九月三日

『風が変わって 色彩が移ろう

美しく瑞々しい日々は 私の心の糧となり


見えざる想いに決別を

心ゆくまで、と 誰が決めたか


千切れた紙切れ 舞い上がった花びら

セピアに焼け行くフィルム写真


きっと言葉だけが

きみとぼくを繋ぐ架け橋


まるで違う生き物だから

まるで違う生ける者だから


氷が滑るその道のように

冷たさと熱さの刺激


あの星に手が届くのは

夢もいつか叶うのはいつ』



「おはよー」


「うわー、すごい焼けたね」


「はいこれ、お土産」


「クーラーのない場所、溶ける」


「朝起きれないって」


「新作やった?」


「昼夜逆転しててしんど」


「新しい動画上がってたね」


「もう帰りたい」


「え、それお揃いじゃん!」


 この雑多な空気も一ヶ月半ぶりだ。外よりはいくらかマシ、という程度の熱気がこもる朝の教室。こんなに話すべきことがあるのかというほど、ワイワイガヤガヤと活気に満ちて、楽し気な笑い声で溢れている。


 ざわざわと落ち着かない気持ちを味わっていると、学校が始まったんだという実感が湧いてくる。ここでは身を潜めて、じっと静かにして、誰にも見つからないように自分を空気にする。


 そうやって学校生活を送ってきたけれど、やっぱり長期休み明けのこの感じは未だに慣れない。小さかった頃は、そうじゃなかった時期もあるかもしれないけれど、忘却の彼方だ。


 毎年、クラス中が夏休みの話題で持ちきりの中、私だけが何もなくて、悔しく思う気持ちと諦めが澱のように溜まっていた。断片的に入ってくる会話の端々が、私の心に刺さってもっと惨めな気持ちになることも多かった。


 けれど今年は去年までと全然違う。部活の楽しさや合宿というイベント、バイトに夏祭りと、いかにも普通っぽい高校生活を送れている。友達のいない、私が。


 それまでとまるで違う夏休みは、未知の世界でしかなかった。普段なら怖気づいて逃げ出したくなる状況でも、先輩たちのおかげで楽しい思い出に変わっていった。


 それだけで、なんだか無敵になった気になっていた。誰かに邪魔されることのない、他人とちゃんと共有する私の時間を過ごせたから。私だけの時間や、私が居心地のいい人たちとの時間は、ずっとそうだったらいいのにと思ってしまうくらい楽しくて。


 でもこうして、いざ登校してみるとクラスメイトの足元には全然及ばなくて、またじくじくと心が痛み出す。楽しかった体験を話題として共有できる友人が、私にはいないから。あちこちで語られる夏休みの一幕は、話す相手がいて初めて意味を持つ。


「おはよう」


 はぁ、と小さく溜め息をするのと、タケルが教室へ入ってくるのが同時だった。これだけ声で溢れている中で、タケルの声だけは拾える耳になんだか笑ってしまう。


 いつも通り、登校して早々加瀬くんたちと合流してすぐに会話に混ざっていく。すぐに馴染んで溶け込む様子がすごいなぁと思う。


「制服姿を見るのが久しぶりな気がするな」


「確かに。つか、村上って最近付き合い悪くね? 昨日もゲームのメンバー足りなくて困ったんだけど」


「お? やっぱ俺がいないと勝てない? いやあ、モテるってつらいなぁ」


「はぁ? くっそ腹立つ!」


「ランク上げて言いなさいな」


 あははと楽しそうに笑うタケル。見慣れた笑顔がそこにある。そういえば夏休みの課題が終わっていないからと、あまり連絡がなかったけれど無事に終わったんだろうか。


 タケルはオンラインのアクション系のゲームが好きで、何度か勧められたことがあるけどちょっとやってみようかな。でも似たようなゲームを昔やって、まるで敵を倒せなくて向いてないなって思ったんだっけ。


 つらつらと重なっていくとりとめのない思考をなぞって時間を潰す。


『ミーティングしたいので、今日も部室に集まってくださーい』


 不意にユア先輩からメッセージが届いた。その後に「よろしく」と書かれた、アメーバのように溶けたフォルムの人間がだるそうに言っているスタンプが送られてきた。なんのキャラクターかは分からなかったけれど、その様子から登校するのがだるいなっていう気持ちがひしひしと伝わって来て笑ってしまった。ユア先輩でも、そんなこと、思うんだ。


「その人知ってる、二年の先輩だよね。髪短くて、三年生の先輩と付き合ってる人」


「あー、え、でもそれって噂でしょ?」


「噂って言えばさ、その先輩、何股もしてるらしいじゃん。ひどいよね」


「うっそ、本当?」


 ミコの大袈裟な声が気になって会話が耳に飛び込んできた。ゆっくりと文字が意味をなして理解できていく。二年生の誰かを噂しているようだ。残念ながらその先輩の名前は、それ以前の会話に出ていたみたいでわからない。


「変に馴れ馴れしいんだけど、その距離感がいいらしいよ」


「男って単純。バカだよね~」


「騙されてることも知らないでね、カワイソウ~」


 キャハハと笑い声を上げて盛り上がっている。下世話な話だ。彼女たちが被害に遭った訳でもないのに、適当に消化されるエンターテインメント。自分にその矛先が向かなくて良かった、と思ってしまう自分の弱さを情けなく思う。


 きっとユア先輩ならこういう時、ちゃんとしっかり声を上げるんだろうな。自分が思う正義をきっと通すはず。それができない私はなんてちっぽけな存在だろう。


 彼女たちの会話から耳をそらして、机を見つめる。汚れさえ知り尽くしたような、自分の机。見慣れた景色に、徐々に心が落ち着いてくる。


「ほらー、席つけー」


 大葉先生が教室に姿を見せた。一ヶ月半ぶりなのに、終業式の日と何も変わっていなくて、久しぶりな気がしない。


 ガタガタと散り散りになる喧騒の原因たち。私の目の前にも安心する背中が帰ってきた。シャツの白い色が目に眩しい。


 私はノートを取り出して、また自分の頭の内側に潜り込む。来月には一大イベント、文化祭が開催される。私の世界の一部分も、文集として誰かの目に触れることになる。


 そのことを考えると不安だけに支配されていた。でも今ではほんのちょっとだけ楽しみに思える私もいる。どんな人が買ってくれるのだろう。感想なんかを言われたりするんだろうか。どのくらい売れるのかな。先輩たちはどんなお話を書くのだろう。


 自分もあの戸棚に残る一人として、一生懸命書こう。大丈夫、先輩たちがいればきっと大丈夫。

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