四月十八日
『爽やかなみどりいろにわたしは包まれていました
いつの間にか季節がうつろっていたのですね
さくらいろの森で出会った人はわたしを置いて旅に出ました
短く限られた時間の中でほんの少し交わっただけの人
たったそれだけでもわたしの中に爪痕を残していくんですから病とはよく言ったものです
またおなじ季節がやってくれば思い出しもしましょう
またおなじ季節になってもきっと違う人でしょうけれど
今はただ この初夏の日差しに抱かれていたいのです
どこまでも蒼い風が吹き抜けて わたしの心をなぐさめてくれます
だからでしょうか きみが眩しく見えたのは
陽だまりの中に寝そべるきみが わたしにはとっても心地よく思えたのです』
埃と古くなった紙の匂い。日に焼けて元の色からはかけ離れてしまった古びた本から、真新しい手つかずの本まで揃っている。
四月ももう終わりに近付いている。クラスはなんとなく同じカーストの人間でグループが形成され、浮ついていた雰囲気も徐々に落ち着きを見せ始まった今日この頃。私は御多分に漏れず、どのグループにも属せないカースト最下位に位置している。
望んで手に入れた居場所だ。私の世界を守るためにこれほど最適な居場所はない。誰にも邪魔されず、上位グループを脅かす危険性もなく、ひっそりと目立たなく空気になれる。
あれからミコは、柳崎さんのグループに属して仲良くやっているようだ。時々メールはくれるものの、私の方から連絡することはほとんどない。
そんな私の居場所は、ここ、図書室がぴったりお似合いだ。中学の頃とは比べ物にならない蔵書の量。専門的な本も、読んだことのない本も豊富にあって、まるで宝の山だ。
昼休みなんて、私のような人間は教室に居づらいことこの上ない。図書室は基本的に飲食禁止だけど、談話スペースであれば飲食可ということを知ってから、毎日ここに通っている。
寂しくはない。私の世界を無限に広げることのできる夢のような場所だから。誰かの声や視線に煩わされることもない。同じようなカーストの生徒が、ぽつんぽつんと己が所定の位置で思い思いに過ごせる憩いの場。
もっと早くに来るべきだった。
お母さんが作ってくれたお弁当を早々に平らげて、大好きなイチゴミルクを飲みながら次のフレーズを考える。今書いているのは、初夏の風に運ばれてきた恋の物語。時期はまだ早いのだけど、その季節のしっぽが私の生活でも時々顔を覗かせている。
「返却は二週間後です」
紙をめくる音や、ペンを走らせる音、書架から書架へ移動する衣擦れの音に混じって、時折図書部の声が耳に届く。ここ以外の場所で発せられたら、きっと掻き消えてしまうボリュームなんだろうけど、この場所では静かに響いてくる生身の音だ。
図書室を利用する生徒は限られている。例えばあそこの、窓際の六人掛けのスペースを広々と使っている男子生徒。ネクタイの色で二年生だとわかる。積まれた蔵書はいつも宇宙関係の専門書。シルバーで縁取られた眼鏡をかけていて、それがとっつきにくさに拍車をかけている。いつも必死でシャープペンを走らせ、参考書とにらめっこしている。
談話スペースのすぐ側の座り心地のいい椅子に腰掛けている女子生徒は三年生。数日同じタイトルの本を手にしていることから、借りずに読書を楽しみに来ていることがわかる。ファンタジー系の冒険物語ばかりを読んでいて、それは児童書といってもいいようなジャンルであったりする。別に読む人の趣味だから、年齢なんて関係ないと思うけど、それが借りずにここで読む理由なのかなと考えたりする。
図書室入り口付近にはカウンターが設置され、日替わりで図書部の人が中で係の仕事を毎日している。今日は二年生の女子生徒。余計な私語など一つもなく、ただ淡々と図書の整理や新刊の準備、手が空けば文庫本に目を落として昼休みを過ごしている。
突然ガラリと図書室の扉が開き、一人の女子生徒が入ってきた。昼休みになるとともに各々が自分のテリトリーへと収まるのが常で、中途半端な時間からこの場所を訪れる人なんてほぼ居ない。
リボンの色からして二年生だろう。この少し淀んだ図書室の空気に不釣り合いな爽やかさが滲んでいて、ただ歩いているだけの姿になぜか惹きつけられてしまった。
「先輩、今日はミーティングだって言ったじゃないですか」
少し低めのよく響く声だった。他人に流されない強さみたいなものを感じて、私の方が居心地が悪くなる。短く切りそろえられた髪が、その活発そうな印象を際立たせていた。バスケットボールか、バレーボールか、そういった運動部の空気を纏わせ、クラスでもまず間違いなく中心になるようなキリッとした感じだ。
ただ、柳崎さんやミコとは違い、そのカーストを悠々と飛び越えてくる親しみやすさが滲んでいる。私のような、この図書室に相応しいタイプの人間でも、壁を感じることのないような圧倒的なセンターポジション。
うっかり自分の世界を披露してしまいたくなるような、この人なら理解してくれるんじゃないかとつい思わせられてしまう空気を持っている。
「あら、そうだったっけ。ごめんごめん」
あまり悪びれた様子もなく、静かに返事をするファンタジーを読んでいた三年生。よく見ればふわっと巻かれた髪が愛嬌たっぷりで、私とは正反対の人たちだったんだ、と今更ながらに知った。
誰がどこで何をしようと、私の空間を脅かされなければそれでいいのだけど、この二人は図書室に似つかわしくない。もっと教室でワイワイとはしゃいで、笑い合っている方がずっとふさわしいのに。
「今、いいところなんだけど、放課後聞くのじゃだめ?」
「だめです。ほら、行きますよ」
二年生にそう急かされて、口をとがらせる三年生。渋々といった様子で本を書架へ戻して行った。あれではどちらが先輩か分からないな。そんなところも、あの二年生の先輩の魅力の一つなんだと思わせられた。世話焼きと言うべきか、長女ポジというべきか。
二人が出て行くと、何も変わっていないはずの図書室内が妙に空っぽに感じた。その場の空気を一瞬にして塗り替えてしまうくらい、そしてそれが押し付けではない人なんて、この学校にどのくらいいるのだろう。
キラキラに輝いていて、私には無縁だと思っていた世界の端っこに入れてもらえたような気になってしまった。望んだって、手に入るわけなんてこれっぽっちもないのに。
ノートに目を落とすと、私の頭の中が広がっている。キラキラに馴染んじゃいけない。それこそ、空想世界だ。イチゴミルクを飲んで、私も自分の頭の中へと没頭することにした。
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