六月十五日
『夏の日差しの中で きらめくのは記憶だけじゃない
今年こそは違う季節になるって 確信に近い思いを胸の内に抱える
夏だけが特別になるのは 全てがきらめくから?
海だって 山だって 空だって
きらきら きらきら 光を反射してはその輪郭を色濃くするの
校舎から聞こえる吹奏楽の音色 校庭から響く野球部の声
教室に残るあの子の笑い声 帰り道で見かけた友達と帰るあの人の話し声
ギターを抱えて力の限り歌うこの子や 廊下を駆けていくこの人の足音
影が長く伸びる夕暮れに カレーの匂いが漂う住宅街の路地
草が伸びる青い息吹に 入道雲たちこめる昼下がり
蚊取り線香香る縁側 煙でいぶされる手持ち花火の光
キミと過ごせば同じ出来事が違っていくはずなの』
「カレン、帰ろ」
村上タケルと一緒に帰る帰り道。付き合ったからって変わったことがあるわけじゃないのに、おんなじ帰り道がとても楽しみになった。
何より村上タケルの嬉しそうな顔が、私の気持ちも喜ばせた。見ているだけで顔がほころぶような眩しい笑顔。
「でさ、加瀬が全然しゃべんないから怒ってるのかとおもって。俺、気を遣ってがんばって話しかけてたら、いびきが聞こえんの! あいつ寝落ちしてたんだよ!」
村上タケルの友達の加瀬シュウジのこと。好きなゲームの話。面白かった動画の話。他愛もない話なのに尽きなくて、いつもあっという間に家についてしまう。
バイトのない日はこうして一緒に帰る日々。付き合う前だって、文芸部に入ってからはなんとなく一緒に帰っていたけれど、今は部活仲間じゃなくて彼氏彼女。
『彼氏彼女』という単語に思い当たって、勝手に一人で恥ずかしくなってしまった。『彼氏彼女』という言葉が私に当てはまるなんて。一生そんなことはないと思っていたのに。脳内の世界だけで十分だったのに。
右も左も、分からないなりに過ごしているけれど、村上タケルはどう思っているんだろう。
脳内彼氏と、並んで歩いている村上タケルは全然違う。もっと、ちゃんと人で、もっと表情豊かで、もっと感情に溢れていて、もっと景色が綺麗に見える。
中学校だって、小学校だって、『誰が好きなの?』なんて話題は至る所で耳にしたし、実際投げかけられても来た質問。この子はあの子が好きで、でもあの子はあの先輩が好きで……とかいう話だってたくさん聞こえてきた。
でも現実の男の子のことなんてよくわからなかったし、私は私の世界の中で生きている方がずっと楽しかった。
だから私にはなんの関係もない話で、そんな噂に一喜一憂できる同級生たちを不思議に思っていた。誰かを好きになって、叶わなくて泣いたりするのなら、想像の世界でだって体験することができたから。
ミコが、ひとつ上の先輩を好きになって、でもその先輩にはもう彼女がいて、でも諦められなくて、なんてこともあった。その先輩がいかに格好よくて、どれほど優しくて、どんなに話の面白い人かってのも、よく聞かされたっけ。結局告白する勇気なんかなくて、そのまま、多分私以外は誰も知らずに終わっていった恋。
ミコはそのことを、今でも覚えているのだろうか。
今のミコだったら、簡単に彼氏が出来そうだし、男の子からも告白されるような子に思えるけど、あの頃は全然そんな気配すらなかった。
人って、変わるんだな。なんて言葉が、うっかり口からこぼれそうになる。
変わると言えば、私だって、そう。
村上タケルの顔を見上げると、時々脳内にはレン先輩がちらついていく。何がどう、なんて確かな言葉じゃ言えないけど、初めての感覚。勝手にドキドキする心臓も、また会えないかななんて期待も、知りたいと思う欲求も。
ユア先輩に「ほんとうに好きなの?」と念を押されたことを思い出す。人を好きになったことのない私は、何がほんとうの好きなのかが分からない。
ユア先輩みたいに、かっこうよく色んな物事の先頭を突き進んでいける人だったら、こんなふうに考えることもなかったのにな。
「最近人間の志って本を読んだんだけど、めちゃくちゃかっこよかったんだよね」
物思いに耽っていると、村上タケルの話しかけてくる声で現実に戻される。
「こういう生き方、すごいなぁって思って、俺も主人公みたいに毎日考えることを止めなければ、同じようになれるのかなってすごく考えた」
「そうなんだ。ちょっと、読んでみたいかも」
「うん! オススメだよ! 今度持って来るよ!」
本の貸し借りが楽しい。私の知らなかった世界を教えてくれる。代わりに、私がオススメの本を村上タケルに教えてあげることもあって、本が好きな人でよかったなって思う瞬間。
「そういえばね、この前バイト先で『俺が英雄になったわけ』って漫画の新刊を並べたんだけど、タケルくん、好きそうだなって思ったの」
「新刊出たの!? その漫画、俺大好きなんだよ。なんでわかったの?」
「えっ。……なんでだろう。ヒーローの話だったからかな。私は読んだことないけど、タケルくんは好きそうだなって思って」
「わ、今、すげー嬉しい」
そう言って照れている顔が子犬みたいに無邪気で、かわいい。西日に照らされたせいだけじゃないと思う。
「……カレン、次のバイトはいつ?」
唐突に村上タケルが聞いてきた。
「次? えっと、日曜日だから十七日かな」
「午前中?」
「うん、そうだよ。その日はシズカ先輩がいない、初めてのバイトの日なの。今からちょっと緊張してるんだ」
ずっとシズカ先輩とシフトを一緒にしていたけど、先輩もいよいよ受験に向けてバイトを辞めることになった。もともとそういう誘いでバイトを始めたのだけれど、いざ目の前にすると不安に思う。
先輩が居なくなって、一人でちゃんとできるだろうか。あたたかい巣から飛び立つ雛の気分だった。
「そっか、先輩は受験だもんな」
「うん」
「じゃあ、その日に漫画買いに行くよ」
「え、……えぇっ? や、いいよ、その日じゃなくて。バイトしてるの見られるの恥ずかしいよ」
「いいじゃん、カレンがバイトしてるの見たいし、決まり!」
るんるんとスキップでもしそうな勢いで喜んでいる姿を見ると、強く言えなくなってしまった。
シズカ先輩が居ない不安と、村上タケルが来る恥ずかしさ。怖い気持ちと、ちょっと誇らしいような嬉しいような気持ち。
正反対の気持ちがぐちゃぐちゃにかき混ざって、自分でもどうしていいのか分からなくなってしまった。
ひとつ確かなことは、恥ずかしくない、ふつうの恰好にしようってことだった。
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