六月一日

『堅苦しい制服を脱ぎ捨てて 軽やかな布に袖を通す

重たい色とはサヨナラで 光を集めたみたいな色にこんにちは


終わるために始まるのだと あの人は昔言っていたけど

私はそんなふうには 思わない


始めるためにはじまるんだ

理由なんてつけるだけ無意味だ


何度も経験したはずなのに 景色が何度も変わって見える

そうやっていつもキラキラしていたら

きっと老いたりなんてしないはず


ホコリなんて被らせない

私の後ろにだけ できる道』


「じゃ、今日はこの辺で帰ろうか」


 ユア先輩がいつもの通りに声を上げると、ふっと現実の世界に戻ってくる感覚。


 昨日はバイトでくたくたになって寝てしまったから、今日は書きたいと思って黙々とルーズリーフとにらめっこをしていた。


 レン先輩は相変わらず、一人で本を読んでいた。ユア先輩と村上タケルが雑談をしながら、時々シズカ先輩が会話に加わる。その話声が心地よくて、安心しきった私は自分の世界に潜っていくことができる。


 今までは、自分の周りの人との時間や距離、音をシャットアウトするために自分の頭の中へ深く入って行っていたのに、今は全然違う。もっとのびのびと、自由でいられて苦しくない。


 放課後が楽しみで、一日が過ぎるのがあっという間になった。


 その放課後の部活も、あっという間に過ぎてまた明日が待ち遠しくなる。


 それにしても、一体、みんなはいつ書いているのだろう。どうやってバランスを取っているのだろう。自分の頭の中にいることが当たり前すぎて、誰かと過ごす時間がこんなに楽しくて充実しているものだなんて知らなかった。だから、それを初めて知った私は、上手くバランスが取れない。


 自分の世界を書き落とす時間も、みんなとおしゃべりしたりして過ごす時間も、どっちも好きで、どっちも大切にしたい。そういうの、みんなは自然とできるようになるものなんだろうか。


「カレン、帰るよ~?」


 ぼんやりとみんなを眺めながら考えていたら、ユア先輩に促された。


「あ、はい」


 急いで荷物をまとめて入口へと向かう。


「みんな、執筆は順調?」


 階段を下りながら、ユア先輩が聞いてくる。


「まだ何も見えてない~」


「プロット作ってる」


「俺はまだ定まってないっす」


「私は、悩んでます」


「それぞれだね。まだ六月だし! じっくり行こう」


 お疲れさまと声を掛け合って、正門のところでそれぞれに分かれた。


「カレン、今週もバイト?」


 並んで歩く村上タケルがそう聞いてきた。


「うん。シズカ先輩と相談しながら決めてて」


「そっか」


「なんで? ユア先輩、何か言ってた? 今日はあんまり話聞いてなかったから」


「いや、別に」


 部活終わりの帰り道は夕焼けが眩しい。街もそわそわとした賑わいがあって、急いで帰る人や、夕ご飯の支度のために買い物をする人、帰りたくなくて時間を引き延ばしている人、そんな人たちのざわめきが溶けている。


 商店街からはいい匂いがするし、あちこちでおしゃべりの声が聞こえてくるし、「ただいま」や「おかえり」が時々耳に飛び込んでくる。


 そんなふうに周りの様子が目に、耳に入ってくることが、私には新鮮だった。


 いつもはどうやって帰っていたんだっけ。文芸部に来る前のことを思い出そうとしてみる。中学の時は、ミコと一緒に帰っていて、ミコの他愛ない話を聞いていたような気がする。だけど、いつも頭のどこかでは私の世界のことを考えていて、真面目に聞いていたとは言えないと思う。


