居心地が悪い。できるだけ身体を縮めながら、レン先輩と開いている机に座った。


 もらったプリントを見ると、項目ごとに説明の文章が並び、最後の方に各申請書や大まかな文化祭までのスケジュールが書き込まれていた。


「それでは揃いましたので、説明会を始めたいと思います。はじめに、生徒会長から」


 司会者らしき女の先輩が、良く通る声で話し始めた。長い髪の毛を高い位置で一つに結んで眼鏡をかけた様子はキリリとした印象。リボンの色からして二年生の先輩みたいだ。


「生徒会長の中条マサシです。各部活動、今日は忙しい中集まっていただきありがとうございます。高校生活の中で一番の目玉とも言える文化祭が今年もやってきます。このあと色々な申請期間や注意事項についての説明があります。ほとんど去年と一緒の内容ですが、期日厳守でスムーズな運営ができるよう、協力をお願いします。なによりも全員が楽しい文化祭にしましょう!」


 にこやかにあいさつをしたのは、短髪の優しそうな三年生の男の先輩だった。司会のキリッとした先輩とは違って、なんとなくゆるい雰囲気が私の緊張を少しだけほぐしてくれた。


「それでは文化祭実行委員の方から各項目の説明をお願いします」


「説明を始める前にちょっといいですか。文化祭実行委員長の青山ユウジです。先ほど生徒会長からもありましたが、今後も数回、皆さんの予定を合わせてもらって説明会などを行います。遅れて来た部活もありましたが、時間と期日はきちんと守ってください。はい、では説明を始めます。プリントの最初から」


 背の低い坊主の先輩は、私とレン先輩を確かに見つめながら話していた。ほとんど名指しで怒られて、ぎゅっと心が痛くなった。本当はユア先輩が行くはずだったのに、どうしてこんなつらい思いをしなければいけないのだろう。


 私の委縮した気持ちとは裏腹に、説明会は淡々と進んでいった。必死にメモを取ることで、嫌な気持ちからを目をそらした。逃げ場のないこういうところでは、私にはそうするしかできなかったから。


 高校生になって初めての文化祭。初めてのこういう会議の場。それなのに、その最初がこんな形だなんてあんまりだ。初めてのことだらけで情報に埋もれそうにもなる。ただ一つ、隣にレン先輩がいることだけが、私の心を奮い立たせた。



―――――



「以上で説明会を終わりにします。文化祭で出し物をする部活動は帰りに申請書を持って帰ってください。提出期限はプリントにも書いてありますが、十二日金曜日のお昼までに記入し、生徒会まで提出をお願いします。それでは、お疲れ様でした」


 ざわざわと会話が再開し、ガタガタと帰って行く各部活動の先輩たち。場違い感をひしひしと感じていたけれど、ようやく終わったことにホッとして一気に気が抜ける。


「カレン、お疲れさま。申請書もらって、部室に帰ろう」


「はい」


 来た時と同じように受付で申請書をもらって、部室へと戻ることにした。


「あの、申請書ください」


 雑談をしている先輩たちに声をかける。入ってきた時と同じボブカットの女の先輩が、スッと用紙を私に差し出した。


「来た時も言ったし、生徒会長も、文化祭委員長も言ったけど、時間は守って。一つ許すとキリがないの」


 じっと見つめられて、胸が詰まる。息苦しい。


「まあまあ、文芸部は部長の代理で来たみたいだし、それくらいにしてあげてよ」


 生徒会長の中条先輩がふわりと間に入ってきた。


「一年生だし、わからなくて当たり前だからねー。次回は気をつけて」


 にっこり笑って言ってくれたことに救われた気持ちになった。


「代理だけれど、遅くなったのは悪かった。次からは気をつけるよ」


「古峰がちゃんと面倒見てあげないと。よろしくー」


 レン先輩が代わりに答えて、用紙を受け取ってくれた。


 そのまま、教室を出ると、それだけで気が抜けてふにゃふにゃと座り込んでしまいそうだった。空気の抜けた風船みたいな自分の身体をなんとか動かして部室を目指す。


「あの、レン先輩ありがとうございました。私一人じゃどうしていいかわからなかったです」


「急に頼まれたんだし、しょうがないよ」


「すごく、先輩たちが怖かったですけど、中条先輩は優しいですね」


「一大イベントだし、責任持ってやってるからね。中条はまとめるのが上手いから」


 そう言って、ふっと笑うレン先輩の顔を見ただけで、安心とわかってもらえたこととで、泣きそうになってしまう。


「私なんかが、こんな、説明会とか出てよかったんですかね」


「カレンも来年はあそこにいるかもしれないよ」


「そんなことあるんでしょうか……。すごく、緊張しました」


「先に経験したと思えばいいんじゃない?」


「文化祭って、色んな人が関わってて、すごい、ですね」


「そうだね。文化祭、成功させたいね」


 部室までの会話は、なんだか温かかった。レン先輩が来なかったらと思うとゾッとする。きっとあの先輩たちに言われて、逃げ出すこともできずに泣いてしまったに違いない。だけど、これでユア先輩に頼まれたことが無事に全部完了したと思ったら、とても誇らしい気持ちになった。


 文化祭のために文集作品を書き上げたりはしたけれど、今日の説明会に出席して改めて文化祭がすぐそこなんだという実感が湧いてきた。いよいよ始まるんだ、と思うと訳もなくソワソワしてくる。


 大仕事を終えたスッキリ感と、文化祭へのワクワク感が入り混じって、当日が待ち遠しくなった。

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