九月七日
『純真無垢なら見えていたのに
穢れ穢れて 流れて淀みへ
終わりのない時間を手に入れたと喜んだのは瞬きの間
やっぱりそんなのは嘘っぱちで
きみを信じていたってわたしの言葉をきみは軽々と否定する
わたしを好きって言ったきみの言葉をわたしは重々しく肯定したのに
ほら、さ どうせ上手くいかなかったのさ
なんて、うんざりするほど聞き飽きた言い訳
努力も想いも行動も すべてがおもちゃのきみとわたし
おままごとにしては 大人になりすぎていたんだね
大人ぶっても突き立てられる刃の鋭さ
覚えていますか、わたしはわたしを覚えていますか』
「お疲れ様で、す」
なぜか「で」で詰まった言葉。すんなり言えるはずの、なんの変哲もない言葉なのにどうして詰まったりしたんだろう。
不思議に思って、ドアのところに立っているタケルを見る。先輩たちはまだ部室に来ていない。ユア先輩からは遅れると言われたけれど、レン先輩とシズカ先輩はなんの連絡もない。だけど三年生だから。勉強で忙しいのかと思うと、寂しい気持ちになる。
「ユア先輩は遅れるって連絡あったよ。レン先輩とシズカ先輩はわからないけど」
「あっそう」
ぶっきらぼうな答えが返って来て、ずかずかと定位置の机にドカッと腰を下ろすタケル。無造作にリュックを置き、ノートとペンケースを取り出した。机にバサッと広げたまま、落ち着かなそうにスマホを開いている。
ノートはピカピカのおろしたてに見える。ページもそんなに進んでないみたい。今月末には提出なのに、大丈夫なんだろうか。
「ねえ、今月末が締め切りだけど、完成しそう?」
なんとなく心配になって声をかけるけれど、返事はない。ただ、スマホからちらりと視線を上げて、私を一瞥しただけだった。すぐにまたスマホへ視線を落として、何かをしている。
「……ごめん」
書けない時に急かされるのはしんどいだろうと思って、静かに謝った。私とは書いている歴が違うし、書くスピードも進め方もまるで違うから、余計なことをしたと思った。タケルにはタケルの考えがあるのだし。
それでもタケルは黙っている。返事がないことは、ここだと肯定の意味かもしれない。自分の行動の浅はかさに恥ずかしさがこみ上げた。空気を読めていない。そのことで、どれだけの恥をかいてきたか、忘れてしまったみたいに繰り返しては、等しく惨めな思いを味わう。
「はぁ……」
自分自身のバカさ加減にため息が出る。どうして私はこう、人と上手く付き合うことができないのだろう。
「……いつも思ってたんだけど、なんでため息ばっかりつくわけ?」
不意にタケルが口を開いた。私が質問したことじゃない内容が返って来て、固まってしまった。急にどうしたんだろう。
「えっ……と、どういう意味?」
「そういうところもさぁ」
イラついたようにガシガシと頭をかいているタケル。私が何か気に障るようなことを言ったんだろうか。「そういうところ」とは、どういうところだろう。必死でタケルが何を言おうとしているのか、考える。
「カレンはさ、いつも『自分が悪いです』って態度取るよね。その割には全然行動が伴ってなくて、イラつく」
「えっ……」
タケルがそんなふうに思っているなんて知らなかった。
「ご、ごめ」
「ほらまた、そうやって俺が悪いみたいにするじゃん」
「そういうつもりじゃ」
「じゃあどういうつもりなわけ?」
「そ、それは」
急に向けられた敵意に、涙がこぼれてくる。私が言い終わらないうちに畳み掛けてくるタケルの言葉一つ一つが、私に向かって放たれた弾丸みたいだ。
私が泣いているのを見て、少しだけバツが悪そうにしているけれど、タケルは何も言わなかった。タケルの中でどんな変化があったのだろう。ついこの前まではなんの問題も、障害もなくて、キラキラした関係だったはずなのに。
「締め切りに間に合うのかなって心配になって、でももしかしたらスランプかもしれないって思って、そうだとしたら余計なこと言っちゃったなってなって、それで謝ったんだけど」
涙が出る割に、言葉がすらすらと出て来た。珍しいこともあるなぁなんて、頭の隅っこの方で感心している私がいた。
「だから……!」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がるタケル。大きな音だったのに、まるで他人事のように眺めている自分に驚いた。
「どうせ俺に興味なんてないんだろ?」
怒りが滲む声でタケルが言ってくる。胸が苦しくなる。
「俺と一緒にいたって、いつも上の空で。俺ばっかり話してるし、俺ばっかりカレンのこと考えてるの馬鹿みたいじゃんか」
少し早口になってまくしたてるタケル。
「俺はカレンにとっての特別でもなんでもないんだろ」
吐き捨てるように言うタケルは、すごく怒っているのに、すごく悲しそうで、私の中にはタケルを怖がる気持ちと信じたくない気持ちでいっぱいだった。
「また黙って『私が全部悪いんです』って顔してやり過ごすつもり? なんとか言ったらどうだよ」
私の目の前にいるタケルは、私のことを好きだと言ってくれたタケルと同じ人なんだろうか。傷ついた気持ちが確かにあるのに、冷凍庫に入ったみたいにどんどん冷えていく頭の中の温度。
「知らんぷり、したよね。教室で、デートが話題になった時。私って、タケルにとって恥ずかしい存在なの?」
「それは」
私が言い返すなんて、きっとタケルは想定していなかったんだろう。私も、こんなふうに自分の口から言葉が出るなんて思ってもみなかった。たじろいだタケルは、言葉が続かない。
「訂正もしてくれなかった。私にすぐに連絡できるはずなのに、ユア先輩に相談して。私のことなんて考えてないじゃん」
「俺だって」
ガラッ―――。
「おつかれさ……、ちょっと、なに」
タケルの言葉を遮って入ってきたのはユア先輩だった。立ち上がっているタケルと、泣いている私を交互に見て、状況を整理しようとしているユア先輩。
「何があったの」
静かに聞いてくるユア先輩。責めるような口調でも、非難したような口調でもないのに、威圧感があった。
「……お先に失礼します」
タケルがリュックを掴むとそのまま部室を出て行ってしまった。その背中からは何も感じ取れない。
「ちょっと、タケル!?」
身体を乗り出して、廊下に向かって声をかけるものの、ユア先輩はタケルを追いかけていかなかった。
私はさっきよりもさらに、ぼろぼろと涙が流れていくのを止められないでいた。怖いのも不安なのも、不快なのも悲しみもあった。だけど一番は、もっと違う、個人的な感情。
「どうしたの」
ユア先輩が優しく聞いてくるけれど、私はそれに名前をつけたくなくて、ただ黙って泣いていた。涙は、止まることを忘れてしまったみたいだった。
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