お兄ちゃんの婚約者
土曜日。
今日はお兄ちゃんが婚約者の女性を紹介してくれる日である。
わたしはリビングで両親と共にお兄ちゃんが帰ってくるのを待っていた。
両親は普段通りを装っているが、緊張を隠しきれていなかった。お母さんはいつも以上にそわそわしているし、普段は何事にも動じないはずのお父さんも貧乏揺すりが止まらない。かく言うわたしも、お兄ちゃんがどんな人を連れてくるのかドキドキしていた。
そんな中、約束していた時間の10分前にお兄ちゃんが帰ってきた。お兄ちゃんが時間より早くに来るなんて滅多にないことである。さすがのお兄ちゃんも、こういう大事な用件のときに遅刻するわけにはいかないと思ったのだろうか。
さらに言うなれば、その身なりも普段とはだいぶ違った。いつもならトレーナーにジーンズというラフな格好で帰ってくるのに、今日はグレーのジャケットなんか羽織っている。だが、大柄なお兄ちゃんの体型に合っていないのか、やけに窮屈そうだ。
「おー、亜里砂。元気してたか?」
両親とのやりとりを済ませたお兄ちゃんは、わたしの顔を見るなりそう言うと、頭をポンポンとなでてきた。格好こそフォーマルなものであったが、中身はやっぱりいつも通りのお兄ちゃんで、日に焼けた健康そうな顔をほころばせている。
頭の上にのっけられたお兄ちゃんの大きな手は、予想外に柔らかく、そして暖かい。わたしは包み込まれるような安らぎを感じていた。
それなのに、そんな思いに反し、わたしは頭に乗せられたその手を振り払うと「べつに普通」と素っ気ない言葉を返してしまう。
お兄ちゃんのことが嫌いなわけじゃない。いままでそんなに会話をしたことがないから、接し方がよくわからないのだ。
それでもお兄ちゃんは気分を害した様子もみせずに快活に笑い飛ばすと、後ろに控えていた婚約者の女性の方を向く。
「これが妹の亜里砂。おれの妹だとは思えないほどちっこいだろ?」
紹介を受け、婚約者の女性はわたしに対してにっこりと微笑んだ。
「亜里砂ちゃん、初めまして。お兄さんとお付き合いさせてもらっています、
雪絵さんは、女のわたしでも見惚れてしまうほど綺麗な人だった。
名前の通り雪のように白い肌で、腰まで伸びた艶やかな黒髪がさらにそれを際立たせている。息を呑むほど綺麗なのに、親しみを感じるのはその瞳のせいだろう。垂れ目がちの瞳は愛くるしく、優しい印象を与えるのだ。
こんな人がお兄ちゃんのお嫁さんになるなんて、まったくもって驚きである。お母さんじゃないが、なにか新手の詐欺なんじゃないかと、ぶしつけながら勘ぐってしまった。
「ほら、あんたも雪絵さんにきちんと挨拶なさいな」
「あ……どうも。亜里砂です。よろしくお願いします……」
お母さんに促され、わたしはもじもじと挨拶を返す。なんだか照れくさく、まともに雪絵さんの顔を見ることができなかった。
「ごめんなさいねぇ。この子、わたしに似てちょっと内気なのよ」
そう言うとお母さんは話題を切り替えるためにこほんとひとつ咳払いをする。
「で、二人はどこで知り合ったの? ていうか、雪絵さんっておいくつ? ご実家はどちら? そもそも、どれくらい前からお付き合いしてるの?」
少なくとも内気な人はこんなに矢継ぎ早に質問なんかしないだろう。とはいえ、初対面の人に怖じ気づくことなくここまでしゃべりかけることができるのは素直に羨ましい。わたしは、お母さんのがさつさを自分が受け継がなかったことを初めて悔やんでいた。
ただ、雪絵さんもいきなりここまで質問攻めにされるとは思っていなかったようで圧倒されてしまっている。それでも、義理の母になる人間の問いかけに何か答えなくてはと、ひとりあたふたしていた。
そこに助け船を出したのはお兄ちゃんだった。お兄ちゃんは慣れた調子でお母さんの質問に端的に答えを返していく。
「彼女は会社の後輩で歳はおれのふたつ下。生まれは群馬で実家は酒屋さんを営んでる。で、付き合い始めたのは――」
と、途中で言葉を切ると、お兄ちゃんは自らの大きなお腹をさすった。
「とりあえずさ、飯でも食いながら話そうぜ。昼飯あんま食わずに来ちゃったから腹減っちゃってさ」
「え……ああ、そうね」
お兄ちゃんの提案にお母さんは困り顔で目を泳がせる。
「長男の晴れの日だからな。特上の寿司でもとってくれてるんだろ? いやー、楽しみだな」
「ええっと、それが、その……今日の夕飯なんだけど……」
おしゃべりなお母さんがここまで言いよどむのも珍しい。仕方がないので、わたしはお母さんの代わりに続きを言ってあげることにした。
「今日の夕ご飯、わたしが作るから」
その言葉を聞いたお兄ちゃんは驚いた様子で目を見開いていた。
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