ゼロ

 異文化の者は何かと目立つ。

 この辺りの者はほとんどが黒髪に黒目などだったが、イェードは銀髪にあおい目だ。

 なにか通じるものでもあったのか、挨拶から会話が始まる。

 言葉のやり取りは、アザトの知識で十分に行えた。

「お美しい、奥様ですね」

 イェードがそう言った。

 黒髪を綺麗きれいに整えて伸ばしたアルルが小さく、だが丁寧ていねい会釈えしゃくをする。

「自慢の妻だ。

 自慢といえば、」

 とアザトはすかさず石版を見せた。

 かなりの重さだが、常に三~五枚を持ち歩き、荷運びの道具を使って背負って運んでいる。

「変わった絵ですね。

 同じ絵柄を組み合わせて、もう一つ新しい絵ができているようですが」

 イェードの慧眼けいがんにアザトは驚きつつ、説明をする。

「これは『数の文字』、『数字』というものだ。

 『一個』から始まって、組み合わせ次第でいくらでも表記できる」

 小さな石版を見せるアザト。やはり文字が彫刻ちょうこくされていた。

「これは『足す』と『引く』を意味する『記号』だ」

「何に使うのです?」

 イェードは流石さすがに困った顔をした。

「食料の計算とかだな。食料のくらの前に置いている。

『足す』は例えば前の石版にあったように、『一個』と『一個』の間に書けば、『二個』になる。

 二個と二個なら四個。一個と二個なら三個だ」

「なるほど。

 『引く』とは?」

 イェードが食いついた。

「『一個』から『一個』を引くのは無理だな。何も無くなってしまうから……、」

 アザトは、何かに気付いたような顔と素振りを見せたがかぶりを振り、

「『二個』から『一個』を引くと確かに『一個』になる。これは絶対に正しいと言えるだろう」

「ええ、何度繰り返しても同じ結果が出るでしょうね」

「ああ、それがこの文字、いや『計算』の素晴らしいところだ。

 『絶対にそうなる』。良い言葉だと思う」

 陶酔とうすいしたように、アザトが言う。

 話を聞いていたアルルが、私とそれ、どっちが好きなの? と思って強い視線を向けて来たが、二人は話に熱中して気が付かない。

「一つの蔵には十がさらに十個ぶんとか、とにかく多くの果物とかが入るので、それはまずこの記号で表す。

 これを『百』という」

 Ωの丸みの中に点が書かれた数字記号が出てきた。

「まず『一〇個』の組を一〇個作って果物を集計する。

 この数字を戸の前に置いておき、右側に『引く』の石版を置き、使った分だけ数字の石版を、さらに『引く』の石版の右側に置く」

「一番右を見るだけで、使った量がわかるのですね」

「ああ!

 複雑になったら、自分が計算をして、引いた答えを書いておく。

 『答え』の石版は計算の石版たちのさらに手前に置く決まりだ」

「『計算』はここまでだな」

 説明に少し疲れて、アザトがふうっ、と息を吐く。

 だがさらなる饒舌じょうぜつでアザトは言う。

「最近は声を文字にできないかと考えている。

 例えば、『自分』を示すのは、この縦の線一本で、を空けてこの口の形が『食べる』で、果物の形が『料理』を意味している。

 今のみんなの状況、そのものだ」

「凄い考え方だ。

 これなら、同じものを読めるだけで事柄ことがらが伝わる」

「まだ探求中なのだが、できるだけ絵の複雑さを減らして、だが複雑な事柄を表現できないかを、空いた時間で挑戦している最中さなかだ」

「あなたは頭が良い。

 必ず成し遂げられることを祈っています」

「ああ、ありがとう」

 石版は、それが全てだったので、食事を再開した。

「話ばかりしていないで、もっと食え」

 マルス長にも急かされ、イェードは食べに食べた。

 

 その晩、夜番の者以外の皆が寝静まった頃。

 アザトは残り火のあかりで、手を傷つけないように慎重しんちょうに新しい石版に文字を刻んだ。

 まだ発展段階の文字で、しかしはっきりと、それにはこう書かれていた。

『誰からも理解されないだろうから、妻、アルルと自分だけの秘密を、この石版に刻む。

 『一個』から『一個』を引くと、『何もない』が生まれる。

 自分はこれを『〇』と名付けようと思う。』と。

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