一番の思い出
食卓の自分の席につくも、わたしは顔をあげることができなかった。
というのも、みんなの前に置かれた皿の上に盛られているのは、わたしが作ったオムライス――ではなく、炒り卵入りのチキンライスだったからだ。
そう。わたしはチキンライスを薄焼き卵で包むのに失敗していた。焼きが甘かったのが原因か、それともご飯が多すぎたのか、巻いている途中で卵が破れてしまい収拾がつかなくなってしまったのだ。自分はお兄ちゃんより器用で繊細だなんて思っていたが、もしかしたらそんなことはなかったのかもしれない。
ただ、正確なことをいわせてもらうなら、わたしが失敗したのは最初のひとつだけである。だけど二つ目に挑戦しようとして、ふと気づいてしまったのだ。
もし仮にお兄ちゃんと雪絵さんの分だけ綺麗なオムライスを作れたしたとしても、それは雪絵さんに気を遣わせてしまうことになるのではないだろうか、と。
ただでさえ緊張しているであろう雪絵さんに居心地の悪い思いをさせるのは、わたしとしても本意ではない。そうなると残された手段はひとつしかなかった。
それがこうして全員分を炒り卵入りのチキンライスとして出すということだった。しかし、これだとケチャップで文字を書くことができない。つまり、お兄ちゃん達にお祝いのメッセージを伝えることもできなくなっていた。
思い出になるようなオムライスを作ることもできず、婚約のお祝いすらもできない。これじゃあなんのためにキッチンに立ったのかわからないじゃないか。
わたしは食事を前にすっかり落ち込んでしまっていた。
「ごめんなさいね。せっかくのお祝いの席なのに」
お母さんが申し訳なさそうに雪絵さんに謝る。
「なんだったらいまからでも出前とろうか? 近所にうまい寿司屋もあるし」
普段は無口なお父さんですらそんなことを言い出す始末だ。
そりゃあ、チキンライスなんてお祝いの場で出すような料理じゃないかもしれない。だけど、愛娘が初めて作った手料理なんだからもうちょっと言いようがあるんじゃないだろうか。
両親のあまりの言いぐさにわたしの気分はさらに沈んでしまう。
そんなわたしとは対照的に雪絵さんは弾んだ声を出していた。
「いえいえ。わたし達のために亜里砂ちゃんが作ってくれたんですからもちろんいただきます」
両親にきっぱりとそう言うと、今度はわたしの方へと視線を向ける。
「亜里砂ちゃん、早速これ食べてもいいかな?」
「どうぞ……」
わたしの了承を得ると雪絵さんは「いただきます」とチキンライスにスプーンを埋もれさせ、小さな山ができるほどにこんもりとすくう。そして、それをぱくりとひとくちで頬張った。
すると、雪絵さんは垂れてる目尻をより下げて微笑んだ。
「うん、おいしい! 味付けや炒め加減もちょうどいい感じで、すっごくおいしいよ」
嘘だ。
気を遣ってくれてるんだ。
義理の妹になる人間の料理をまずいだなんて言えるわけがないじゃないか。
だから適当におべっかを言ってるだけ――
「もしかして嘘だと思ってる?」
不意に雪絵さんがわたしの心を見透かしているかのように尋ねた。
「それなら自分で食べて確かめてみて。本当においしいから。お義父さんも、お義母さんも、ぜひ」
雪絵さんの口調は、お母さんの質問攻めでまごついていた人と同一人物とは思えないほど凜としていた。お父さんとお母さんも、そんな雪絵さんに促されるかたちでそれぞれ自分の前にあるチキンライスを口にする。
「……ふつうにうまいな」
「まあ、初めて作ったにしては上出来かもしれないわね」
チキンライスを食べたお父さんとお母さんは、先ほどまでとは打って変わって、わたしの手料理を褒めてくれた。
「ほら、亜里砂ちゃんも食べてみて」
わたしも、雪絵さんに言われるがまま、自分が作ったチキンライスを一口だけ食べてみる。
みんなおいしいなんて言ってくれた。でも、全部わたしを傷つけないための嘘に決まっている。
そう思っていたが――
わたしは続けざまにもう一口食べていた。
それほどまで、このチキンライスはおいしかったのだ。
含んだ瞬間ケチャップの素朴な香りがふんわりと鼻を抜け、噛み続けることによってぷりぷりの鶏肉の旨味がじわりと口の中で広がっていく。時折歯の間ではじけるグリーンピースもいいアクセントとなっていた。
