十月八日
『ふうわりしあわせ味のコットンキャンディーは
いつの間にか食べ尽くしてしまったみたい
指に残る微かな匂いと感触だけが
あれが夢、幻ではなかったと言う
なにもないところから 突然膨らみ出して
次々勝手に口に詰め込まれた
美味しい美味しいと舐めていたけど
食べられることが当たり前になっていた
食べたことのない味に感動して
永遠に食べ続けられると思っていた
現実は甘くないと昔の人が言っていたけど
その通りだったよ、なんてつまらなさすぎる
私に何ができる 何を変えられる
諦め 寂寞 焦燥 堂々巡りの空の下』
「えっ!? 別れちゃったの!?」
素っ頓狂な声を上げる店長が、休憩室の入口を塞いでいた。口をあんぐりと開け、信じられないといった様子が一目でわかる。
「店長、盗み聞きはよくないっすよ」
「ご、ごめん。だって聞こえちゃったんだもん」
「だもんって、店長……」
バイト先の休憩室で、カロリーメイトをかじりながら宇留野さんが呆れたように言った。
今日もバイトで宇留野さんにタケルと別れたことを話している時のことだ。たまたま通りかかった店長に聞かれてしまった。店長の店だし、店長は売り場にあまり出ないので、それは起こり得ることだったのに、恥ずかしさがこみ上げる。宇留野さんに話すのは大丈夫なのが不思議。
「あ、もしかして休みたいって言ってたのって、そういうこと?」
「えっ、や、違います。あの、今月は文化祭があって、部活もクラスのことも忙しくなるので、それで……」
しどろもどろになりながら、説明をする。今朝一番に、今月はシフトを減らしてほしいと言う相談をしていたから、勘違いされてしまう。
「あ~そういえば、去年諸星さんもこの時期文化祭だって言ってたっけか」
「由良ちゃんだって、失恋を理由に休みが欲しいだなんて言わないっしょ」
ちらりと横目で私を見ながら、宇留野さんが言った。
「いやぁ、でもさ、僕なんか恋愛自体遠い過去だから忘れちゃってるけどさ、多感な頃ってそういうこともあるかなって思うんだよね」
一人でうんうんと納得しながら話す店長。
失恋を理由に休んだりとかする人が本当にいるんだろうか。それは漫画やお話の中だけじゃないんだろうか。でもそう思っていた恋愛や失恋が、私のいざ目の前にある、あった。じゃあ、失恋を理由に、そう苦しくならない私はおかしいのかもしれない。
「そういう人もいると思いますけど、由良ちゃんは違うでしょ。ほら、こんなところで油売ってるとまた中川さんに叱られますよ」
「ここ、僕が店長のはずなんだけどなぁ……」
渋々といった様子で、頭をポリポリとかきながらドアの向こうに消えていく店長を見送った。
「それで、なんで別れちゃったの?」
「……私が、タケルのことを好きじゃないって思ったからって、言われました」
「愛されてたんだね」
心が詰まる。タケルが真っすぐに向けてくれる笑顔はいつだって特別だったなと思い出す。
「私は、全然、彼の『好き』には及ばなかったんですよね、きっと。あんなに好きだって言ってくれたのに」
「自分に向けられる好意は居心地がいいからね。甘えたくなる気持ちはわかるよ」
そう、タケルに甘えていた。タケルが好きだと言ってくれること、タケルが笑顔を向けてくれること、タケルが話しかけてくれること。全部、全部タケルに任せて、私はただ甘えていただけ。
「自分が好きっていう気持ちを表現し続けるより、相手が表現してくれた方が楽だしさ。『相手がそう思うんなら』って、言い訳にすることもできるしね」
「……ひどい人間ですかね、私」
「んー、ま、若いし、しょうがないんじゃない。何事も経験っしょ」
カフェオレを飲みながら、宇留野さんは言った。
「同じ間違いを繰り返さなければいいよ」
「そう、ですかね」
「あとは、ちゃんと、由良ちゃんが自分の気持ちに向き合うことだよね」
「私の気持ち、ですか」
「そう」
ズズッと音を立てるストロー。コトンと音を立てて、宇留野さんはカップを机に置いた。
「うん。本当に好きだったのって、時々来てた部活の子でしょ? バイトくらいでしか接点のない俺がわかるんだから、相当わかりやすいんだけど、気づいてる?」
カッと顔が熱くなる。心臓が跳ねる。重大な秘密を知られてしまったみたいな、冷や汗と罪悪感が忍び寄る。
「そっ、そんなこと」
「ほら、それ。そうやって、自分では気づいてないフリするでしょ。周りにはバレバレなくらいなのに、どうして隠そうとするの?」
純粋な目で、私のことを見ている宇留野さん。
「どうして、って……」
「人を好きになることは、悪いことじゃないよ。それを卑下する必要も、我慢する必要もないんじゃないかな。その気持ちにどう向き合って、どうするかを自分で決めなくちゃ」
宇留野さんは難しいことを言う。そんなことができたら苦労していない。自然と下がる視界は、宇留野さんではなく手元のイチゴミルクを映していた。
「もっと、自分に正直になることから始めたらいいんじゃないかな。『自分なんか』っていうのとかは、一旦置いておいてさ」
そんなこと、私にできるだろうか。
「そのままの由良ちゃんのこと、その元カレくんは好きになってくれて、だから付き合ってたんでしょ? 『魅力がない』とか『自分なんか』は通用しないよ。一生懸命好きでいてくれた元カレくんのためにも、由良ちゃんは自分と向き合うべきだよ」
ぎゅっと手の平を握りしめる。自分で、見ないようにしていたことを宇留野さんは易々と言う。
「宇留野くーん、ごめーん、これちょっと手伝ってくれないかなぁ?」
唐突に奥の方で店長の声がした。
「はーい、ちょっと待っててください」
宇留野さんも大きく返事をして、私を見た。
「大丈夫。カレンなら、なんだってできるよ。俺も、こうやって相談に乗るし。別れたって言うのもしんどかっただろうに、教えてくれてありがとね」
そう言うと、宇留野さんは私の頭を撫でて、イチゴミルクの飴を握らせた。そのまま、バイトに戻る背中を私は見つめていた。
ドキドキしている心臓に戸惑いながら、もらった飴を見つめた。前もこうやって飴をくれて、慰めてくれたっけ。
「優しいなぁ」
自然と声になった言葉にびっくりして、慌てて口を塞いだ。そのまま息をひそめると、奥で宇留野さんと店長が作業する音と、その向こうから微かに聞こえてくる店内BGMだけが耳に届いた。
「がんばろう」
飴を口に放り込む。それは甘くて、優しい味がした。
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