「なんかね、最近、楽しいって思う」


「なにが?」


 気づかずに口に出していたみたいで、村上タケルがこっちを見ていた。


「あっ、えっと、こうやって友達と帰ったり、お話を作る人たちと仲良くしたりすることが、今までなかったから」


「そっ…か」


「……うん」


 気恥ずかしくて、気まずい空気になってしまった。また、やってしまった。


「じゃあさ、ちょっと今日は遠回りして帰ろうよ。なんつーの、青春っぽいこと、みたいな」


 村上タケルが思いついたように言う。


 パッと顔を見上げれば、なんだか照れたような顔をしていた。


「う、うん」


 私もつられて照れる。私まで照れる必要なんて、きっとないのに。村上タケルを見ていると同じような気持ちになってしまって、ぎこちなく頷いた。


「なんとなくさ、青春っぽい場所って、河原とかそっちの方じゃない?」


「金八先生みたいな?」


「そうそう!」


「堤防のところとかかな」


「そっちの方、行ってみようぜ!」


 家とは反対方向の堤防を目指して、歩き出した。冒険みたいでワクワクする。優等生ってわけじゃなかったけど、寄り道や道草する理由もなかった私には、初めてのことだから。


「ちょっと冒険みたいで面白いな」


「私もそれ、思ってた」


 顔を見合わせて笑う。


「村上くんは勇者っぽいよね。ナイトとか、そんな感じ」


「俺、そんな主人公ポジじゃないよ」


「そうかなぁ」


「カレンは魔法使いとかヒーラーみたいなイメージ」


「魔法使いは好きだけど、誰かを回復させたりとか、私、向かないと思う」


 そんな話をしながら、ただただ堤防を目指して歩く。


「まっすぐな道だね」


「ザ・堤防って感じだよな」


 意味もなくウキウキとしながら、並んで堤防を歩く。犬の散歩をしている人や、自転車で颯爽と走り抜ける人がチラホラといるだけで、向こうの方まで続いていく平らな道。


「家、こっちの方じゃないのにね」


「俺も。だけど、物語に煮詰まったりした時は散歩するから、ここも何度か歩いたよ」


「そうなんだ。私はずっと家とか、図書館にいることが多いかも」


 そこから自分の頭の中のこと、村上タケルの物語のこと、文芸部のことなんかを話した。時々吹いてくる風が、夏の匂いを含んで通り抜けていく。衣替えもして、これから夏がやってくるんだっていうことを実感する。


「ユア先輩はすごく格好よくて、私、憧れなんだ」


 そう言いながら、堤防から降りる階段を歩いていると、村上タケルが勢いよく階段を駆け下りていった。


 びっくりして立ち止まると、村上タケルが階段下からこちらを見上げていた。彼より高い目線になることはなかったから、いつもと逆でしっくりこない感じがした。


「あのさ」


 村上タケルがとても真剣な様子で、私を見ている。その視線は力強くて、階段を降りることも、目線を外すこともできなかった。


「俺、カレンのことが好きだ。最初に、四月に、放課後の教室で会った時から。だから、付き合って欲しい。……返事は、あとで聞かせて」


 話している時も外れない目線に、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた。


「俺、先、帰るわ!」


 言うだけ言うと、ダッシュで見えなくなってしまった。


 その後ろ姿を眺めながら、私は私に起きたことをゆっくりと反芻する。


 村上タケルが、私を、好き? 付き合って欲しいって。仲良くしてくれるのは、文芸部唯一の同級生だからだと思ってた。放課後は色々話しても、教室ではほとんど話さないし。


 なんで、私のことなんか、村上タケルは好きだって言うのだろう。分からないけど、私を好きだって言う人が、こんなに近くに居たなんて。


 どうしていいか分からないながらも、口元だけが勝手にだらしない笑顔を作ろうとするのは分かった。私、嬉しいんだ。


 時間差で、私を襲う恥ずかしさと、嬉しさと、気まずさと、現実感のなさ。


 自分で自分の感情や、今目の前で起きた出来事が受け入れられなくて、階段に座り込んだ。


 一体、私に何が起きたっていうのだろう。

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