カレン・ホリック ~異世界転生、悪役令嬢に疲れた人へ~

あるむ

四月十日

『雪解け水の流る音 遠退く白の羽織もの

目に美しい厳しさ去れば 其処此処に落ち行く色の足跡

まだ見ぬ貴方に恋い焦がれ 来るかも分からぬ待ち人を待つ


香り高く辺りを照らせば 漂う中に違う帯

それが貴方のものとは未だ分からず それでも追いかけ途方に暮れた

わたしの姿は蝶のよう 香りに惑い飛び回る


胸の痛みが確信に変わる頃 ようやく貴方は姿を晒した

渡り鳥が迷わぬように わたしの心もただひたすらに

飛んで駆けてゆけたのならば 走って泳いでゆけたのならば


桜の花弁のその陰に 愛しき貴方の声かたち

わたしの想いを告げられたなら それはどんなに素敵でしょう

舞うひとひらの薄紅の陰に 曇りなき貴方の瞳が――』


「何書いてるの?」


「わっ」


 慌てて書き途中のノートに身体を伏せて隠した。目にかかる前髪の隙間から声の主を確認すれば、それは中学の同級生芹沢ミコだった。


「ミコ。びっくりした」


「ごめんごめん、真剣に書いてたからつい驚かせたくなっちゃって」


 屈託のない笑顔で笑う友人の姿がそこにはあった。おどおどと他人の顔色を窺いながらひっそりと生きてきたはずの私たちなのに、ミコは変わってしまった。


「まだ書いてるんだね」


「……うん」


 現実の恋をまだ知らない私は、空想の中だけで自分が作った架空の相手と恋愛をする。それはハッピーなこともあれば、悲しい恋物語もあるし、時には死に別れることだってあって、その度に悲しかったり嬉しかったり感情が目まぐるしい。


 現実に飽きてるっていうほど現実のことなんて知らないけど、私の居場所はこの空想の中がメインで、時々等身大の私と行き来している。


 その想像を少しでも書き留めておくために私は詩を書いたり、物語を書いたりしている。ミコはそんな私の世界の一部分を知る、貴重な友人だけど。


「今日さ、前髪失敗しちゃった。変じゃない?」


 ミコは俗に言う高校デビューを果たしたのだった。髪型も華やかになったし、雰囲気もかなり明るくなった。中学までは、私と似たり寄ったりの外見だったのに、なんだか置いて行かれた気分だ。


「カレンもさ、髪バッサリいっちゃおうよ。鬱陶しくない? それか結ぼ? アレンジ、私が教えてあげるから」


 そう言いながら、私の長い髪に勝手に櫛を入れていくミコ。伸び放題伸ばしているだけのロングヘアーはさぞ梳かしにくかろう。最後に切ったのはいつだったっけ。髪の毛なんて、長くても短くてもなんの違いもない。長ければ顔が隠せて便利だなーってぐらいのもの。美容室に行くのだってめんどうだから、そのままにしているだけ。


 早くも音を上げたミコが恨めしそうに、私の髪を見ている。


「そこそこの長さがあるんだから、ちゃんとお手入れすればいいのに」


「そんなこと、言われても」


「うちら高校生になったんだよ? せっかくだもん、変わらなくっちゃ」


 なにが「せっかく」なのだろう。サイドポニーテールがミコの動きに合わせて軽快に揺れていくのを見ると、なんだか遠くの存在になってしまった気がしてくる。


 …と思ったけど、もともと遠いんだった。私の世界は私の頭の中だもんね。危ない危ない。間違えるところだった。


「続き、書いても」


「あ、そうそう、今日の放課後カレンは空いてるよね? 駅前にフレッシュジュースのお店が新しくできたらしいんだけど、行ってみない?」


 ここでNOと言えないのが私。フレッシュジュースなんて家で作れるのに、そんなものに四百円も五百円もかけなきゃいけないなんて馬鹿らしい。とは思うものの、誘ってくれた友人の気持ちを無碍にするのも違う気はする。そのぐらいの常識は私の中にだってある。


「う、うん」


「よし、決まり! 次の授業なんだっけ?」


「ミコ! おはよう!」


「サオ! おはよう!」


 スッと私の前から離れて、今来た同級生の元に歩み寄っていくミコ。声の主は、ミコと同じように華やかな印象の柳崎サオコさん。私とは見ている世界も、生きている世界もまるで違う人だ。ミコも、あちら側の人間になって私のことなんて気にしなければいいのに。


 これは嫉妬なんかじゃない。もともとミコとだって、クラスの雰囲気に馴染めなかった者同士、肩身を寄せ合っていただけなんだもの。また、一人になるだけ。放課後の話、なかったことになるのかな。なくなれば、続きが書ける。それか、昨日の夜思いついたお話の続きに手を加えてもいいかな。


 ぼんやりと教室の浮ついた空気を眺めながら、私の居場所ってどこにあるのかな、なんて考える。見えないラインが、私の周りだけぐるりと引かれているみたい。話し声も、笑顔も、私の元にまでは届かない。薄ガラスの向こう側とこちら側。


「しょうがない」


 そう呟いて、ノートの続きに目を落とした。


―――――


『ごめん! サオたちとカラオケ行くことになっちゃった! 私から誘ってたのに、ホントごめんね!』


 ミコから入った連絡。放課後まで、ミコと話すタイミングが掴めなくて、なんとなく教室で時間を潰していたわけだけど、ここに来てようやくだ。もうちょっと早く言ってくれたらいいのに。暇じゃないんだけどな。


「プリント!」


 ビクッと肩を震わせて入口を見ると、運動部っぽい溌剌とした雰囲気の短髪の男の子が息を切らして立っていた。誰だろう。


 目線を外して、真っ白のノートを見やる。何も書いていないけど、見られるのは嫌だ。ミコを待ってる必要も、もうないのだし片付けて家で続きを書こう。


 ガタガタと音を立て、男の子が私の席の方へ近づいてくる。目の隅で警戒しながら、手早くノートと筆記用具を片付ける。


 男の子は私の前の席の人だった。教室にいる時はほとんど俯いているから、気がつかなかった。気まずい。


「あったー!」


 大げさな声を立てる男の子。私の机には何も載っていないのに、机の中を探ったりして時間をつぶす。このままだと一緒に教室を出ることになってしまう。気まずすぎる。


「さようなら」


 ちらりとこちらを見て、恥ずかしそうに声をかけていく男の子。こんな時、空気になって溶けてしまったらいいのにと強く思う。


 西日で照らされた誰も居ない教室は、ほんのり温かくてちょっぴり悲しい。窓の外はほとんど葉っぱの緑に覆われた桜が、さわさわと揺れている。


『うつろう季節』


 ポケットからメモ帳を取り出して簡単に書き込んだ。窓の外の緑は、きっとぐんぐん濃い色になっていくし、この西日だってじりじりと暑くなっていく。こんなふうに思うのは、きっと今だけ。


 こんな時、私の頭の中では格好いい人が現れて、そして私は恋に落ちる。その相手も、なんとなく私のことを気にかけてくれて、段々距離が近くなって行って、私はその度に変わっていくのだけど。さっきみたいな気まずさを味わうだけなら。


「このままでいい、かな」


 ため息とともに吐き出される言葉。ああ、早く帰って私の世界を書き留めなくちゃ。

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