もちろん、チキンライスなんて炒めるだけの料理でまずく作る方が難しいのだろう。だけど不思議なことに、普段お母さんが作ってくれるものや、お店で食べるものよりも、このチキンライスの方がずっとおいしく感じた。
雪絵さんはその答えを知っているようで「ふふふ」とおかしそうに笑う。
「ね? おいしいでしょ? わたしも経験あるなぁ。初めて自分だけで作った料理って特別おいしく感じるんだよね」
ああ、そういうことか、とわたしは納得した。
このチキンライスは、わたしが初めて色んな想いを込めて、必死になって作ったものである。その苦労の分だけおいしいと感じたというわけだ。つまり、キャンプ場で食べるカレーがおいしいのと同じようなものだろう。キャンプなんかしたことないけど。
わたしがそんな解釈をしている中、雪絵さんが「でもね」と言葉を紡いだ。
「きっと亜里砂ちゃんよりもわたしの方がおいしいと感じてるはずだよ。だって、亜里砂ちゃんが初めて手料理を作ったのが、わたし達のためだっていうことこそ、なによりもおいしくさせてるんだから」
ぽおっと胸の奥が暖かくなっていく。
同じだ。わたしもお兄ちゃんがわたしのために作ってくれたからこそ、あの時のオムライスがすごくおいしいと思った。雪絵さんもこのチキンライスに対して同じように感じてくれたのだ。
あの時のわたしと同じ想いに至っていると知り、雪絵さんとの距離が一気に縮まった気がした。そして、そんな雪絵さんのことを選んだお兄ちゃんの審美眼を誇らしく思えた。
「よっしゃ。そんなにうまいってんなら、おれも食ってみるか」
それまで成り行きを見守っていたお兄ちゃんは、自分が間に入って取り持つ必要はないと悟ったのか、待ってましたと言わんばかりにスプーンをつかむとガツガツとチキンライスをかき込んだ。ただ、あんまりにも一気に口の中に入れすぎたせいで途中でごほごほとむせ返ってしまう。
「もう。亜里砂ちゃんが手料理を作ってくれたのがうれしいからって、そんなにかっ込んじゃダメよ」
隣に座っていた雪絵さんがお兄ちゃんの背中をさする。
お兄ちゃんは「ごめん、ごめん」と照れた様子で謝りながらもわたしの方を見た。
「……でも、マジでうまいぞ、このオムライス。昔おれが作ったやつよりも格段に」
そんなお兄ちゃんの何気ない一言にわたしははっとする。
見た目は全然オムライスの形状をなしてないのにお兄ちゃんは「オムライス」と言ってくれた。さらには、お兄ちゃんは自分が作ったものよりもおいしいとも言った。
それはつまり、お兄ちゃんも覚えていてくれているということだ。わたしとお兄ちゃんとの一番の思い出を。そして、わたしが『次のとき』にオムライスを作ってあげると約束したことも。
うれしかった。
年齢も離れているし、性別はもちろん体型や性格も正反対。そのため、お兄ちゃんとはずっと繋がりの薄い関係だと思っていた。だけど、こうして思い出を共有できていたのだ。それはわたし達の間に兄妹の絆があるという確固たる証のように感じた。
だからこそ、わたしは勇気を出してこう言うことができた。
「お兄ちゃん、雪絵さん。その……婚約おめでとう!」
あまりにも唐突な祝福の言葉にお兄ちゃん達は驚いた表情をみせる。だが、ふたり共すぐに優しい笑顔をわたしに向けてくれた。
「おう、ありがとな」
「ありがとう、亜里砂ちゃん」
やっぱり料理に挑戦してみてよかった。わたしはしみじみとそう思った。
頑張って手作りしたおかげで、こうしてきちんと自分の気持ちを伝えることができたのだ。挑戦していなかったら、いまごろお祝いの言葉も言えず、ひとりもじもじしていたに違いない。
ただ、また機会があるならば、きちんと練習して、今度は味も形も完璧なオムライスを振る舞いたいと考えていた。お兄ちゃん達によりおいしいものを食べさせてあげたいと思ったのはもちろんだが、わたし自身が誰かの笑顔のために料理を作ることに喜びを感じていたのだ。
とはいえ、今日のものよりもおいしいオムライスを作るのは大変だろうなとも思っていた。
この、見た目はチキンライスのオムライスこそ、わたしとお兄ちゃん、そして雪絵さんとの新たな一番の思い出になったのだから。
お兄ちゃんのオムライス 笛希 真 @takesou
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